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2013/05/02

現代アウトドアのリスク志向に思う

自分の周りに日々起こってきたリスクに関する事例と、高所登山家へのインタビューの質的研究という二つを通して、この二ヶ月の自分自身の問題意識はだいぶ整理できた。現代のエクストリームなアウトドアの状況とそれへの処方箋について、私論をまとめてみた。

取り組むべき直接の問題意識は以下のようなものである。

①活動者の、冒険への志向性が高まっている

②冒険にともなうリスクの高い状態に対して、活動者は無自覚である。

まずは、①について、個人的な体験やいくつかのエピソードを元に考えてみよう。2000年前後から始まったアドベンチャーレースやトレイルランニングのブームを見る限り、多くのアウトドア活動者がより高い冒険を求めていることは確かなことのように思える。またここ数年はTV番組(主としてNHKだが)でのその取り上げられ方をみると、その参加者は自らの限界に挑戦する人という描かれ方をしている。

高所登山家に対する私自身のインタビュー(未発表)でも、主要な未踏峰がほとんどなくなってしまった現代の高所登山家は、装備の制約やより困難なルートの開発によって、不確実さを含むレベルに挑戦を高めることを意識的に行っている。これらは極端なケースだが、持っている力と課題の均衡が「楽しい」活動をもたらすというフロー理論(チクセントミハイ)や、他の要素とのトレードオフにより、安全性が高まるとリスクレベルを元に戻そうという行動変容が起こるとするリスクホメオスタシス理論(Wilde,)などとも整合性を持ち、能動的なリスク活動においては一般的な傾向だと考えられる。

次に②について検討する。私が現代のアウトドア活動におけるリスクのとらえ方についての考察が必要だと考えた背景には、エクストリームな活動に従事する活動者は、存外それに対して無自覚なのではないかというこの点への問いがある。登山に限っていえば、1990年代前半までは遭難数は年間およそ600人程度であり、その中で死者が250人程度発生していた。数字をみても、山岳遭難は死とそんなに遠くない場所にあった。しかし2010年には、年間の山岳遭難数は2400程度になった一方で死者数については概ね変化はない。山岳遭難と死の距離はかなり大きくなった。実際、現在遭難統計に表れる遭難者の中で軽微な道迷いや疲労!がかなりの割合を占める。中には合ハイ気分での山登りや六甲山のように都市近郊の遭難も少なくない。

トレランについても同じようなことが感じられる。富士山を一周する160kmのウルトラトレイルには、多くの参加者がある。その距離を踏破する持久力と自らのリスクに対処するスキルを持っていないと思われる参加者も少なくない。実際、夜間、途中のエイドがない標高2000mを超える28kmの区間に挑んだ参加者の中には疲労等から低体温状態になり、役員のテントに収容された者が3名いた。これも長距離のレースにおけるリスクへの無自覚な状態の現れと考えられる。また160kmに限らず、比較的長いどのレースでも、実感として参加者は希に起こる大きな損害について無自覚だと思われる。

私がこの問題について考えるきっかけとなった二つの遭難事件の4人の犠牲者を考えてみよう。冬山で滑落後凍死した二人は、冬山では初級者の部類に入っていたし、日常生活や活動をともにした経験からは、冬山での高いリスクを意識しているようには思えなかった。彼らは日常的なチャレンジの延長線上で冬山を選び、そして死に至った。海で遭難した他の二人は、アドベンチャーレースの練習であったから、リスクに対してはより高い意識を持っていたかもしれない。強風の中でのカヌーで、沈の危険性は認識していただろう。だが、彼らはそれをも練習材料と考えていたのではないか。一線を越えるという意識はおそらくなかっただろう。

高所登山家に「死と隣り合わせの活動をしている意識はあるか」と問うと、少なくない登山家が「ある」と答える。その一方で、そのような状況で最大限のリスクのコントロールをしていると考えているが、経験を積むほどに、かつての自分がリスクに対して、いかに無自覚であったかを反省し、自分が今ここに生きているのは運に過ぎないのではないかと口にする。

客観的な実態を提示することは難しいが、活動者は自ら置かているリスク(の程度)に無自覚であるという現状把握は、主観的には賛同を得られるだろう。

 

 こうした現状に対して、倫理学的な問い、すなわち、個人はリスクをどう捉えるべきなのか、あるいは社会としてあるいは個人としてこのような状況をどう捉えるべきかがリスク倫理学の射程なのだが、まずは、私自身の専門に近い実践的な問い、すなわち現実のリスクに対してどう対処すればよいかについての回答を試みたい。この回答は、主として私自身のリスク的活動への従事経験と高所登山家に対するインタビューの質的分析を元にしている。この詳細な回答は近いうちに学会誌に発表予定なので、ここではその骨子について述べる

対処法は、①不確実性の自覚、②計画によるリスクのコントロール、③オンサイトの対応、④運への気づき、からなる。不確実性の自覚とは、自分が従事している活動の結果が不確実なものであり、重大な結果も希ではあっても起こりえると考えていることに加え、そのような結果は偶発的に発生してしまうことへの自覚である。自覚があるからこそ、2つのフェーズによる不確実性への対処へと意識が方向付けられる。計画によるコントロールとは事前情報や過去の経験などを踏まえ、カタストロフィックな不確実性を回避することである。オンサイトの対応とは、活動中に得られる情報によって最悪の事態を想定し、損害を伴う結果が顕在化する前にその都度対応していくことである。また不確実な活動であるからこそ、たとえ事故がなくても、活動終了後に「あそこでこうなっていたら、重大な事故につながっていた」と思えるひやり・はっとに遭遇することは決して少なくないだろう。高所登山家は、結果オーライでなく、遭遇しなかった事故に対しても思いを巡らし、事故がなかったのは運だという気づきのもとに、運を制御のうちに置くための対処を進める。

二つのフェーズによるコントロールが必要かつ有効なのは、次の理由による。

不確実性が自覚されるということは、計画によって全てがコントロールできない活動である。複雑で曖昧な自然環境の中での活動では、人工知能のフレーム問題が提起したように、結果を100%コントロールできない。そのためには、ほぼ無限のルールを設定しなけばならないからだ。実際事故対応のマニュアルを作ってみれば分かるように、様々な場面での事故防止や発生した事故への対処を考えるマニュアルは際限なく厚くなり、実用上首をかしげたくなることもある。事前に起こりえることを絞ることが不可能だからである。オンサイトの判断を前提にすれば、計画段階で何をすべきかが明確になる。オンサイトでありえる致命的事態を予測し、それを回避することが計画の最重要ポイントなのだ。また上でも触れたようにエクストリームな活動を行う中核的理由はチャレンジだから、不確実性が全くない活動は魅力を持たない。活動の特性からも活動者の指向性からも、オンサイトに委ねる部分が必要となる。

オンサイトの判断は、状況が個々に確定されているだけに、その後のシナリオを想定しやすい。事前の計画に頼るリスク管理に比べて効率よく必要な対処を行うことができる。その一方で、オンサイトの判断だけでは、致命的な状態をさけられない。たとえば、裏山なら、雪が降ってきたら、家に戻るというオンサイトの判断で十分だ。そこでは寒い・しもやけといった軽度のリスクはあるが、死ぬことはないだろう。だが、高山帯で十分な準備がなければ、雪に降られたら死ぬリスクもある。そうならないためには、事前に十分な防寒具を準備するといった計画的対応が必要となる。事前の計画は、こうした致命的状態に陥ることを回避してくれる。

 オンサイトの判断で重要なことは、シナリオの分岐点に影響する状況の変化に敏感になることだ。この事は自明のことに思えるが、ある事態でどうなったらよりリスクが高くなるか、そこに介入してシナリオを変化させることができるかどうかに対する感受性は一般の人は意外に高くないというのが、実感だ。もちろん、これができるためには、可能なシナリオの束をイメージできるだけの知識が必要だが、結果に影響するシナリオの変化とそこへの介入可能性という視点を持てば、オンサイトでのリスクに対する見方はだいぶ変わるのではないだろうか?

私自身、トムラウシ遭難に対する山ケイでの特集記事の多くの論調に違和感を感じ、その違和感の原因を突き止める考察の中で、事前の計画によるリスクのコントロールとオンサイトの判断というふたつの局面で考えないと、事故への適切な対応はできないのだと考えるにいたった。前者だけではいわゆるマニュアル主義に陥るし、後者だけでは場当たり的な対応になる。今回高所クライマーの手記を分析する中で、彼らが似たような枠組みでリスクに対処していることが分かり、ふたつのフェーズによる対応の有効性が、汎用性を持つという確信が高くなった。

読者の議論と考察、そして実践の材料となれば幸いである。

(本稿はfacebookに掲載した記事の修正再録です)

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