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2013/05/02

オンサイトという視点から自然体験の事故を見る

以下では、冒険志向とそれにともなうリスクへの無自覚という状態が、自然体験活動や日常の教育活動でも見られることに簡単に触れた後、計画とオンサイトという二つのフェーズによるリスク管理の有効性を検討しよう。まだ自分自身でも整理の段階だが、書いて、批評を受け、練っていかないことには進めない。

自然体験の教育的効果は経験的にも、統計的(相関的に)にも指摘されている。特別活動の一環として、協調性や忍耐力、達成感などを狙いとして自然体験は実施されている。その一方で、忍耐力が養われ達成感を得られるのは、できない失敗の可能性があればこそである。そこにはクライマーとはレベルが違うとは言え、一定の失敗のリスクがある。そして、身体活動では、失敗は身体へのリスクでもあり得る。学校管理下の自然体験でも数年(概ね2-3年)に1名程度の死者が出ている。しかし、こうしたリスクに学校現場が意識的になるのは、重大事故が起こった前後に過ぎず、残念なことにその教訓はあまり長い間学校現場には残らない。プールの排水溝による溺死事故が1960-80年代に30件以上発生したことは、この分野では有名である。80年代半ばに一端終息したものの、その後もほぼ10年おきに数件発生している。

武道の必修化では、用具の都合(と思われる)で多くの学校が柔道を採用している。しかし、平成17年から22年の6年間の学校管理下における体育実技による死亡数33件のうち、半分に近い15件が柔道によって発生している。県によっては、様々な対応を準備して導入しているところもあるが、国として明確な方針のないままに武道が必修化されている。柔道関係者でさえ、懸念を表している。礼節をはぐくむという教育的価値と同程度にリスクが自覚されているとは言い難い。

2011年に発生した三ヶ日青年の家のカッター転覆による死亡者が出た事故では、学校側が注意報発令下で活動を(暗に)承諾したことの責任も問われている。しかし、一般的に学校がこのような施設で自然体験をおこなった場合、計画的な安全管理は施設に丸投げにすることが多く(もちろんオンサイトでは、教員が安全管理にあたるが)、リスクへの意識は必ずしも高いとは言えない。

このような教育現場の実態に対して、①不確実性の自覚、②計画によるリスクのコントロール、③オンサイトの対応、④運への気づきによる省察、という4つの側面は何を示唆するだろう。

第一にリスクや不確実性に自覚的になることである。当たり前のようだが、効用に隠れて、あるいは安全への希求に隠れて、学校教育のリスクへの自覚は不十分だ。さらにそのリスクを子どもや保護者に適切に伝えるリスクコミュニケーションの方法と文化的土台が十分に形成されていない。リスクマネジメント的に言えば、リスクの共有がなされていないと言えるし、保護者の視点から見れば教育的意義でリスクが隠されている。もっともこの点は学校教育だけの努力ではなしえないだろう。リスクを自覚することはそれを許容することではなく、それをコントロールする第一歩だという社会的コンセンサスが必要だ。

二つのフェーズによるコントロールのうち、計画によるリスクの制御は一般的に行われている。一方で、オンサイトの判断は、非公式な言葉では語られるが、それが有効な条件が意識されているとは言い難い。計画とオンサイトの判断の協同についても認識は不十分だ。せいぜい、「計画通りにいかない部分は臨機応変にやろう」と語られるくらいだ。別項でも示したように、オンサイトの判断が有効であるためには、リスク変化をもたらす状況の変化に対する感受性と、制御可能性を意識および保持することが必要だ。この2条件は、どのようなリスクを計画の中で考慮し、排除すべきか、何をオンサイトに委ねることが効果的かについての指針を与えてくれる。

具体的な例によって考えよう。三ヶ日青年の家カッター転覆による女子中学生死亡事故では、大雨・強風・波浪注意報発令中にカッター訓練をおこなったものの、途中から風雨が強くなり、訓練が不可能になったこと。モーターボートによって曳航してハーバーに戻る際に、左舷側に傾き浸水することで転覆したこと、。曳航した所長はカッターの曳航経験がなかったことなどが事故原因として指摘されている。これらはいずれも計画的行為によって防止が可能である。その一方で、風雨の状況の変化、曳航前から左舷が傾いていたこと、曳航時のさらなる左舷の傾きなど、オンサイトでの対処を可能にする材料もある。もちろんそれを持ってこの条件下で訓練を敢行していいことにはならないが、少なくとも事故を防止する最後の砦を築くことはできただろう。実際、運輸安全委員会の勧告としては、訓練継続の可否、中止の場合の措置を記載した指導マニュアルの見直しが提言されているが、一方で、同委員会の報告書では、天候不良時の対応については「ハーバー内での訓練にとどめたり、全カッターに指導員を乗船させてハーバー前面水域で訓練をおこなったりすることが指導員間で申し伝えられていたが、指導マニュアルには規定されておらず、天候不良時の定義が明らかでなく、また、訓練方法の内容が具体的ではなく、さらに通常時と天候不良時の訓練方法の変更を決定する時期も明らかでなかったものと考えられる」(運輸安全委員会船舶事故調査報告書MA2012-1)とある。このことから、それまでオンサイトで対応されてきたものが継承されなかったことも、事故の大きな原因であると言える。また「本件訓練の実施中に風向きが南に変わり、天気予報とは異なる状況となっていたことを早期に把握して風向、風速および湖面の現況を確認した上、過去に天候不良時の訓練方法を選定した際の訓練方法を参考にし、・・・継続の可否について慎重に判断していれば・・・安全性の高い訓練方法に変更することができ、本事故の発生を回避できた可能性がある」(同報告書)としている。オンサイトの判断は、実際には不確実で変動の大きい自然環境での活動のリスクを制御する上で役立つだろう。

さらに、もう一度アウトドア系の活動の事例に戻って検討してみよう。たとえば2007年のトムラウシの遭難事故について、事故について論評したヤマケイの特集号で指摘された内容をKJ法でまとめたものが図だ。この事故ではツアー登山による不十分な安全管理体制が問題になったが、計画とオンサイトという枠組みから見ると、問題は計画そのものではなく、オンサイトでの判断と対応行動が十分に機能しなかったこと(中央の赤い点線囲み)と状況変化への対応可能性を計画によって保障しなかったことにある(左の赤い点線囲み)。

 最後に、運の自覚による省察について検討しよう。運の自覚による省察とは、不確実な環境下での活動が無事におこなわれたのはたまたま当たりくじを引いたようなものであると自覚することと、活動の中で得られた情報を元に、長期的に不確実さを減少させようとする努力のことである。産業界や教育現場の一部でもおこなわれているひやりはっと調査やそれに基づく安全上の改善は、その一例だと見なせる。しかし、このような活動は一般的ではない。高校までの12年の学校生活の中で、クラブ活動とオリエンテーリングを除けば、(些細なものも含めた)失敗を振り返り、(ケガ以外も含めた)リスクを低くする努力をしたという記憶がない。個人的な経験に基づくものだが、教育界に身を置いていると、それは一般的な傾向のように思える。

もっとも、大きな失敗のない中で些細な失敗を省察し、リスク回避につなげることは、安全が重要だという認識が教員だけでなく当事者である生徒自身の中にもなければ難しいだろう。学校教育でも安全指導はおこなわれているが、児童・生徒が主体的に考えてリスク回避をするように方向づけられていないので、不確実性の自覚とそれによるリスクへの責任意識とがセットにすることがまずは課題だろう。

Tom

トムラウシ事故要因の分析(山と渓谷誌掲載記事を元にした)

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現代アウトドアのリスク志向に思う

自分の周りに日々起こってきたリスクに関する事例と、高所登山家へのインタビューの質的研究という二つを通して、この二ヶ月の自分自身の問題意識はだいぶ整理できた。現代のエクストリームなアウトドアの状況とそれへの処方箋について、私論をまとめてみた。

取り組むべき直接の問題意識は以下のようなものである。

①活動者の、冒険への志向性が高まっている

②冒険にともなうリスクの高い状態に対して、活動者は無自覚である。

まずは、①について、個人的な体験やいくつかのエピソードを元に考えてみよう。2000年前後から始まったアドベンチャーレースやトレイルランニングのブームを見る限り、多くのアウトドア活動者がより高い冒険を求めていることは確かなことのように思える。またここ数年はTV番組(主としてNHKだが)でのその取り上げられ方をみると、その参加者は自らの限界に挑戦する人という描かれ方をしている。

高所登山家に対する私自身のインタビュー(未発表)でも、主要な未踏峰がほとんどなくなってしまった現代の高所登山家は、装備の制約やより困難なルートの開発によって、不確実さを含むレベルに挑戦を高めることを意識的に行っている。これらは極端なケースだが、持っている力と課題の均衡が「楽しい」活動をもたらすというフロー理論(チクセントミハイ)や、他の要素とのトレードオフにより、安全性が高まるとリスクレベルを元に戻そうという行動変容が起こるとするリスクホメオスタシス理論(Wilde,)などとも整合性を持ち、能動的なリスク活動においては一般的な傾向だと考えられる。

次に②について検討する。私が現代のアウトドア活動におけるリスクのとらえ方についての考察が必要だと考えた背景には、エクストリームな活動に従事する活動者は、存外それに対して無自覚なのではないかというこの点への問いがある。登山に限っていえば、1990年代前半までは遭難数は年間およそ600人程度であり、その中で死者が250人程度発生していた。数字をみても、山岳遭難は死とそんなに遠くない場所にあった。しかし2010年には、年間の山岳遭難数は2400程度になった一方で死者数については概ね変化はない。山岳遭難と死の距離はかなり大きくなった。実際、現在遭難統計に表れる遭難者の中で軽微な道迷いや疲労!がかなりの割合を占める。中には合ハイ気分での山登りや六甲山のように都市近郊の遭難も少なくない。

トレランについても同じようなことが感じられる。富士山を一周する160kmのウルトラトレイルには、多くの参加者がある。その距離を踏破する持久力と自らのリスクに対処するスキルを持っていないと思われる参加者も少なくない。実際、夜間、途中のエイドがない標高2000mを超える28kmの区間に挑んだ参加者の中には疲労等から低体温状態になり、役員のテントに収容された者が3名いた。これも長距離のレースにおけるリスクへの無自覚な状態の現れと考えられる。また160kmに限らず、比較的長いどのレースでも、実感として参加者は希に起こる大きな損害について無自覚だと思われる。

私がこの問題について考えるきっかけとなった二つの遭難事件の4人の犠牲者を考えてみよう。冬山で滑落後凍死した二人は、冬山では初級者の部類に入っていたし、日常生活や活動をともにした経験からは、冬山での高いリスクを意識しているようには思えなかった。彼らは日常的なチャレンジの延長線上で冬山を選び、そして死に至った。海で遭難した他の二人は、アドベンチャーレースの練習であったから、リスクに対してはより高い意識を持っていたかもしれない。強風の中でのカヌーで、沈の危険性は認識していただろう。だが、彼らはそれをも練習材料と考えていたのではないか。一線を越えるという意識はおそらくなかっただろう。

高所登山家に「死と隣り合わせの活動をしている意識はあるか」と問うと、少なくない登山家が「ある」と答える。その一方で、そのような状況で最大限のリスクのコントロールをしていると考えているが、経験を積むほどに、かつての自分がリスクに対して、いかに無自覚であったかを反省し、自分が今ここに生きているのは運に過ぎないのではないかと口にする。

客観的な実態を提示することは難しいが、活動者は自ら置かているリスク(の程度)に無自覚であるという現状把握は、主観的には賛同を得られるだろう。

 

 こうした現状に対して、倫理学的な問い、すなわち、個人はリスクをどう捉えるべきなのか、あるいは社会としてあるいは個人としてこのような状況をどう捉えるべきかがリスク倫理学の射程なのだが、まずは、私自身の専門に近い実践的な問い、すなわち現実のリスクに対してどう対処すればよいかについての回答を試みたい。この回答は、主として私自身のリスク的活動への従事経験と高所登山家に対するインタビューの質的分析を元にしている。この詳細な回答は近いうちに学会誌に発表予定なので、ここではその骨子について述べる

対処法は、①不確実性の自覚、②計画によるリスクのコントロール、③オンサイトの対応、④運への気づき、からなる。不確実性の自覚とは、自分が従事している活動の結果が不確実なものであり、重大な結果も希ではあっても起こりえると考えていることに加え、そのような結果は偶発的に発生してしまうことへの自覚である。自覚があるからこそ、2つのフェーズによる不確実性への対処へと意識が方向付けられる。計画によるコントロールとは事前情報や過去の経験などを踏まえ、カタストロフィックな不確実性を回避することである。オンサイトの対応とは、活動中に得られる情報によって最悪の事態を想定し、損害を伴う結果が顕在化する前にその都度対応していくことである。また不確実な活動であるからこそ、たとえ事故がなくても、活動終了後に「あそこでこうなっていたら、重大な事故につながっていた」と思えるひやり・はっとに遭遇することは決して少なくないだろう。高所登山家は、結果オーライでなく、遭遇しなかった事故に対しても思いを巡らし、事故がなかったのは運だという気づきのもとに、運を制御のうちに置くための対処を進める。

二つのフェーズによるコントロールが必要かつ有効なのは、次の理由による。

不確実性が自覚されるということは、計画によって全てがコントロールできない活動である。複雑で曖昧な自然環境の中での活動では、人工知能のフレーム問題が提起したように、結果を100%コントロールできない。そのためには、ほぼ無限のルールを設定しなけばならないからだ。実際事故対応のマニュアルを作ってみれば分かるように、様々な場面での事故防止や発生した事故への対処を考えるマニュアルは際限なく厚くなり、実用上首をかしげたくなることもある。事前に起こりえることを絞ることが不可能だからである。オンサイトの判断を前提にすれば、計画段階で何をすべきかが明確になる。オンサイトでありえる致命的事態を予測し、それを回避することが計画の最重要ポイントなのだ。また上でも触れたようにエクストリームな活動を行う中核的理由はチャレンジだから、不確実性が全くない活動は魅力を持たない。活動の特性からも活動者の指向性からも、オンサイトに委ねる部分が必要となる。

オンサイトの判断は、状況が個々に確定されているだけに、その後のシナリオを想定しやすい。事前の計画に頼るリスク管理に比べて効率よく必要な対処を行うことができる。その一方で、オンサイトの判断だけでは、致命的な状態をさけられない。たとえば、裏山なら、雪が降ってきたら、家に戻るというオンサイトの判断で十分だ。そこでは寒い・しもやけといった軽度のリスクはあるが、死ぬことはないだろう。だが、高山帯で十分な準備がなければ、雪に降られたら死ぬリスクもある。そうならないためには、事前に十分な防寒具を準備するといった計画的対応が必要となる。事前の計画は、こうした致命的状態に陥ることを回避してくれる。

 オンサイトの判断で重要なことは、シナリオの分岐点に影響する状況の変化に敏感になることだ。この事は自明のことに思えるが、ある事態でどうなったらよりリスクが高くなるか、そこに介入してシナリオを変化させることができるかどうかに対する感受性は一般の人は意外に高くないというのが、実感だ。もちろん、これができるためには、可能なシナリオの束をイメージできるだけの知識が必要だが、結果に影響するシナリオの変化とそこへの介入可能性という視点を持てば、オンサイトでのリスクに対する見方はだいぶ変わるのではないだろうか?

私自身、トムラウシ遭難に対する山ケイでの特集記事の多くの論調に違和感を感じ、その違和感の原因を突き止める考察の中で、事前の計画によるリスクのコントロールとオンサイトの判断というふたつの局面で考えないと、事故への適切な対応はできないのだと考えるにいたった。前者だけではいわゆるマニュアル主義に陥るし、後者だけでは場当たり的な対応になる。今回高所クライマーの手記を分析する中で、彼らが似たような枠組みでリスクに対処していることが分かり、ふたつのフェーズによる対応の有効性が、汎用性を持つという確信が高くなった。

読者の議論と考察、そして実践の材料となれば幸いである。

(本稿はfacebookに掲載した記事の修正再録です)

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