« 2013年1月 | トップページ | 2013年5月 »

2013/02/21

事故に思う(2)

 社会的な意義付けと個人の意識のギャップという点で、ショッキングだったのは、三ヶ日カッター転覆事故での書類送検だ。この事故は2011年の6月に静岡県立三ヶ日青年の家で発生した。この日同所で自然体験中の豊川の中学校が注意報の中カッター訓練に出たものの、風がひどく船酔いする生徒も出て、生徒がこぎ続けることができなくなり、中止となった。そこまでは、これまでにも合ったことかもしれない。
 三ヶ日青年の家は、その4月より県教委の直接管理から指定管理者への委託管理となっていた。指定管理者は小学校集英社プロダクションで、各地の社会教育施設の運営にも実績があり、他の応募者を大きく離して管理者として指定されたようだ。管理者の変更に当たっては、前所長が引き継ぎに半年はほしいといったが、それが短縮されたというコメントが新聞記事に掲載されていた。
 この日、カッタは所長が操船するモーターボートによって曳航された。不幸なことは重なる。このカッターには通常つきそう所員が乗っていなかった。カッターを曳航する時は、進路に合わせてカッター側の舵を切る必要がある。そうしないと艇が傾き浸水することがあるらしい(このあたりは、大雑把な記述)。実際、このカッターは曳航時に浸水し、転覆する。転覆した艇内に数人が残されたが、西野さんが脱出することができず、犠牲者となった。事故の概要は以上であった。
 ここでは、事故の原因とその直接的対応については、触れない。触れておきたいのは、2013年2月に、関係者6名が書類送検された点についてだ。所の管理責任者であり、モーターボートで曳航を行った所長と管理運営の小学校集英社プロダクションの責任者は、直接の責任者は当然だろう。さらに県教委の責任者(当時の課長ら)も書類送検されている。引き継ぎに瑕疵がなかったとは言えないことからも納得はできる。その一方で、県教委の責任者が書類送検されたということは、指定管理者に委託したとしても、県には一定の管理責任があると見なされていることだ。さらに事故にあった学校長も書類送検された。事故が起こった自然体験は特別活動という教育課程の一環で行われていることであり、学校管理下である。そうである以上学校長に安全管理上の責任があることは当然と言えば当然だろう。
 その一方で、こうした施設で学校が利用する場面に接していると、教員側が「専門家のいる場所で安心してプログラムを提供してもらっている」という意識が垣間見えることがある。校長といえども専門家ではない。微妙な場面で「やりますか?やめますか?」と言われても責任ある回答ができないだろう(責任を発揮するとすれば、「じゃあ止めます」としか言えないだろう)。今回の書類送検は、こうした曖昧にされてきた責任の所在や分担についての問題提起だと考えることもできる。
 個と組織という違いはあるが、本来責任を持つべき主体がそれを果たすべきスキルと知識を持っていないこと、にも関わらず実態としてそれが曖昧になっているという点では、似た問題構造を有しているように思われた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013/02/19

この2週間で考えたこと

2週末連続して、活動をともにした知人を事故で亡くした。2/10の連休は山で、2/17日は海で。いずれも悪天候の中で起こった事故だった。山や海を本格的にやりだせば、リスクは常につきまとう。それが死という最悪の事態につながる恐れがあることは、誰もが知識としては知っている。しかし、彼らがそれをどの程度本気で意識していたか?同じ疑問は自分自身にも突きつけられる。そして私が今ここでブログを書いているのも、ただ運がよかっただけなのではないかと。
 知人としては悔しくて無念という思いしかない。その一方で、アウトドア活動とリスク管理をテーマとする専門家としては、様々な思いがある。
 一つは現代のアウトドアスポーツのあり方に関するものだ。アドベンチャーレースや50kmを超えるような(一般の人にとっては)心身の限界に挑むスポーツは、現代のアウトドアスポーツの一端を特徴づけている。「肉体の限界に挑む」ことがクールなことと思われているが、それは大きなリスクと裏腹である。現にアドベンチャーレースでは、過去にも死亡事故が発生しているし、オリエンテーリングでさえ、ここ数年高齢の方とは言え、心不全や転落による死亡事故が発生している。自然の中で活動していることを十分に意識しているとは言えない、トレイルランナーたちもその予備軍と言えるかもしれない。
 この流れを止めることは難しいかもしれない。またそういう選択肢があってもよい。しかし、リスクと裏腹であること、そしてそのリスクから身を守ることは自分の責任であること、その責任を果たすためにスキルが必要であることは、どれだけ活動者に伝わっているだろうか。主催者側の安全に対する配慮義務の蔭に隠れて、それが見えにくくなっているのではないだろうか。最近、こうした傾向を「煽る」側にある自分、主催者として、「事故は起こしたくない」と思う自分として、そんな視点にも目が向く。
 個人の責任やそれを果たすためのスキル、環境の問題、リスクはそのいずれの視点からもアプローチすべき問題だが、社会がリスクとそれを潜在的に抱える活動をどう意義付けているかは無視できない問題だ。
 しばらくは、この課題と付き合っていく必要がある。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2013年1月 | トップページ | 2013年5月 »