香港に来ると思うこと
今年創設30周年を迎える香港オリエンテーリング協会は、限られたテレインにもかかわらず、常にアジアをリードしてきた。1988年に開催したワールドカップはアジア初だった。日本がワールドカップを開催するのはそれから12年もしてからだ。2004年には、「アジア・シティー・オリエンテーリング選手権(ACOC)」と称した大会を開催した。その2年後の2006年に最後のアジア環太平洋選手権を開催し、この時のアジア諸国会議で、翌2008年からアジア選手権が開催されることに決まった。ACOCの発想がその後押しになっていたことは間違いない。
その間、僕がアジア初のIOF理事に選ばれた。1990年代後半の活動から、いつかはIOF理事をすべきだとは思っていたが、僕がその決意を決めたのは当時会長のアルバートが「僕が理事になるべきだ。推挙する」と言ってきたからだ。それから10年、国際大会の開催やアジア全体の活動の活性化で、彼らと苦楽を共にした。2007年のAPOC、そして今回のワールドランキングイベント。日本では、単体のWREを開催したことがない。今度の5月の全日本がその初めての試みとなる。この点でも、やはり彼らに先を越されたわけだが、相互に考えがシンクロするようになってきた。「アジアで年間数回のWREを開いて、相互に行き来する。」それが僕と彼らの共通した考えであり、それによってエリートに活躍と切磋琢磨の場が提供できるようになる。
1996年のAPOCの後、空港に送ってくれたパトリックが弱々しく僕の手を握り、「もし中国連盟に吸収されるようなことがあれば、僕らは生き残れない」と言ったが、香港のオリエンテーリングはその時には考えられない発展を遂げた。昨日ジオパークにでかけた時、20年来の友人のパトリックがふともらした。「いつもは、オリエンテーリング大会だけで帰ってしまうから、こうやって観光に連れていってあげることもなかったなあ。」1988年に日本で開かれた国際大会の前日、僕はカキにあたって、レースはぼろぼろだった。ゴールした時の憮然とした表情の写真がパトリックから送られてきて、裏に「try again!」と書いてあった。彼がその写真を送ってくれなければ、僕らの仲は深まることもなく、香港のオリエンティアたちと深い関係になることはなかったかもしれない。
△ミドルで堂々優勝の加納選手(写真はスプリントの時のもの)
△高層ビルをバックに走るオリエンティア。香港でしか見られない眺めだ。
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コメント
Thanks for being a great friend of HK's Orienteering! Nice to have a memoriable Christmas with u and the Japanese team! Hoping u and all have a Happy New Year ;)
投稿: sophia | 2011/12/28 17:34
Thank you for your comments! You are welcome to Japan at UTMF. I could assist when you need help. Do not worry about being lost! I surely search and find you :-)
投稿: shin | 2012/01/19 08:26