揺れる
きわどい意志決定を要求されれば、気持ちはポジティブにもネガティブにも揺れ動く。昨日の顛末では比較的ポジティブな側面を書いたが、その後もあれこれと考え、また考えさせられる情報が入ってくる。僕は根原の崩落を「コントロールの範囲内」と書いたが、その時、僕の頭の中には500人という大勢の集団をコントロールするというイメージはなかった。結果として宮内の状況判断にゆだねたのだから、チーム全体の意志決定としては間違って居なかったわけだが、自分としては大きな判断ミスにつながる思考様式だったと言える。
危機管理に携わるあるランナーの方からは、基本的には主催者の立場に共感しながらも、冷静に10の中止すべき理由を書き送ってくれた。そのいくつは、当然私たちも検討に付していたものだが「●コース短縮により、本来のコースの魅力はほとんど失っており、単に「走らせる」だけのレースとなった。」「●主催者が開催と言えば、参加者は自己判断を放棄するし、さらに集団となれば不安が消え、個人による状況判断は期待できない。」といった視点を提示されると、確かに実施は主催者の自己満足だったのかもしれないとの反省も出てくる。
事故報道の現状や、過失がなくても世論がどう振れるか、またそれがトレラン界やより大きな枠組みにおよぶ影響、報道各社が災害時にはセンセーショナルな「事故」や「被害」を探している。といった意見はとても参考になった。また●中止、開催の決定は、できれば前日までに知らせたほうが良い。
というのは、最大の反省点だろう。
江川紹子が、オウム裁判の時に弁護士をした人にインタビューした時に、その弁護士が「困った裁判官というのは揺れないんですよ」という一言を、せめてもの慰めにしよう。
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コメント
監督、いつもトレラン部ではお世話になっております。
主催者の側で大会の開催、中止を判断するのは本当に重い事なのだという事を監督のブログを通じて感じさせて頂いたと同時に、我々ランナーが様々な大会に無事参加できる事に改めて感謝する機会を頂きました、ありがとうございます。
こうした形で運営の皆さんの考えが伝わってくる大会と言うのはなかなかなく、この事も感謝だと思います。
今年は残念ながらDNSの判断を私はする結果となりましたが、ぜひ来年こそあの素晴らしいコースをめい一杯エンジョイさせて頂きたいと思います。
ありがとうございました。(o ̄∇ ̄)/
投稿: うんの | 2011/09/06 11:20
すみません。今更ながらに気づきました。重いっていうか、当たり前ですよね。日本で世界選手権を開催する直前、「これでレースが成立しなかったら史上初だな」という夢をみました。それくらいレースの準備って緊張します。
だからこそ、危ない場所への嗅覚が冴え、運も呼びこめのだと思います(この時も、致命的になりそうなミスを1回は嗅覚で、1回は運で救われた)。
投稿: shin | 2011/12/26 23:40