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2011/09/23

読図講習

JR大人の休日倶楽部の秋の講習が始まった。今回は中級講座ということで、初級で一回は私たちの講習を受けた人たちだ。基礎ができているので、講習もスムースで、楽ちんだ。逆に言えば、初級者の講習にこそ、指導者としての大きなチャレンジがあるということだ。

 初回の講習が終わった後、一人の受講生がやってきた。講習のおかげで道迷い遭難をせずに済んだというのだ。奥多摩の大岳山周辺で道に迷いそうになったが、講習でならったように地図を見て方向を確認して、復帰できたという。

 もちろん、それはその人の努力と意識の賜なのだが、その一端にでも関われたことは嬉しい。たった一人の経験でも、そんな事実があったことを聞くと、講習をやっていて良かったと思う。

 医療関係者って、日常的にそんな経験をしているのだろうかと、ふと思うと同時に、同じくらい高い頻度で、彼らが悔しい思いをしている可能性にも思い至った。それは我々にしても同じこと。2010年の遭難者2396人。まだまだ遭難は増え続けている。

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2011/09/12

ウェールズ(その3)

 ナヴィゲーションコースの初日。室内での簡単なレクチャーの後、10:00には屋外にスタート。一応このコースは、基本的なナヴィゲーションができることが参加条件なので、参加しているのも、ツアーにハイカーを連れて行くからとかマウンテンマラソンに出ているからといった参加者のみ5名。インストラクターは24歳のGuy(歳は後で知ることになる)。屋外講習がスタートしていきなり雨。それも結構強い。日本のように間段なく降り続くわけではないが、こういう状態での西欧人の無頓着さにはかなわないと思う。さくっと、レインウェアを着て、なんでもないかのように講習を続けるし、受ける。
 この日の講習での何よりの収穫は、学ぶべきことが(ローカルな記号の解釈を除くと)ほとんどなかったという点だ。現在地を確認し、目標を示して、その間に見える特徴を参加者に言わせる。さらにそれを確認しながら歩くとともに、頼れる記号とそうでない記号について、質問ベースで確認する。続いて、歩測の練習。それが終わると、参加者の一人に先導させて、他のメンバーはリロケートの練習。講習内容の基本的構成やその順序など、何一つ目新しいものがなかった。
 唯一学ぶべきだと感じたのは、常に質問ベースで講習が進められている点だ。参加者が基本的なナヴィゲーションスキルを持っており、人数が限られていることが前提になっているのも大きな理由だろうが、これから屋外講習の準備をして集合という時にも、「じゃあ、持っていくものは?」ここで、また参加者から「日焼け止め」(その日は終日曇りまたは雨の予報)という絶妙のジョークが出る。ガレ場にさしかかると、すっと、弱いメンバーの後ろについて何かあった時のフォローの態勢に入るのもさすがだ。後で聞いてみたら、ナヴィゲーションについては山岳ガイドのコースの中で習ったものだが、基本的には独学だというのにまた感心。
 この日は半分雨の中を一山回って来た。昼食も雨の中。核心部のピークからの下りの時には霧が出て視界が50mほどに。ナヴィゲーションにとってはうってつけの一日だった。

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▲雨がふっても無頓着。雨に対する国民性の違いか?

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▲珍しく晴れた一瞬。ヒースの丘のナヴィゲーションは楽しい

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2011/09/10

ウェールズ(2)

 9/8に、ベトウ・ア・コードからバスに乗ってプレシ・イ・ブレニンにやってきた。ここが登山研修所のある場所だ。実際には集落としてはCapel Curigにあるので、Plas-y-Breninは字名に近い。日本で言えば、「立山の登山研修所」じゃなくて「ブナ坂の登山研修所」と言っているような感じ。
 あると思っていた9:50のバスは、9/4までの運行であることに、バス停の時刻表を見て初めて気づいた。次のバスは10:50。しばらく駅の土産物屋やビジターセンターに行って時間をつぶす。10:50に来たバスに、行く先も確かめずに乗った。運転手がなんとなく怪訝そうな顔をしている。街の郊外の病院の停留所を過ぎると、前のおばさんが「どこにいくの?」と聞いてくる。「Capel Curigだよ」というと、バス間違っているわよ、と言う。そんなの聞いてないよ、っていうか聞かない自分が悪かったんだけど。じゃあ、どこで乗り換えたらいいのと聞いたら、そのおばさん、次の停留所で降りるときに、運ちゃんに、次で降ろしてあげてね、と言って降りていった。このお節介さが田舎な感じだ。運ちゃんは街に戻る次の停留所で降ろしてくれた。そういうことね。反対側のバス停に移って、バスを待つ。バスがほぼ定時に通過していたら、今の迂回路の部分で先に行かれてしまったかもしれない。幸いなことは、次のバスが30分後にあるということだ。待つこと5分、バスは遅れてやってきた。幸運なことこの上ない。今度はちゃんと「Capel Curig行くの?」と聞いたら、そうだと面倒くさそうに答えてくれた。その上、乗車扉を開けたまま、手放し運転だよ。なんかスナックの袋を破って、食っている。
 Capel Curigからは地図を見て約400mほど歩くとPlas y Brenin。なんだ、この字にもバス停あったじゃないか。受付にいって、電話で追加の宿泊頼んだんだけど・・・というと、ささっと受付してくれて、部屋へどうぞ。この時間から部屋に入れるとは思わなんだ。じゃあ、とっとと着替えてSnowdonにいこっ。登山道のある峠まで往復走るつもりでいたが、これなら30分後のバスに乗れる。これで峠まで10分少々でいける。
 スノードンはウェールズとイングランドでは最高峰なのだそうだ(1085m)。スランベリまでいくと、なんと山頂まで登山列車に乗れる。これがなんと蒸気機関車。北向きに傾斜が緩いとは言え、国内最高峰の山頂直下まで列車でいけるなんて、ちょっと感慨に欠けるなあ。こいつにはじじばばがたくさん乗っていたが、若者は歩く。学校の遠足とおぼしき高校生たちが、平日だというのにたくさん登っていた。ちなみにイギリス全体ではスコットランドにあるベン・ネービスが最高峰。これは1999年に征服しておいた。

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▲登山電車ならぬ登山列車。なんと蒸気機関車が押している

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▲スノードン山頂にて。貴重なポートレート。霧で山頂なんだか分からんが。

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▲パブリックアクセスが可能な場所は走りたい放題。トレランというよりもクロスカントリーとかマウンテンマラソンと言った方がぴったりくるか。

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2011/09/09

スノードニア国立公園

 登山関係の研究費を獲得したので、イギリスの登山研修所にいくことにした。リスクの多い自然の中での登山では、リスク管理が重要なことは言うまでもない。もちろん日本でもそのような研修は行われているし、リスクの中で先鋭的な登山をしているクライマーはいくらでもいる。しかし異なる環境と文化の中で、登山の指導者たちはリスクをどう捉え、対処しているのだろうか。基本的に命を守る行為は同じだとしても、全く違うアプローチがあるのかもしれない。
 同様のことはナヴィゲーションにも当てはまる。むしろ環境の特性に大きく依存するナヴィゲーションでは、環境による違いはより顕著なものになるはずだ。実践や研究を通して、ナヴィゲーションには共通の原理があることを見て取り、原理的な視点からナヴィゲーションを体系化してきたが、同時に環境に応じてナヴィゲーションの具体的なスキルが異なること、それに応じた適切な道具も異なることに気づいてきた。たとえば、イギリスで出版されたナヴィゲーションのテキストでは、特徴物としてしばしば「石垣」が登場する。産業革命に前後して、羊を放牧するために草原の丘が囲い込まれたのは、僕らにとっては歴史的事実だが、現在のイギリスでは、この時以後作られた囲い込みのための石垣が今でも残っており、しかも大縮尺の地図には記載されている。「これを使え」というのだ。これは単純な例に過ぎないが、他にも文化や環境に根ざしたナヴィゲーションの違いがあるかもしれない。諸外国でナヴィゲーションがどのように実践されているかを知り、原理をその実践と摺り合わせることは、いつか、英語で自分のナヴィゲーションスキルの体系をテキストにしてみたいと考える自分にとっては不可欠のステップである。今回のイギリス訪問の第二の目的はこの点だった。
 訪問するイギリスの国立登山研修所はウェールズにある。簡単に言うとブリテン島の西側といってよい。それがロンドンからどの程度の距離か、調べる前はほとんど見当がつかなかったが、ロンドンからその入り口まで、特急を乗り継いで約3時間。東京から新潟の南よりまでといった感じだろう。イングランドはほとんどが草原の国だが、山がちのウェールズにはスノードニアという国立公園がある。登山研修所はその東側に位置している。
 チェスターまでいき、そこからローカルに乗り換え、ウェールズに入る。さらに山間の谷に入る支線に乗り換え、ベトウ・ア・コードという街に着く。そこから「infrequent」なバスで約20分ほど。ベトウ・ア・コードには国立公園のビジターセンターもあり、地図なども購入できるので、そこで一泊することにした。降りてみると、いかにも山間の小リゾートという感じの駅で、駅前には、お土産から地図まで揃ったビジターセンターがある。そこで地図と今回の参考図書を手に入れる。ビジターセンターのスタッフは、いかにもイギリス的な老紳士。もちろん英語を話すのだが、スタッフ同士の話は全く聞き取れなかった。ウェールズ語なのだろう。イントネーションが北欧語の雰囲気を醸し出している。
 この日は、小雨だったが、近くの森に軽くジョギング。ヒースの丘がとっても印象的。景観はスコットランド、地形はノルウェーに似ている。ブリテン島の西側から北を抜けて、そのまま延長するとスカンジナビア半島にぶつかる。ひょっとして地質的には同じ区分に属するのかな?

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▲ベトウ・ア・コードの駅。ビクトリア調の瀟洒な駅。

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▲ビジターセンターには地図が充実していた。

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▲ヒースの丘が、10年以上前に訪れたスコットランドを思い起こさせる

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2011/09/06

揺れる

 きわどい意志決定を要求されれば、気持ちはポジティブにもネガティブにも揺れ動く。昨日の顛末では比較的ポジティブな側面を書いたが、その後もあれこれと考え、また考えさせられる情報が入ってくる。僕は根原の崩落を「コントロールの範囲内」と書いたが、その時、僕の頭の中には500人という大勢の集団をコントロールするというイメージはなかった。結果として宮内の状況判断にゆだねたのだから、チーム全体の意志決定としては間違って居なかったわけだが、自分としては大きな判断ミスにつながる思考様式だったと言える。
 危機管理に携わるあるランナーの方からは、基本的には主催者の立場に共感しながらも、冷静に10の中止すべき理由を書き送ってくれた。そのいくつは、当然私たちも検討に付していたものだが「●コース短縮により、本来のコースの魅力はほとんど失っており、単に「走らせる」だけのレースとなった。」「●主催者が開催と言えば、参加者は自己判断を放棄するし、さらに集団となれば不安が消え、個人による状況判断は期待できない。」といった視点を提示されると、確かに実施は主催者の自己満足だったのかもしれないとの反省も出てくる。
 事故報道の現状や、過失がなくても世論がどう振れるか、またそれがトレラン界やより大きな枠組みにおよぶ影響、報道各社が災害時にはセンセーショナルな「事故」や「被害」を探している。といった意見はとても参考になった。また●中止、開催の決定は、できれば前日までに知らせたほうが良い。
というのは、最大の反省点だろう。

 江川紹子が、オウム裁判の時に弁護士をした人にインタビューした時に、その弁護士が「困った裁判官というのは揺れないんですよ」という一言を、せめてもの慰めにしよう。

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2011/09/05

朝霧トレラン2011実施までの顛末

 週間天気予報では、週末は台風一過の好天。土曜日の設置ですらルンルン気分だろう。その期待を、天気予報は裏切り始めていた。さっさと通過するはずの台風12号は時速10km程度で、一行に進む気配がない。設置は仕方ない。当日さえ晴れてくれれば・・・。その願いも、金曜日には空しいものとなりつつあった。
 すでに金曜日には誘導テープの2/3は宮内・伊藤コンビにより終了していたので、土曜日は南側のテープ誘導設置、そして大量の雨の降った後のコース状況を把握することにエネルギーを投入することができた。
 気になっていたのは、2カ所。一カ所は朝霧名物の最後の2kmの涸れ川。水量が増えれば増水や濡れによるスリップの危険があった。もう一つは、竜ヶ岳南麓の巻き道。相当の斜面を横切るこの道は、山腹からの崩落などが予想された。この2カ所は最悪カット。そうすると、通常のミドルが折り返すA沢での折り返しに、後半部分も猪の頭まではいかずに、往路を戻る短縮コース。この時点での次悪の想定が、この短縮コースだった。僕は、午後15時ごろにはその両方を点検して、最終決断の素案を出す予定だったが、涸れ沢の状況は気になっていたので、センター所員と一緒にテープ誘導設置しながら状況確認をした。
 涸れ川の状況は予想以上だった。沢に入ってから300mくらいの地点で、すでに股下までつかる窪地があった。ここは左右に逃げられるとしても、その先は逃げられない。通常は溶岩が露出している部分は、「ここは赤目四十八滝か!?」と思うほど、それぞれに趣のある「滝」と化していて、センターの二人とともに大笑いした。その後も腰までつかるよどみ、相当量の水量の急流など、シャワークライミングに絶好の光景が続出した。特にひどかったのは139号のアンダーパス。水量はそれほどではなかったが、流れが速く、僕らですら足を取られそうだった。3人の一致した意見は、「とっても楽しい」でも「ここは使えない」。この状況を参加者の方々に楽しんでいただけなかったは全く持って残念なことだ。雨の降った時に、「自己責任」でやっていただくしかない。

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ここは奥入瀬渓谷か、はたまた赤目四十八滝か?

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ファイトー、一発! 

そのころ、往路から別れて南下するルートの設置をしている宮内から「麓の涸れ川を渡るのを断念しました」という電話が入った。普段は水量の全くない川が、相当量の流れになっているようだ。この二つの要因から、南部ルートのカットは僕の中では決定事項となった。
 午後、もう一つ気になっていた竜ヶ岳巻き道を山下さんと見に行った。同時に、宮内・伊藤には根原の5.6km地点からA沢までのエリアの確認を依頼した。この区間、一カ所深さ1mくらいのみぞ(普段は水なし)を通過することを思い出したからだ。A沢から東海自然歩道の巻き道に向かう箇所にも、沢を通過する部分がある。普段でも水量があるから、竜ヶ岳南麓どころか、おそらくここも渡れないはず。そう思いながら沢まで行ってみると、水量は確かに増えているものの、渡る時不安を感じるような状態ではなかった。その後の巻き道に至っては、一部に水の流れがあるものの、不安を感じさせるどころか、深い森に守られ、静かで落ち着いたいい雰囲気のトレイルになっていた。路面も適度に湿っていて心地よい。おそらく森の保水力が高いことと流域が狭いからなのだろう。僕と山下さんはこの部分をカットする実感的な理由を全く見つけることができなかった。むしろ、この区間こそ、明日のレースに使いたいくらいだった。
 ただ、この巻き道はところどころ急斜面と岩壁が巻き道に張り出している。雨中のハイキングで落石にあい中学生が死亡した自然体験では、学校側が書類送検ながら不起訴処分、不服申し立てを通してその却下に至った経緯を知っている僕としては、このエリアを使うことが即、危険回避義務違反に問われないだろうと判断することができたが、常識的にはあり得ないだろうという暫定的な結論に至った。昨年浜名湖で死亡事故を出している県立施設の一つとして、二回目の失敗は許されない、というよりも失敗のリスクを冒すことはできないのだ。

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巻き道への谷沿いは、意外なほど水量が少なかった(ここも日曜日には多少増水)

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7.1km地点。これは普通のランナーにはやや厳しいだろう。

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もともと窪地になっている5.6km付近以後の東海自然歩道はご覧のような冠水。

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最終的な意志決定の要因の一つとなった土砂の崩落。僕は、これはコントロールの範囲内と見たのだが、現地を見た宮内の意見は違う。

 その頃、伊藤から写メが送られたきた。腰まで水につかる宮内の写真と、沢の下流が急流になっている状況だった。腰まで水に使うところはオリジナルルート。その利用はこの時点であり得なくなった。元々東海自然歩道も、出水時はここは迂回ルートが設定してある。急流になっているのはその迂回ルートの方だった。しかも、その上流は倒木がストレーナーになっており、いつ崩壊して大出水するかもしれない。ここの横断はあり得ないだろうというのが宮内の判断。また139号をアンダーパスで通過する牛道も、増水しており、宮内は楽しいというけれど、ランナーには不安な状況だろう。
 確認からの帰り、涸れ沢の上流部を見たら、見事なほどに水が止まっていて、心が動いた。そこで、麓の涸れ川を再度見に行ったら、あり得ないくらいの出水で、やはり南部のコースカットは動かしがたいことを確認した。
 これらの情報を元に夜17時のミーティングでは、7.1km地点(迂回のため約8km)での折り返しが決まった。ただし、4.1km地点から斜面の脇を抜ける場所は、脇の沢の水量がそこそこあり、水は濁っていないものの、さらに増水の可能性はある。ここで通行が不能であれば、レースは最大9kmとなり、この場合は中止だろう。従って、朝6時の中止決定の前に宮内がこの地点を最終確認するとともに、その後もこの地点を注意深く見守ることを決めた。また、もし牛道の増水が激しければ、レースは中止し、この地点は139号を車の通行の支障のない範囲で平面横断し、記録は残すが順位はつけない記録会形式にすることも決めた。コース短縮は間違いないので、そのことと、それに伴いスタート時刻を繰り下げることも決めた。それによって、参加者も6時の決定を待ってから移動できる可能性が増えるし、できた余裕によって危険箇所に人員を手厚くすると同時に、朝の点検も十分行うことができる。
 その後も台風情報や天気予報、雨量、警報の出方は連続的にフォローした。警報は中止の自動的条件である暴風雨警報ではなかった。昨日気になっていた4.1kmからの地点についても、5:40の宮内情報からはリスクの増大を認めることができなかった。土砂災害警戒情報と洪水警報は出ていたが、それらのリスクのある場所は全てカットしたか、コントロールの範囲内で継続的に見守ることができているという確信が持てた。自然の中の活動は不確定さがあるからおもしろい。その一方で安全は確保しなければならない。そのバランスを取ることは重要だが、特に二度目の失敗が許されない県立施設であることを考えれば、そのぎりぎりの判断に同意してくれたのも、日頃から悪天候も含めたハードなキャンプを主催している20年以上の経験値の賜だろう。もちろん、フィールドでのアドベンチャーに卓越した伊藤・宮内の二人が、的確にコース内のリスクを把握し、正確かつ詳細に伝達してくれたことが、その支えになっていた。
 自分はと言えば、確かにレース短縮という得難い経験をさせてもらったけれど、経験値が上がったという実感は乏しい。主要な短縮の要因がリスクの見積もりによるのではなくて、腰までの水没やコントロール可能だと思われる土砂の崩落であった点にあるからだ。リスクの実感ではなく、「これ、普通だめでしょ」という常識に多くを依存していたからだ。もちろん、ぎりぎりの実感は、自然にはなじみのない一般ランナーの走る本大会にはふさわしくないことは承知している。
 こうした意志決定のプロセスと、その重要性は、参加者とも共有したくて、ウェッブには撮影した写真も含めた現状を前日午後と当日掲載するとともに、会場にも掲示した。参加者から不平不満が出ることへの不安があれば、意志決定はリスキーな側にシフトする。それはトムラウシなどのツアー遭難を見れば明らかだ。頭の片隅には、先週インタビューしたガイドさん(自身、いつ死んでもおかしくないようなクライミングをしている)が、「相手の人数が多い時は、最初っからリーダーシップをとることが大事なんです」と言った言葉が記憶の片隅にあったのかもしれない。的確な内容の情報を適切な方法で出し、参加者も納得してくれるはずだという主催者の確信は、安全な意志決定には重要なファクターになる。もちろん、ネガティブな印象だけを提供するのでなく、若干のウィットも込めて。
 レース実施の結果を参加者の方々はどのように受け止めただろうか?興味あるところだ。ざっと見たアンケートでは、悪天候の中、危険もなくしてレースを実施したことは評価されているようだった。ニューハレの芥田さんからは、「ただ中止とかやります、っていうのでなくて、こうこうこういう状況だからこうしました、っていうのがさすがですね」というお褒めの言葉をいただいた。

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2011/09/02

初心者向け研修、まだ募集中

静岡大学の公開講座として10月3日より開始する「安心登山のための読図とナヴィゲーションスキル:秋期基礎完全マスター編」、まだ定員に空きがあります。平日3時間を4回というスケジュールなので、かなりの初心者でもみっちり勉強できるが、一般社会人の方にはちょっと厳しいですね。

 初回は村越が、2回目から4回目は、元オリエンテーリング日本チャンピオンの松澤が担当します。

詳しくは、

http://www.shizuoka.ac.jp/event/detail.html?CN=703

こちらから。

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北アルプスから登山研修所へ

北アルプスを2日ほど歩いた後、立山の登山研修所に1泊した。翌日から行われる大学生向け研修会の講師にインタビューするため。国立の研修所がやるだけあって、講師も若いながら一流。先鋭的クライマーが何人もいる。彼らは、客観的にみたらいつ死んでもおかしくないようなクライミングに対して、いったいどのように思っているのか、とりわけそこでのリスクをどう考えているのかが、インタビューの趣旨だった。

それはそれはすごい体験なのだが、淡々と話す話しぶりとのギャップが面白い。またこちらがちょっと話しをふると、すごい勢いで、細部に至る体験を思い出し、語ってくれる。家に帰って、枕元にほったらかしにしてある山と渓谷や岳人のクライミング記事を見ていたら、彼らの手記だった。さっさと読んでおけば、もっと突っ込んで話しが聞けたかと思うと残念。

 その晩は、早朝不快感で目覚め、動悸と意識消失感で、結局救急搬送。その時はSPO2値も94だったので、確かに低酸素状態だったのだろう。なんでもなかったのだが、脱水とか、疲労には注意しないといかんなあ・・・

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