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2011/08/01

震災の記憶

通常でも新聞は1月くらいためてみるが、3.11以後、意識して2月くらいためてからみた。3.12~14の新聞は今もとってある。被災しなかった自分にとって、あの時のショックが今ではほとんど消えかけていることを、当時の新聞を見ると痛感させられる。

災害の記憶というテーマで研究を始めようと、数人の学生に予備インタビューをしてみたが、駿河湾沖地震の記憶さえ、自発的にはでて来ない学生はいるし、そこで何か教訓を得たり、行動を変えたことがあるかという質問に対して、肯定的な回答をする学生は皆無に近い。人間、相当痛い目に遭わない限り、防災行動を積極的にトルようにならないものだ。

 その記憶ですら、必ずしも汎用性があるものではない。チリ津波の記憶で逃げおおせた人もいれば、それでも逃げられなかった人、あるいは「あの時はここは大丈夫だったから」と被災した人もいる。力を入れた防災教育を行った釜石では小中学校での被害者は、その日通学していなかった人がほとんどだったが、防災教育にもかかわらず多くの被災者を出した街もある。また、壊滅的な打撃を受け、助かったのは保護者に連れ帰られた児童が中心だったという学校もある。これらの結果から、一般的な将来への指針を導き出すのはかなり難しい

 

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