この目で見ておきたい。ただそれだけで東北にやってきた。特に被災した教育施設。5ヶ月も経ってしまった今、見て何が分かる訳でもないかもしれないが、これからの防災教育を考える時、被災した学校を見ておくことはmustのように思える。何が得られるという確信はないけれど・・・。
初日は、仙台から海岸方面を目指し、まずは避難指定地になっていた東六郷小学校を見た。片付けられているとは言え、1階は間違いなく津波の襲来を受けている。5ヶ月たっても、施設再開の見込みさえ見えない。
その後、塩竃、松島を通過して野蒜小学校に向かった。塩竃周辺は大きな打撃を受けているようには見えないが、海岸沿いに、再開の見込みが全く見えないコンビニが多数見られた。放置されたものと復興しつつあるものの落差が大きい。
松島は確か震災の比較的直後から、「あまり被災していないので、ぜひ観光に来てください」的キャンペーンをしていた。今日はたくさんの観光客が歩いていた。駅前も中心のお土産屋も海岸から数十mでほぼ海抜ゼロメートルに近い。被害はゼロではないようだが、相当内陸まで被害を受けた若林区の状況を見てくると、見かけは日常に戻っている松島が不思議に思える。
東松島市の野蒜小学校は避難指定地になっているが、報道によると数十人がなくなっている。確かにここも海抜はほぼゼロメートルだ。校舎はしっかりしているが、一階がひどく破損して、ここも校舎の再利用の見通しはついていないようだ。校庭には仮設住宅の建設用土台とおぼしきものが立ち並んでいる。背後には浸水しなかった丘陵があり、そこにつながる道もある。どうしてこの避難地で数十人もなくなってしまったのだろう。
そこから石巻に向かう。途中、仙石線上の列車が放置されている。汚れても破損もしていないので、ここまでは津波がこなかったのだろう。仙石線は、駅や線路も破損して、復旧の見通しは全くたっていないようだった。たった半年なのに、随分前に廃線になってしまったような姿が哀れだった。
東松島市の浜市小学校は避難指定地になっていたが、津波が2階にも押し寄せた様子で、がれきは片付いていたが、校舎内部は全く手つかずだった。当初2階に避難していたが、先生の機転で3階の音楽室や屋上へ避難して、学校のいた児童たちは何を逃れたようだ。ばあちゃんのところに夏休みで来たという仙台の兄弟が校庭で遊んでいた。太白区だが、津波がすぐそばまで来たということだった。
石巻も中心市街地は被害を受けたようだが、駅周辺は破損して占められている商店がいくつか見られたが、それ以上津波被害を感じさせるものは何もなかった。ネットで見たホテルのたぐいは全て満室。駅前の交番に言ったら、旅館・ホテルのリストが用意されていたが、その多くはすでにネットで×だったところばかり。いくつかの旅館にあたって、ようやく宿が取れた。若い警察官が親身になって手伝ってくれた。
若林区の東六郷小学校。「指定避難所」の倒れた看板が痛々しい
おそらく浸水は受けただろう松島海岸は、しかしそれを感じさせない程度には復興している
復興の兆しさえ見えない仙石線の東名駅。線路も撤去されている。
石原都知事なら「本州最大の鉄道事業者としての使命と責任を忘れている」というだろうか?
数十人の犠牲者が出た(児童かどうかは不明)と報道されている野蒜小学校。何事もなかったかのような校歌の石碑と何かが突き上げたような天井の穴が対照的。
放置された仙石線の車両

東松島市浜市小学校。ここも避難指定所だが、最終的には2階にも浸水。左の方にかすかに見える3階部分の音楽室に避難して、犠牲を出さずに済んだ。
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