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2011/08/03

I am a student

 僕が出た爆問の直前に、研修医4人が登場する新番組をやっていた。患者の訴えをドラマ風に再現し、それをもとに彼らが病名を推理するという番組だ。最初彼らが解答した病名が実際の病名と全て違っていたことにも驚いたが、それだけなら、ただのクイズ番組と変わらない。興味深かったのは熟練の指導医が、少しづつヒントや考え方を示しながら、真の病名に近づいていくプロセスだ。患者の症状から候補をいくつかの考えられる病名を挙げるところまでは想像できる。その先、指導医は、「・・・、でも痛みはない。ということは?」とたたみかけていく。考えられる候補を挙げて、この症状があるはずだけどない、だから違うと、候補を消去していく背理法の原理だ。これは、ナヴィゲーターが曖昧な自然の中で駆使してくるテクニックに似ている。病気だって自然と同様、簡単に命名できない曖昧な世界だ。そこで意味がある情報を見つけ出していくには、考えられる候補間の比較から、要求される弁別情報の精度を設定する必要があるからなのだろう。考えようによっては医師への不信を高めることにもなりかねない番組、裏事情もあるだろうが、よくがんばった。
 ディープピープルも相変わらずがんばっている。昨日のテーマは指揮者。大御所、中堅、若手のホープの3人が参加する構成は変わらないが、さすがにいずれも世界を股にかけてあるくマエストロだけに、ディープさも半端じゃない。名前は忘れちゃったが、一番若い緊張しいの指揮者は、団員とけんかして、団員も観客も帰ってしまう夢を見るという。蛇足だが、彼がその番組に出ているということは、それでも彼は素晴らしい演奏を作り続けているからだ。そんな夢を見ようが、「私たち、あなたより遙かに名声のある指揮者と、遙かに多くの回数この曲をやってきました」と言われようが、前に進むからこそ、評価される。その一方で、大御所「炎のコバケン」は、自分の思いを正確に演奏に反映するため、懇願するようにオケに「何度も止めてごめんなさい。ここは・・・にしたいんです」と言う。そのコバケンも、演奏前は控え室で全裸になって、独自のリラックス体操をするという。2000人の前で評価される演奏をする緊張との闘いは狂気と紙一重なのだろう。
 スタイルの違いはあるが、思いは一つ。楽譜の背後にある作曲家が描いたであろう世界を再現すること。楽譜に書いていないことを読み取る、これも熟練したナヴィゲーターに似ている。
 NHKの知り合いプロデューサーに「ディープピープル出たい!」と言ったが、ごめんなさい、まだまだ青二才でした。もっと精進して、自分の世界を極めます。

以下うんちく。
(studentは「学生」と訳されるが、修行中の身という意味もある。統計学で有名なt分布はゴセットの発見だが、スチューデントのt分布と呼ばれることもある。これはゴセットがペンネームのスチューデントで発表したから、謙虚ですねと、大学院の授業で習ったことがある。2000年に僕が国際連盟の理事に選ばれた選挙の時、僕より遙かにキャリアもあって大国を背負うノルウェーのオイビン・ホルトが、「敗戦」の演説でI am a student」と言っていたことが、今でも耳に残っている)。

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