原発報道と未熟なオリエンテーリング
学生のランニングオブザベーション(走りながらのオリエンテーリングの様子の観察)をした。はっきりした特徴がある場所での走りは一月前と比べて格段に良くなった。元々不整地でのフィジカルは悪くないので、これが安定してできるようになれば、女子のトップレベルが狙える。 一方で、曖昧な場所にくると途端にスピードが落ち、立ち止まって地図を読む回数が増え、動きがおぼつかなくなる。想像はできたが、それを確認するために考えていることを「実況中継」しながら走ってみてもらうことにした。トレーニングの一環で行うことがある「スピーキングO」という手法だ。 彼女はルート上の特徴を地図から点状に読み取る。しかし、この先どうなるのか、周囲にどんな特徴的なものがあり、進路をそれるとどうなるかについて、ほとんど言葉にできない。未知の自然の中では進路が思い通りにならないことは常だから、その誤差を予想し、それに伴うリスクを想定するとともに、そのリスクをコントロールしなければ、自然の中のナヴィゲーションに成功はない。「今に対する断片的な実況中継」は、原発事故の報道(あるいはその元になっている東電の情報把握)みたいだ。 ラフとファインに対する考え方を持ち合わせていないことにも衝撃を受けた。ナヴィゲーションでは、上記の理由から、誤差によるロストのリスクを正確に見積もることと、それに応じてリスクを高いレベルで管理しなければならない区間をファイン、そうでない(リスクを管理しなくていいのではない。低いレベルでの管理で十分な)部分をラフと呼んでいる。より高いレベルで走る上での必須の考え方だ。彼女はファインはやっていというが、行動を観察し、やっていることを聞き出し見ると、単にラフを短い区間で繰り返しているだけなのだ。つまり、ちょっとだけ動き、立ち止まり周囲を見て、その特徴からいる場所を地図上で確認し、次の区間に移動する。細かいリロケートを断片的に繰り返している。確実な手段と精度の裏付けによって、確実にある場所に着くことを保証する本来のファインとは別ものである。これも原発の報道(対応?)みたいだ。 彼女と二人で彼女のオリエンテーリングを解きほぐすことで、僕は自分が当たり前のようにやり、そして時にはできていないことを明確に意識することができた。ラフとファインについても改めて考え直すことができた。それ以上に、ナヴィゲーションの発想が、未知を含む事象への対応を考える参考になることを、改めて意識できた。
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