« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »

2011/02/26

スタートまでの遠く険しい道のり

富嶽周回の準備で、富士宮で自然保護活動を続けている方にお会いしてきた。

つくづく、世の中には多様な考え方があるのだという当たり前の事実を思い知らされる。確かにトレランをしていれば、登山者からのクレームだとか、自然を破壊するのではないかという世間の評価があることは分かっている。だが、実際に自然保護活動をしている方から現場での経験を元に話しをされると、そうかあれもこれももっと注意しなければならないのだということに気づかされる。

 互いに、相手の全てを納得できないということは、双方に理解している。こちらも所詮人様の土地を走っている身だし、「富士山の自然に対して何をしている?」と問われれば、返す言葉もない。それでも、前回の経験から、走った人の多くが富士山への見方を変え、ただ遠くから眺めたり山頂に立つのとは違う富士山への愛着を感じたことは確かだし、こちらもその実践の上に立つなら、それもまた富士山の自然やその保護への理解につながるはずだとしか言いようがない。

 ストックの使用はもっての他。テープや看板には主催者名や日付を入れる。これらはごもっとも。携帯トイレを使う。なるほど、しかし、それって地球環境全体を考えたら、むしろよりごみを増やしているってことはないんだろうか?

 そんな複雑なバランスの上にトレランイベントが成り立っているのだということをきちんと伝えることがせめてもの役割なのかなと思う。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

トレラン王国

 なんていう名前の雑誌が少し前までにあったな。今の静岡はまさにトレラン王国への道を歩みつつある。もともと相馬さんや望月さんような優れたランナーがいた。環境は悪くない。富士山麓はもちろん、政令指定都市の静岡市内ですら、さがせばいくらでもトレイルがある(まあ、3000m級の山でさえ6座もあるからね)。そして、今やランナーたちのアクティビティーも高まり、既存のレースに出るだけでなく、自分たちでレースを作ろう、盛り上げようという機運が高まっている。
 そのコアとなっているのがアラジントレラン部だ。望月さんというヒーローを始め、熱意ある人が時を同じくして集まったのだ。体調不良で後ろ向きだったけれど、海野店長の「気楽に愉しいイベントにしましょうよ」の後押しでトランス静岡の準備を本格化させた。名前は「トランスジャパンアルプスレース」のぱくりである。でもちゃんと静岡市はトランスしている。コースは一級河川の安倍川源流安倍峠(地形萌えポイントである)から見事なまでに一本の尾根を下ってくる見事なトレイルだ。しかも第二東名で尾根を切断されてしまった場所を除くと、前半約35kmは一本の林道すら横切らない。フォッサマグナの作った急峻な地形ならでは奇跡だ。
 そんなイベントを構想して、トレラン部でスタッフを募ったら、あっと言う間にスタッフが集まった。望月さんをはじめとする中核となるランナーたちが、「なんでもやりますから」といってくれるのが頼もしい。トレランとしては希有なほど地域スポーツクラブらしく成長しつつあるアラジントレラン部が自ら愉しみ、そしてその愉しみを愛好者と共有するトランス静岡は、トレラン界に一石を投じるイベントになるに違いない。
 コースの多くの地点から富士山が見え、そして青くかすむ連山の向こうに静岡や清水の街が垣間見える。参加者がその光景にinspiredされ、その楽しさを誰かに伝えるという連鎖ができることを期待したい。
 わくわくして、またまた不眠症になりそう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/02/23

悪魔のささやき

 森の中を走っていると、自分が踏みつけた枝が跳ね返って脚に当たるみたいだ。鋭い痛みとピシッという音とともに、筋肉に強い収縮が起こって、その後痛みがでるという経験を、何度かしてきた。全日本リレーの前日トレコースも、2番への登りでふくらはぎに鋭い痛みが走った。念のためスピードを維持してみると痛みは増し、軽い吐き気感さえある。やっちまった!患部は明らかに腫れ、熱を帯びている。チームメイトの和久田に確認してもらうが、間違いなかった。
 田濃監督には、場合によっては選手交代の可能性があることも告げた。体調が悪くないだけに、ショックは大きかった。期待という認知的成分がなくなった生理的覚醒状態は不快感以外の何者でもなかった。唯一の救いがあるとすれば、今回の大会ではトレーナーの方が会場で選手のサポートしてくれることだった。歩いたり走ったりができないほどの痛みではない。彼らならなんらかの知恵があるだろう。
 当日の朝、トレーナーの方に挨拶をし、「恥ずかしながら、僕が第一号の利用者になってしまいました。」といいながら、施術をしてもらった。昨日の様子や、これまでにも似た状態があったことを告げると、「肉離れじゃないと思いますが、切れているかもしれませんね」という回答だった。これまで何かがあたっていたと思っていた音と鋭い痛みは筋断裂だったようだ。
 見てもらった高橋先生は、丁寧にマッサージをして筋の緊張をほぐしてくれた。足の形や親指屈曲の不足がこの障害の原因だろうということも教えてくれた。「足底盤入れたら、走りが劇的によくなりますよ。また全日本がねらえます。」悪魔のささやき・・・。
 レース展開がやや消極的だったのは仕方ない。昨晩の時点では、走れるかどうかは五分五分だと思っていたことを考えれば、順位を下げずに還ってこれただけでも上出来だ。12月以来の期待感、失望、緊張、不安、忍耐、全ての精神状態を満喫した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/02/19

森が変わる

 富士山南麓でオリエンテーリング活動をしていると、1990年代半ばから森が変わり始めたことに気づく。一つはそのころの台風で杉檜の植林の大きな打撃を受けたことと関係して、ブナなど自然林に近い森づくりが行われるようになったこと。もう一つは、間伐が行われるようになったことだ。それまでの富士の森といえば、いわゆる「スーパーA」と呼ばれる下草の全くはえない、通行可能度抜群の林がもてはやされていた。しかし、この状態は林業的に見れば、林床に全く陽が入らない不健全な状態なのだ。それが放置されていたのは、間伐が経済的に割に合わないからなのだ。
 ところが1990年代後半から、この地域で間伐がかなり計画的に行われるようになった。1989年の全日本で使われた富士愛鷹は、東半分が高密度の林道で覆われ、間伐が入った。現在村山口でも林道作成と間伐は進行中である。村山口でのイベントを控えて、なぜだと思ってウェッブで見ていたら、高密度の林道と施業方法によって経済的にも引き合う間伐方法が採用されたということが分かった。
 18日、富士宮市役所で開かれた「富士山自然の森づくり」の講演会に故あって出かけた。台風による風倒木を契機に、自然林の復元を実際に行ってきたグループの顧問を務める渡辺さんの講演だった。渡辺さんは地元出身の元東大農学部の教授である。
 彼の講演を聴いて、それまで自分の中で断片的だった事実が、ようやく一つにまとまった。全ては彼の「仕業」だったのだ。不健全な状態の人工林を健全に戻すためには、高収益の間伐事業を行うことが必要である。彼はそのための方法論をまとめ、実行した。たとえば林道の勾配は6%に押さえる。また、地山の流水と路面の流水が連続しないように、林道の山側にL字の側溝を作る。それによって流水は地表面から速やかに地面にしみこむことになり、土壌の流亡も最小限に押さえられる。林道には普通まくはずの砂利もまかない。ところどころに大きな透水穴を掘り、そこから積極的に雨水を地下に入れる。こうすることで林道の維持費が90%も!削減できる。それによって、1haあたり10万円の利益を山主に還元することが可能になるという。
 全日本の地図調査をしながら、どうしてこんなに曲がりくねった林道が造られているのだろう、どうして、あちこちに2m深の穴があるのだろうと不思議に思っていたのだが、全ては渡辺さんの仕業だったのである。
 彼は退職金どころか奥さんの貯金までつぎ込み、施業用の重機を開発した。彼の試算によれば、この重機が2000台とそれに見合うオペレーターが居れば、日本全国で外材に対抗しうるコストで間伐が可能になる。この間伐を8-10年周期で繰り返し、最終的には1haあたり100本の木を残すことで、150年後には1本10万円、1haあたり1000万円の価値のある材の形成が可能になるという。精緻な計算と時間的なスケールのアンバランスに目眩がする。
 こうした施業によって、富士愛鷹の森は、見事なまでに一定の傾斜の林道網で覆われた反面、私たちオリエンティアにとっては、やっかいなやぶに覆われることになった。
 これまでのような、「とにかくまっすぐ進んでなんか見てコントロールに近づく」という大雑把なオリエンテーリングは、渡辺さんの森では通用しない。オリエンティアにとって、新たなチャレンジが富士の森に用意されつつあると考えることもできる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

嬉しいこと

 このところ立て続けに所属している地域クラブの静岡オリエンテーリングクラブに入会があった。そのほとんどがロゲイニングをやって、強くなりたいから、もっとナヴィゲーションスポーツを深めたいからという人だ。形態からいっても環境からいっても、オリエンテーリングは決して間口の広いスポーツとは言えない。それ自体は一定以上どうすることもできない。しかし、ロゲイニングのように間口の広い、なおかつオリエンテーリングと特性的に類似したスポーツがあれば、そこからより深いものを目指してオリエンテーリングを始める人がいるのはごく自然な流れに思える。たとえて言うなら、1500mを最初から始めようという人はいないが、ジョギングを始めようと思う人はいる。その中で自然に過酷な1500mという競技に目が向く人がいるだろうし、そういうつながりが生まれるように努力することが、オリエンテーリング普及の重要かつ有効な戦略だという思いを新たにした。
 9月の朝霧トレランに富士山麓に住む相馬さんを誘ったら、快諾の返事に加え、富嶽周回にも、トランス静岡にも出たいという希望、さらに、過分なイベントへのお褒めの言葉を頂いた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/02/14

雪の山はとーもだち♪

週末は朝霧野外活動センターで、指導者講習だった。焼く

日半もらってナヴィゲーションについてじっくり講習を行った。

 この週末はあいにくの雪、初日の午後は外にでるのも億劫なほど雪が積もっている。

ところが雪が降るといいこともあるもんだ。夜の等高線の授業では雪を積んで山を作って、ほらこのとおり!雪を積んで喜んでいるのはみんな講師だ。等高線を描いてみると、地形との関係がよく分かる。

Simg_8254

Simg_8262

 翌日雪はやんだので、山を見に行った。雪がふった冬山は地肌が見えるので、木の枝と地肌のコントラストがはっきりする。尾根谷がわかりやすいのだ。

こちらも、雪でむしろ講習がしやすくなったくらいだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

おまえはもう死んでいる!

 江戸時代に群書類従を編纂した塙保己一は、記憶力が抜群で(ちなみに彼は盲目であったので、そうでなければ、古今の書物を編纂することはできなかっただろう)、蔵書200万冊(だったかな?)をすべて暗記していたのだそうだ。その彼が晩年歌会で50首の短歌を聞いたが、家に帰って47首しか(!)思い出せなかった時、「こんなに物覚えが悪くなったということは、今年中の命か」と漏らしたとか。
 今週末のロゲイニングにいく準備をしながら、その一方で手配すべき賞品を来週まででいいからと、なじみのスポーツショップに告げていた。保己一に比べるべくもないが、こんな記憶力じゃあ、今年どころか、「おまえはもうすでに死んでいる」、だな。
 確かにこの半週間の実体のない疲労感は、ひどかった。意識の飛びそうな時に走るもんじゃないな。4日たって、ようやく少しづつ回復。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/02/10

マイクロレーサー

 エバニューの新しいカタログに「マイクロレーサー」が載った。この春から日本でも販売が開始される。だいぶ前にもこのブログでも紹介し、講習会でもことあることに紹介してきた。試用してもらったほぼすべての人から「使いやすい」「ほしい」という感想をもらっていたので、早く日本でも一般経路で入手できるようになってほしいと願っていたものだ。
 度数もプレートもないコンパスだが、指につけられるので、歩きながらでもすぐに方向の確認ができる点が、このコンパスの最大のメリットである。特に下山路では、尾根や道の頻繁な方向確認が要求されることがあるが、そんな時にも瞬間的に方向を確認し、正しいルートなのかルートを外しているのかを判断することができる。プレートがないデメリットも日本の通常の登山では問題にならない。むしろプレートのないこのコンパスで何ができるのか、という考え方がコンパスという道具を使いこなす大きなステップになってくれるはずである。プレートが必要な登山をする人は、さらにプレートコンパスをザックやポケットの中に偲ばせておけばいいのだ。
 カタログには、オリエンテーリングの初級者用といった紹介があるが、むしろ登山やトレイルランニングをやっている人に日常的に使ってほしいコンパスなのだ。カタログの記述はその点がやや残念ではある。このコンパスが普及することは、プレートコンパスの呪縛からアウトドア活動者が解放されることでもある。

ちなみに価格は2100円。この値段もやや残念。でもそれだけの価値は十分ある。

Microracer

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/02/07

里は・・・

 安倍川と大井川に挟まれた黒俣地区から本川根の無双連山周辺には、山間部に小さな集落が点在している。谷沿いならまだしも、幡住や小猿郷は、今でこそ尾根から降りる車道があるが、昭和中期までは沢沿いに入る道がなく、山道を数キロに渡って歩かなければつけなかったと思われるような集落だ。小猿郷にある神社の縁起には、やはりというべきか落人がこの地に住み、神社を祀ったという記述があった。小猿郷は残念ながらかつての山道は廃道になって走ることができなかったが、幡住の方は往事のアクセス路と思われる地図の道がまだ残っていた。
 沢沿いに道のなかりけるを、古き山道を辿りて訪れるも、いとおかし。

▼なぜこんなところに、と思うような山奥にひっそりとたたずむ小猿郷の集落。望月将悟さんにとっても最近このあたりが「熱い」らしい。

Simg_5839

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/02/01

有度山三昧

週末は有度山トレイル三昧だった。トレランには定員を超える応募、ロゲイニングには定員近い応募があった。シリーズ戦にも入らなかったが大人気だ。トレラン参加者がロゲイニングにも出てくれたのが大きい。もともとそういうつもりで始めた二日間イベントだったのだが、昨年までの二回は、両方でた人は10%強じゃないだろうか?ちょっと寂しく感じていた。

 日本のアウトドア界は、個々の種目の垣根が高いので、それを壊す一つの材料になればと思う。

 二日目はあまりに寒かったので、終わってから近くのスーパー銭湯にいった。いきなり「チーム遠足」のWさんにあい、洗い場に座ると、隣の人も参加者で、出てきて桟敷に座ると隣も参加者だった。レース後のインフォーマルなトークが楽しかった。

 これで秋から冬のイベントシーズンはおしまい。次は春から初夏の怒濤の3大トレラン。2-3月はゆっくり充電して、研究もしないとね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年1月 | トップページ | 2011年3月 »