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2011/01/27

ほんとに久しぶりに12分間走をした。クラブのトレーニングを改革したいという学生の相談に応じていたら、インカレに向けて、1月は「自分を知ろう」という期間になり、その一環として走力を知るために12分間走を行うことになったのだ。静大を指導しはじめた当初は毎年2回くらいやっていた。やらなくなって10年以上たつ。僕自身10年以上ぶりだ。3240Mは、最近のトレーニングや体力状況を考えると、まあがんばれたと言えるだろう。3400Mまで持ち上げることができれば、十分エリートでも戦える。ふくらはぎの疲労が心地よい。

PEAKSの「山岳遭難エマージェンシーBOOK」が届いた。全体構成は悪くないが、本誌の比較的最近の記事の流用(ホーボージュンのエマージェンシーキットなど)が結構目につくのはいただけないなあ・・・。でもけっこういい本P93の地図を使ったリスク管理、やってみてください(これも使い回しだけどね)。

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2011/01/25

専門家

 「浜はうど浜・・・」平安時代からの絶景の地、それが清水なのだ。それを今回の有度山ロゲイニングのキャッチフレーズにしたのだが、念のため図書館で注釈本に当たってみた。なんと枕草子には異本が4つ。そのうち能因本では「浜はそとの浜」となっている。一方三巻本では「浜はうどの浜」。境本と前田本は三巻本が底本らしいので、ここは能因本vs三巻本という構図になる。
 アシスタントの姉が高校の国語の先生なので聞いてみた。単純に言うと能因本の方が信頼性が高いらしい。文字面を見ていて気づいたことを聞いてみた。「「そとの浜」と「うどの浜」、かなで書いていたら似てますよね。それに二つ目以降の浜の名前はみな固有名詞なので「そとの浜」は不自然、かなを書き取りか読み取り間違えた可能性はないんでしょうか?」
 彼女曰く、「そとの浜という概念的なものが挙げられているなら、対比概念として「うちの浜」があるんでしょうね。それに対して「そとの浜」の方が趣深い、その後固有名詞を挙げるという構成も、るいじゅう段(漢字不明)ではあるんです。」確かにそう言われてみると、比較対象の「うちの浜」(たとえば瀬戸内海とか(?))よりも(荒々しい「そとの浜」が良くて、「具体的には・・・浜」だという構成もあるような気がする。るいじゅう段には、「森は・・・」「川は・・・」といった、「あんたも実は地形萌え?」と思うような段がいくつもある。当然内容的な深みはないので、入試には取り上げられない。「日記段はわかるんですけど、るいじゅう段はあまりなじみがないので・・・」と彼女は謙遜するが、専門家だけあって、視点は明快かつ説得力がある。

(彼女はなんとその晩、大学時代の恩師にまで電話をして、この件を調べてくれた。「論文が書けそうなほど」面白かったとか・・・)。

 清少納言が書いたというのはもちろん売り文句だが、異本で間違えられた(?)ということは、それだけ人口に膾炙していたことの証でもある。平安時代、各地の景観の情報はどのように都に伝えられていたのだろう?

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2011/01/22

有度山の準備

来週末の有度山に向けて、コースの下見とレース開催案内その他やってきた。ハイキングコースでは、ご夫婦で走っているアラジントレラン部の方とお会いした。最近は有度山周辺でも、いかにもトレランという格好で走っている人をよく見かけるようになった。

 レース開催がその一つのきっかけになったのかなと思うと、ちょっと嬉しい。

Img_5652 

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 学校ではクラスの目標づくりが学級活動で行われる。「明るいクラス」にしよう「みんなで仲良く」といったあれである。学級活動の観点からみても、目標づくりは自主性や実践性がないという問題がある。加えて、目標設定の観点からは、目標に具体性も定量的な指標もないという問題がある。さらに悪いことに、現状を無視した目標が設定されたり、その後なんのフォローもないことも多い。何かを成し遂げるという点で、いい加減な「目標設定」が多くの学級で行われていることの弊害は大きいと思う。まっとうな神経を持った子どもなら、「目標を決めることは(現実とは無関係な)儀式なのだ」と思ってしまうだろう(自慢になってしまうが、私も小学校3年生の時、このような目標に疑問を抱き、より具体的かつ定量的な目標である(という言葉を意識できた訳ではないが)『走り幅跳びで2m60を越えたい』と書いた。)
 教職の授業で、目標設定の問題点を取り上げたら、さすがに賢い教育学部の学生だけに、上記のような問題はだいたい把握できていた。そこで一つの設定枠組みの例として図のようなものを提示し、それを元に、「自分たちの専攻(をクラスに見立てて、その問題点の把握と目標設定をしよう」という授業を行った。
 目標としてあるグループが出したのは「静大の顔になる」。具体性はないが、設定プロセスで補えるので、よい目標である(正確には「夢」である)。別のグループは「時間を守る」との目標を上げた。目標を達成できた時、どんなふうに感じるのか?という問いの答えに愕然ともさもありなんとも思った。「時間を守る」に対しては、社会人としても通用する(だったかな)だった。そうなのだ。「時間を守る」は目標ではなく、手段なのだ。 もっとがっかりしたのは、いい線いっていると思った「静大の顔になる」に対して、責任感・自覚が生まれるという指摘があったことだ。もちろん責任感や自覚はうれしい人もいるだろう。今度は逆にこれが手段になっているように思える。試しにこれらを本当に「うれしいと思えるか?」と問うと、手を上げた学生はわずかだった。目標を「わくわくするような嬉しいこと」とは捉えていないようだ。
 日本の子どもは夢がないと言われる。義務や手段と目標を混同する儀式的な学級活動を12年間も続けてきたことにもその一因はあるように思える。

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2011/01/21

有度山プログラム公開

おかげさまで有度山トレイル三昧は、トレラン160名、ロゲイニング90組強の参加をいただきました。

プログラムを公開しています。

http://homepage2.nifty.com/MNOP/event/udoyama1101.htm

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2011/01/19

英語で書け

 後期の授業の準備の一環で、認知心理学の英語のテキストを通読した。定評のある教科書だが、古い版をなくした。今年発行された最新版を買ったのだが、古い版をなくしたのを感謝したくなるほど面白かった。それだけ改訂に著者がエネルギーを注いでいることにも胸を打たれた。
 先行情報に続いて提示される情報処理が(しばしば無意識のうちに)促進されるプライミングという現象の説明の中で、カプランという研究者のエピソードが紹介される。「彼の実験の被験者は、(普通あり得ないことだが)学位論文審査会のメンバーであった(日本では、だいぶ前だが審査結果に悲観して自殺者が出たことがあった。学位論文審査会とは学位を習得しようとする人にとって、それくらい高いハードルである。その審査メンバーを対象に実験すること自体、日米の違いが出ていて面白い)。私もその一人だった。彼は、いくつかのなぞなぞをだした。『緑の家の中に白い家があり、その中に赤い家がある。その中には白人(whites)と黒人(blacks)がいる。これなあに』。私は恥ずかしいことにそのなぞなぞが解けなかった。カプランは、テープレコーダーとマイクロフォンを渡してくれた。これから一週間のうちに、マイクロフォンが不定期にビープ音を発する。その時、なぞなぞの答えを思いついていたら、録音してください。・・・私はある時、トイレから出てきて、突然答えが閃いた。『俺って天才!』と思って、次のビープ音の時に、「答えはスイカだ!」と意気揚々として吹きこんだ。
 実はトイレにはスイカの絵がカプランによって張られて(プライムされて)いたのだが、私はそのことには全く気付いかなかった。これはただ一つの問題に対するまぬけな被験者の逸話に過ぎないのだが、被験者全体として(その中にはノーベル賞受賞者もいたのだが)、プライムされたなぞなぞはそうでないなぞなぞに比べて2倍の正答率だった。」。
 海外の研究生活を羨ましいと思うことはめったにないが、こんなエピソードを聞くと、羨ましく思う。ゼミでは常々心がけてはいるが、そんなおもしろさを味あわせてくれた学年は数えるほどだ。
 ほったらかしにしていた論文を改稿のために読み直している。日本語で投稿するつもりだったのだが、「英語にして、この結果を世界に向けて問え!」そんな内なる声が聞こえてきた。

余談:
 先日のセンター試験現代社会の第一問は音楽番組のDJの語りという設定で「今の曲はプリンセスプリンセスの「diamond」でした。と始まり、ありえないことだが、音楽業界の状況が語られ、そこが設問に使われ、最後が「ところで今日は、センター入試の日ですね。次の曲は受験生への応援ソングです。受験生のみなさんがんばってください!」で終わる、思わずほほえみたくなる設問だった。

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2011/01/13

遭難座談会、もういっちょ

遭難座談会の話題で面白かったのは、「実は歩行技術って大切なんじゃない」ということだった。歩くことなんて当たり前。誰もがしている。でも山でちゃんと歩けている人は少ないというのがお二人の分析だった。

 まずペースが速すぎる。一定の心拍に押さえようというのはトレーニングを積んだ僕らだとあるが、一般人にはあまりない発想なのかも。運動生理学を見れば、この程度の心拍なら運動を継続できるといった目安がある。ペースが速すぎるので、どうしても疲れがちになる。なると足下ばかりを見ることになる。これは周囲の危険認知やナヴィゲーション上の情報取得を阻害するというわけだ。

 岩石地などだと足下が気になることも遠くが見れなくなる要因の一つだと思われる。加藤さんがいっていた、「みんな個々の活動を別のものとして捉えているけど、本当は連続したものなんです」、というのも我が意を得たり。「アイゼンワークと普段の足運びは連続しているんです」ってことだ。普段から次の一歩に乗り込むとき、ずりっと足裏をずらせちゃう人はアイゼンをはいていても雪面で足をずらし、それが滑落のリスクを高める。そういえば、登山研専門職と立山の屈強ガイドと雪山に登った時、注意している僕でも、時々次の一歩に踏み込む時にずりっとやってしまったが、彼らは見ている限り、一度もずりっとしなかった。

 高度なスキルの確固たるベースに基礎技術がある。そんなことを頭ごなしでなく、理屈を簡潔に説明しつつ伝えることが重要なんだろうな。

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2011/01/12

おかげさま:有度山宣伝

今月末の有度山トレイル三昧。トレランは早々と定員で、ロゲイニングの方も、80組(定員まであと20組)となりました。締め切りは来週の頭。

また、スポンサーのアラジンさんが神流ラン&ウォークに触発された「清水の夜も味わってください」交流会は、まだ定員に達していません。

http://homepage2.nifty.com/MNOP/event/udoyama1101_3.htm

詳しくは上記を。静岡の英雄望月将悟×後藤豊、ロゲイニングの女帝と上皇田島×村越のトークバトルなど、アトラクションも多彩。

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あたりまえのこと

昨日はピークス別冊の座談会で、登山遭難を考えてきた。黒田さん、加藤さんという精鋭のガイド二人にライターの方。いずれもアウトドア専門だけあって、こっちも勉強になる。

事前の予測は当たり前として、活動中、常にオプションを持っている、なんていうのは考えてみれば当然だが、納得だった。一つの目標に固執することで危険の一線を乗り越えてしまう。そういれば、自分が子どものころの親との登山は計画もいい加減だったが、いともあっさり登頂を断念しておりてくることが何度もあったな。

 もう一つ収穫だったのは、振り返り。これもスポーツじゃあ当たり前だが、登山でであったひやり・はっとの振り返りしているだろうか?僕はタイムは必ず記録しているが、ヒヤリハットについては、意識して記録したことはなかった。産業界でもそうだが、そんな身近な危険への対処の積み重ねが大事故を防ぐのだろう。

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