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2010/12/27

アクセス数

久しぶりにブログを書いて、ついでにアクセス数を見た。検索ワードで多かったのがダントツでトランス静岡。そして富嶽周回。やっぱり自分がいいと思うものは、人も興味を持ってくれる。

 昨日のシンポジウムでは、オリエンティアの木村君(年間イベント開催数は優に10を越える!)が「ドライビングフォースは自分が楽しいこと」といっていた。僕にもその側面はあるが、もっと強いのは「地域への愛と思い」だ。トランス静岡も富嶽周回も、いずれもその結晶である。1月末の有度山(こう名付けるあたりからして、愛いっぱいなのだ)も、今年は「清水への愛と思い」。平安時代から、清少納言が「浜は有度浜」と書き、西行法師が筆を捨てた絶景の地、そんなところでイベントを開催できるのも、それを多くの人に知ってもらうのもこの上なく幸せ。清水市観光協会のコンサルタントができそう。

 シンポジウムではもちろん、最近は「富嶽はやるんですか?」という声をよく聞く。富士山一周100マイルレースがあって、その実行委員会に僕が名を連ねれば、そりゃあ吸収合併も当然か。

 そういう人たちと話しをすると、大きなにぎやかなイベントもいいが、こじんまりと楽しめるイベントにも魅力を感じると言われる。出たい人は両方でるだろうし、まずは富嶽の90kmで足慣らしをしてから100マイルという人もいるだろう。100マイルがあっても富嶽の存在意義はなくならない。もちろん、参加者がいなければやめればいいだけの話し。

 やはり昨日のシンポでは、「トレランなのかトレランレースなのか、(テーマを)絞ってほしい」という発言があった。確かに、今の日本のトレラン界の現状は、個人のトレランの延長に仲間が集まり、それを広げる形でレースがあるとはなっていなくて、まずはレースありきの部分がある。レースはレース独自の思惑があるだろうが、必要なのは両者の中間にクラブとか、グループツーリングといった様々な形態が生まれることだ。

 そのあたりに自分の存在価値があるのかなあと思う、今日この頃。

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トレランのシンポジウム

 オリエンテーリングからトレラン(当時はトレランというよりはマラニックとかランニング登山と言われていた)、そしてロゲイニングやアドベンチャーレース、登山。様々なスポーツに足をつっこんでみると、それぞれの境界の高さが気になる。山に登っていればトレーニングに走る、あるいは走りたくなることもあるだろう。トレランにも登山にもナヴィゲーションは必要だ。オリエンテーリングだって、自然の中のスポーツなのだが、愛好者の多くは自然の中で活動していることをあまり意識していない。
 周辺領域と交流したらもっと多くのものが得られるだろう。この5年くらい、自分でもそうしてきた中での実感である。そんな思いと、協会の会長に市民ランナーの「教祖」山西先生を得たこととで、今回のトレラン:その現状と課題のシンポにいきついた。
 新しいことだから、その評価は難しい。具体的な成果が何かあったかというと自信を持って言えないが、近隣領域の人が交流したり、情報交換するという大きな意義を強く感じた。またオリエンテーリング界の事情だけから言えば、愛好者でない人からナヴィゲーションの重要性や、そのスキルの蓄積としてオリエンテーリング界が評価されたことも収穫だった。今回のシンポジウムとその広報を通して、オリエンティアの目が周辺領域との交流に向けば、それが成果の一つと言えるだろう。またトレラン界として横のつながりが具体化していくとすれば、それもまた大きな成果と言えるだろう。

冒頭で山西さんもいったように、これはスタート地点なのだ。

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2010/12/21

好き

幼なじみと久しぶりに逢った。幼少のころからピアノが好きだった彼女が、来日のたびにかかさず見に行くピアニストがいるという。とにかくピアノが好きなことが伝わってくるのだそうだ。コンサートではその前から舞台に出てひいている。終わってもピアノを弾いている。夜興が乗ると、よったままひく。

 朝は寝ぼけ眼でひく。とにかく一日中ピアノを弾いていて、飽きないのだそうだ。

朝は、一つづつ音を丁寧にひく練習から始める。そのあとハノンをひく。練習をはじめたばかりの子どものように。

この話しをきいて、25年も前にスポーツ心理学の師匠から聞いた話を思い出した。当時全米ゴルフでは帝王と呼ばれていたジャック・ニコラウスが、マスターズトーナメントの間、何をしていたか?

 もっとも基本的なショットを一本一本丁寧にうちながら、コーチがそれを後ろから見て、一つ一つアドバイスをしては修正という地道な作業を繰り返していたのだそうだ。

 基礎的なプレーにこそ、全てに通じるものがある。

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いまさらながらのロゲイニング世界選手権報告

 土曜日の9時、地図が配布される。90個以上のコントロールが200km2を越えるエリアに散在している。アップダウンのあるオフロードの牧場とロードでどの程度移動スピードが違うのか。24時間経つとどのくらい移動スピードが落ちるのか。そもそも全体でどれくらいカバーできるのか、見当もつかない。不確定要素が多いなかで移動プランを考えなければならない。そのプランに従い、最初から携帯するものとハッシュハウスにデポするものを決めなければならない。3時間ですら短く感じられる。
 いつものようにいくつかのブロックに分割して点数を出してみるが、さすがに極端に点が高かったり低かったりするブロックはない。これは決め手にならない。テレインは縦横無尽に移動できるので、制約条件が少なく、考えがまとまらない。トイレに行ったついでに、他の日本人チームの考えを参考にすることにした。オーストラリアに長く住んでいるOさんのチーム「夜は平地を避けることにしました。地形がつかみづらいので、難しいと思うので」。このアイデアいただき。まず、ゴールに向かうラインを設定し、最後にどのような周り方にするかを考えた。また地形がはっきりしているが、あまり傾斜が急すぎない南西エリアが夜にかかるような制約条件を入れて、プランを詰めることにした。その結果、北西の平坦なエリアを最初に回り、その後南西の緩やかな丘陵地に入り夜を迎える。その時に移動ペースによって周り方を調整し、概ね12時間後にハッシュハウスに一度戻り補給。必要に応じて仮眠し、時間に応じて北東を中心に回るという大まかな計画とした。
 まだ時間があるので、予備の飲み物として微炭酸のドリンクを近所のスーパーに買いにいった。そのついでに家庭用品店で、透明の粘着テープを買った。移動中雨が降りそうである。ビニール袋に入っているとは言え、24時間も移動するので、地図面の保護はあるにこしたことはない。
 このプランに応じて、着る服と持つ服を決め、行動食を持つものとデポするものに分けた。給水ポイントは5カ所あるが、ひょっとすると12時間後まで給水ポイントに戻らないかもしれない。しかし、約1時間後に給水ポイントを通過するので、いったん満タンにした水を捨て、500mlだけ持った。水1.5L分軽くなるとだいぶ楽になる。
 スタート後、最初のコントロールは混雑が予想されたので、速いペースで動き始めた。周りにいるのは屈強の男子チームが数チーム。これなら混雑もないとみてペースをやや落とす。まずまずの出だしだ。最初の3時間くらいで、山も含めだいたいのペースがつかめた。このペースだと、南西の丘陵地から国道を渡って川岸の平地のコントロール群にも十分展開できそうだった。そうすれば、国道の交差ポイントにある給水に約5-6時間で到達するので、給水もできる。130点とれる代わりに伸びる時間は1時間に満たない。時間とポイントを勘案して、その部分に展開することにした。
 最南端の給水1を通過したのが約7時間の時点だった。ほぼ予想したペースで回れている。その上、陽が暮れて暗くなると、ナヴィゲーションが楽しくなってきた。視覚情報が格段に限られる夜のナヴィゲーションでも、遠くの情報が全く得られないという訳ではない。とくに今回のようなオープンだと、完全に暗くなるまでは、近くの尾根のスカイラインがわかる。完全に暗くなってからでも(ほぼ満月の夜だったが、雨で月明かりはほとんどない)、空は若干白っぽく見えるので、地形の概要はわかる。尾根や谷線では自分の進行方向の変化がよい情報になる。おまけに牧場の中ではは、遠くの尾根線を移動する明かりが見える。彼らは当然無秩序に動いている訳ではないので、その位置から、地形(特に尾根)を推測することもできる。暗闇の中で切れ味のいいナヴィゲーションを遂行するのは快感でもある。
 もちろん、夜ならではの難しさもある。リロケートは昼間に比べて大きな困難を伴うので、地図上で現在地をロストしないためのサムリーディングはオリエンテーリングに匹敵するくらい厳密にやり続ける必要がある。ロストの代償は大きい。夜も更けてハッシュハウスに近づく時間帯は、地図に出ていない柵や家から間違えてアタックしてしまい、10分程度のミスを2回もしてしまった。見通しの得られない状況でのロストは、心身を消耗させる。降り出した雨も、体力の消耗にいっそうの拍車をかけてしまった。
 12-13時間でハッシュハウスに戻る予定だったが、意外なほど元気だったので、ループを広げた。反面、僕が腸頸靱帯に痛みが出て、平地のロードでも歩かなければならなかったことや二つのミスで計1時間の遅れ。ハッシュハウスに帰ってきたのは、午前3時を回っていた。雨もひどく、最後のミスで藪こぎをして、ずぶ濡れだった。特に利佳ちゃんが寒さを強く感じていたので、車のヒーターを全開にして着替えて暖まり、やっと人心地がつく。その後後半に備えてハッシュハウスでたっぷりパスタとスープを平らげた。長距離のトレランだとたいてい胃をやられるが、今回は食欲もあり、おいしい。
 おまけに眠気もほとんどなかった。利佳ちゃんが少し眠そうなので、ストレッチをしながら休憩し、トータルで約1時間の休憩を終え、再びコースに出た。4時20分。残るところ後7時間半。
 この後夜明け後までの約2時間が、もっともつらい時間帯だった。利佳ちゃんは眠くてペースが上がらない。しばしばそれを待っていると、寒さが堪える。夜には一時治まっていた右膝の腸頸靱帯の痛みも回復の兆しはなく、走るとさらに悪化しそうだった。こうなると、最後の数時間の移動速度がどの程度低下するのかも見当がつかない。概ね1時間ごとの移動を予測し、その予測に対してプラスかマイナスでその後の取捨選択を決める。そうやって、最後はだいぶコントロールを切り捨てた。最終コントロールからゴールまでは、制限時間も十分あったので、ほぼ全部歩いたが、スタート直後の平地と比較すると、その移動速度は1/3程度だった。

 レースを終わってみると、「ああしたらよかった。こうしたらどうだろう」というアイデアはいくらでも浮かんでくるが、移動スピードやその変化など、初めての24時間では見当もつなかったから、それは後付けにすぎない。でも、次のレースではもう少し賢くプランを立てることができるだろう。結果はミックス年齢制限なしで13位。3位とは600点くらいの差がある。これは日本のチームでは最高得点の柳下・山田組よりも200点くらい高い。現状ではとても届くとは思えない点数だが、2年間準備をすれば不可能なレベルでもないだろう。まあ1回出ればいいやと思っていたロゲイニングの世界選手権だが、2年後のチェコが、少しだけ視界に入ってきた。
 

補給食
ジェリー1本、ジェル1(ワイルドビーンズ)、小マフィン4個程度、柿ピー小二袋、ドライフルーツ+ナッツミックス100g程度。コンデンスミルク1本。阿闍梨餅2個、ショートブレッド4本程度

後半
ジェル1本(レモンライム)
ショートブレッド2本程度、マフィン2個程度、阿闍梨餅半分、
(ハッシュハウスでたっぷりパスタを食べたあとは、塩っぱいものへの欲求はほとんどわかなかった)。

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2010/12/03

朝霧ロゲイニング

先週末は朝霧ロゲイニング。世界選手権の疲労が抜けていなかった。おまけに地図の調製も最後まで手間取って、さらにくたくた。それでもイベント当日は天候にも恵まれ、参加者にも楽しんでもらえたよう。

 自分的には前から気になっていた林業用の馬車軌道の跡を発見したのが収穫だった。この軌道跡は赤色立体図にはばっちり出ている。

 それが何よりの薬なのだが、この薬劇薬にも良薬にも・・・

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(撮影:たじまりか)あさぎりらしい風景を走る。

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