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2010/06/04

アジア選手権の舞台裏(4)

 残すはリレーだけとなった。本当に始まるかと思えた大会も始まり、身体と頭が持つかと思ったこの大会もあと1日となった。会場に来てからは、睡眠不足による眠気はどうしようもないが、一日一日と元気になっていった。一緒に運営しているという実感、参加者の満足が元気の源になる。
 どうせ10年以内には次の大会が来るのだから、世界選手権の時のような感慨は沸いてこなかったが、とにかく最終日のリレーの日を迎えた。会場は世界選手権と同じ鬼久保ふれあい広場。あの日は、世界選手権運営の緊張など微塵もなく、ただお祭りを楽しんでいた。この日の気分もそれに似ていた。地図の取り間違い等、事故の起こりやすいリレーだが、リレーには参加者も主催者もうきうきさせる魅力がある。
 この日、一般クラスではナンバービブの使い間違いによるいくつかの失格が出てしまった。エリートの香港チームも危うく同類の間違いで失格になるところだった。参加者の責任だとは言え、複雑なエントリーシステムが影響していることも確かだ。一方で、エントリーを簡単にすれば、制約も増える。このあたりは難しいところだし、運営者とともに参加者も成長していなければならない。国際大会に出るにあたって参加者は何をしなければならないか、それに慣れない中国の選手たちがそのことに気づいてくれればうれしい。
 心配された若年層のコースでも、レースは順調に進行した。結局リスタートにひっかかったのは、中国の3チームだった。日本語や英語でのアナウンスでもリスタートに表れる気配がない。業を煮やして、近くにいたリ・ジにお願いすることにした。礼儀正しく、僕らには「本当に五輪アスリート?」と思うくらい丁寧にしゃべるリ・ジだが、マイクを渡して呼び出しをお願いすると、すごい剣幕で「あんたたち、主催者に迷惑かけちゃだめじゃないの、時間なんだから早くきなさい!」(ってなことを言っていたのだと思う)としゃべって、周りにいたスタッフ一同唖然。代表紹介のときてれてれ出きてきたJWOC代表を叱りとばした小野清子前会長のことを思い出した。
 そんなこんなで、競技は無事終了した。閉会式を行い、夕方には新城でバンケットが行われた。IOFを代表して、アジア地区会議議長のCKが、「日本にはアジア選手権が今後とるべきスタンダードを示してもらった」という評価を受けた。競技的にも運営的にも、もう少し上のレベルを達成することはできないことはなかった。しかし、競技の寺島の中でもスタンダードを示しつつできるだけ簡素化するという気持ちはあったし、総務の僕の中でもできるだけ場当たり的にやるという考えはあった。世界選手権の時には、(IOFの理事でもあったので)地図委員会の公式見解を無視してまで、エリートにインクジェットプリンターの地図を使うのははばかったが、今回は無視してもやろうと決めていた。地図委員長のホバート・トベイトは、「オフセットに関わる費用などわずかだし、一度印刷すれば何度も使える」と主張するが、それはモンスーン地域で競技人口の少ないエリアのことを考えない発想だ。モンスーン地域に位置するアジアでは、小ロットで作成した地図をすぐに使い切り、植生をこまめに変えていく必要がある。大会後に彼から「インクジェット印刷は承認されなかった」というメールが来たが、世界でより多くの国でオリエンテーリングが実施されるためにも、インクジェット印刷の必要性については訴えていかなければならない。

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