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2010/06/04

アジア選手権の舞台裏(3)

 愛知に移ってからは、役員はペンションやまぼうしに宿泊した。参加者も増えたし、一週間にわたる運営で疲れのたまる総務・IT役員に少しでもいい環境で仕事をしてもらえるだろうと考えた。この選択は大正解だった。いつもの運営宿の野外教育センターはモバイルはおろか、携帯ですらつながらない。その情報環境では、とても仕事が立ち行かなかっただろう。
 唯一「大人」でフリーになることのできた久保さんは前半は旭高原少年自然の家、後半は野外教育センターに「飛ばされた」。旭高原は宿泊予約数のトラブルもあって、とんでもない状況になっていたから、久保さんでなければつとまらなかっただろう。少年自然の家に泊まったのは中国チームだったが、案の定、宿舎を出る時の布団の畳み方は、この手の施設としてはとうてい受け入れることのできなかったものらしい。久保さんとお手伝いの名大の学生は、相当数の布団を畳み直したそうで、久保さんは愛知に移動した翌日、腰痛で寝込んでしまった。
 そういえば、初日の朝、清水さんからいつになく気落ちした声で電話がかかってきた。第一便のバスに積み残しが出たのだという。某高校のオリエンテーリング部が大量にバスを予約していたのだが、それをひとまとめにして記載していたので、合計数を出す時に本来40数名のところを1名とカウントしてしまったというのだ。大丈夫。バスの席は一定数の余分はあるし、高校生がまとまって来たということは、絶対2便に乗せても大丈夫な生徒がいるはず。スキーOの世界選手権では、船橋さんをして評価の高かった切れ者の清水さんにして、この凡ミス。思わずギャップ萌え~。
 一方で、最初は中津川施設に残すのに不安を覚えた静大の若山は、数日にしてすでに大きな成長を遂げていた。野外教育センターで再開した時には、すでに不安はみじんも感じさせなかったし、バス運行には最大限の気を遣っていたJTBの方からは、「農協のバス展開場所にはぜひ若山さんを」とご指名がかかるほどに成長していた。多くの人に支えられて数々の国際大会の開催に携わって16年。楽しく充実感を感じる時ばかりではないが、そのプロセスでの楽しみの一つは人材の成長に出会うことにある。この16年間は熱意と能力を兼ね備えた人々との出会いの連続だった。
 成長するのは若者だけではない。世界選手権の開催が決まった時、「冥土のみやげに運営してくださいよ!」と言った石田夫妻は、厳しい世界選手権の日々を乗り切った後、毎年のようにマスターズや世界選手権に出かけ、運営者として出会った海外の人たちと交流するのが楽しみだという。次回の中国にも、その次のカザフにも行きたいという。そんな元気な石田夫妻を見るたびに僕はこう言う。「あと20年したらまた世界選手権が来ます。ぜひもう一つ冥土のみやげをつくってください」
 疲れの溜まったロングでは、若山はレース中、貧血で倒れたそうだが、それでも彼女はエリートには声をかけてはいけないと思って、横たわっていた。「でも、エリートの人はたいてい、Are you OK?って聞いてくれるんですよね。結局、エリートの田濃さん(先輩)に助けてもらっちゃいましたけど」
 ロングの日は暑かった。参加者も疲れが溜まったようで、他にもいくつかのトラブルが発生した。熱中症で救急車の搬送依頼といった事案も発生した。そんな中でも女子エリート優勝のリ・ジのタイムは圧巻だった。夏の世界選手権にもいかず、このレースに焦点を合わせた小泉の優勝もさすが。

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