« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »

2010/06/28

不憫なコンパス

 先週末はいずれも野外での仕事だったが、二日とも天気は芳しくなかった。初日は時折小雨の降る中をジオツアーの2回目。河津七滝の初釜滝の横には見事な柱状節理があるのだが、その前に踊り子と学生の顔のところに穴の空いた記念撮影板があって、見事な柱状節理を隠している。残念な文化程度である。
 翌日も朝から雨が心配な中、岳人の読図特集の取材。ヤマケイでは散々原稿を書いたが、読図に関しては岳人は初デビュー。そこは岳人とヤマケイの違いか、岳人ではワンゲル部の女子学生に地図読みのポイントを教えながら、一人立ちできる登山者のための読図という想定で教えた。モデルの女子学生は3年間ワンゲルで鍛えただけあって、読図はほとんどしないというが、コンパスを使った方向確認、それによってルートを外していないことや現在地を確認する方法を教えたら、そこそこ使いこなしていた。

 先週読んだ平塚晶人さんの新しい本で、あまりにコンパスと方向が無視されているので、不憫になって、意識的に強調した。モデルの彼女、地形の大きさの感覚はまだまだついていないが、方向の違いはある程度使えるようになった。n=1だけど、原理的に考えても、初級者こそ感覚に頼る地形の大きさじゃなくて、客観的かつ誰でもほぼ同じように把握できる「方向」をもっと活用する方が効果的じゃないだろうか?

Simg_5171

▲今日も使ってみました。マイクロレーサー。彼女が頻繁に方向確認ができたのも、全く手間いらずのマイクロレーサーのおかげも大きかったのでは。最後はやはり「このコンパスいいですね」という感想だった。

 この秋の展示会で発表、来春発売予定らしい。展示会で評判が芳しくなければ、販売なしもありえるかも。小売店にみんなで、プッシュしよう!

▼行程は12km。分かってはいたことだが、降りてきたのは18時に近かった。彼女も久しぶりの山行だったが、よくがんばった。頭も身体もくたくたというところか。

Simg_5214

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010/06/23

シュリンクが心配

国立大雪青少年交流の家で、小学生がウォークラリー中に道に迷い、はぐれるという遭難騒ぎがあった。翌朝には無事にみつかっている。静岡の野外施設で事故があった直後のためか、あちこちでニュースになり、TVでも放送されている。この手の事故は実は3年に1件くらいあるのだ。昨年の広島の事故を除いて、全て無事に発見されている。

 今週月曜日の、藤枝の学校での授業では、「ウォークラリーで危ないことはどんなこと?」と問いかけ、熱中症、転んでけが、へび、はちなどいろいろでたが、子どもからはでなかったので、「道迷い、はぐれるのにも注意しようね」といったばかりだった。なんではぐれてしまったの、その時グループの他のメンバーは気づかなかったのだろうか?そちらの方が気になる。

 自然の中ではこの程度のリスクは付き物である。あまりに話題になりすぎて、施設や学校がシュリンクする方が心配。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2010/06/22

二つの危機管理

 先週末に浜名湖で起きた事故で、月曜日、県教委は県内にある5つの野外活動施設を集めた会議を開いたことをニュースが伝えていた。またマニュアルの見直しと徹底が指示されたようだ。
 こうした事故が起こると必ずのように「マニュアルの再点検」が指示される。それはそれで意味のあることだとは思うが、それが問題を半分しかカバーしていない事が果たして意識されているだろうか?
 今回の事故でも、青年の家では、「警報では取りやめ。注意報では状況に応じて学校と協議」という事前に取り決めた通りに行動している。いわば「マニュアル」に従った訳だ。そして、事故は「マニュアル」のグレーゾーン、すなわち「状況を見て判断」に従うことによって発生した。自然環境が非分節的である限り、どのようにマニュアルを整備しても、必ずグレーゾーンが発生する。そして自然環境の教育効果の大きな部分は、そのグレーゾーンにあるのだから、それをゼロにすることはできない。仮に「注意報が発生した時には活動をしない」と決めても、注意報が出ていないからといって、風雨が全くない訳ではない。時には注意報時よりも激しい雨風に見舞われることもあり得る。
 さらに厳しくしていけば、完全に風雨の無いときしか活動はできないことになる。それでも、活動の危険はゼロになるわけではない。それを完全にコントロール下に置こうとする時、自然体験活動として意義があるのかは疑問である。
 グレーゾーンへの対応力についての指導者の資質向上が問題の解決には必要である。それと同時に、組織が通常の指示系統によってグレーゾーンの問題を解決することは非常に困難なことも念頭に置かれる必要がある。
 その日、私は、藤枝の学校に招かれ、7月に自然体験に向かう子どもたちのためのリスクマネージメントの授業を行った。KYTシートを使って子どもたち自身に危険を発見させたり、評価させ、また友達と議論させる授業だ。自分自身効果の検証を行った訳ではない。本当に効果があるのだろうか?そう思って教頭に尋ねると、昨年は、活動の中でも、自分たちで「これ危ないから片づけよう」といった動きがあったという。適切な危険の評価がでてきいたかは分からないが、少なくとも自分たちで危険に気づかなければという意識の醸成には役立ったのかもしれない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010/06/20

本を探しに、街に出よ

 日曜日はほぼ2ヶ月ぶりに家にいた。あまりに暇で午後は、街に買い物に出た妻に街まで乗せていってもらった。山用品を買う予定だったが、最近できた静岡最高層の葵タワーに入っている戸田書店をぶらついていたら「安倍山系(上)」という、いかにも自費出版らしい本が目に入った。安倍川流域の登山道・巡視路をもれなく網羅している力作である。来週「岳人」の取材d安倍川東稜を歩くルートをどうしようか迷っていたので、またとない掘り出し物だった。

 こんな本、ネットや書評じゃあ絶対に探せない。幸運に感謝。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

富嶽の下見

 6月に開催時期を移した富嶽周回の下見をしにいった。前回は北側で小富士林道から、富士吉田五合目まで登り返していたが、富士山を一周するというコンセプトのもとでは、五合目まで登り返す必然性はない。もし3合目あたりをぐるり一周できれば、運営面でも参加のしやすさという点でもメリットがある。地図を見ると、吉田口の中の茶屋まで降りれば林道が連続している。それが本当に通行可能かどうかをトレラン練習をかねて見に行った。吉田口の馬返しに通じる林道は、フラットで気分のよい林道だった。しかし、その先の連絡路がなかった。下見では、森の中をつっきったが、夜間になる可能性のあるこの場所で、イベント当日にそれをするのは難しい。何よりがっかりだったのは、その後、剣丸火のスバルラインパーキングに通じている林道も、その後精進口の二合目に通じている林道もいずれもきれいに舗装がされていることだった。
 ここは我慢もありえるし、せっかくの森の中がこんなに整備されている(それは林業という点では当然なのだろうが)のを見てもらうのもイベントの意義かとも思うが、味気ない。後半4kmは船津口の旧登山道を利用してダートの林道をつなぐこともできそうではある。ここは悩み所だ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010/06/17

富士山麓ロゲイニング

9月11-12に開催のナヴィゲーション・サミット。12日にはロゲイニングシリーズ登録の富士山麓ロゲイニングも開催。

まだ正式エントリーは受け付けていませんが、詳しくは以下から。

http://homepage2.nifty.com/MNOP/event/hujisanrokurogaining.htm

なおシリーズ戦にははいっていないが、2011年1月29日には、有度山ロゲイニングを今年も開催。シリーズ戦が多いので、シリーズからは外しましたが、毎年好評のクオリティーとホスピタリティーも維持。今年は清水市内も含めた観光色の強いロゲイニングなので、トップ選手にはやや物足りないかもしれないが、日本観光地100選のトップに輝いたこともある日本平山頂から三保の松原、イチゴ狩り街道、清水の次郎長生家まで、楽しい一日を提供します。

詳しくは秋ごろに、

http://homepage2.nifty.com/MNOP/event/event.htm

から

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アジア選手権の舞台裏(5)最終回

 はじめてWCを成功させた時に気分を聞かれて、「戦には圧勝したが、兵をたくさん失った将軍の気分だ」と答えて以来、大会後の気分を戦の指導者にたとえる習慣がついてしまった。大会前の4月中旬、気分はほとんど「ベトナム戦争末期のアメリカ軍司令官」の気分だった。泥沼のような戦況で、「兵と国力を無駄に失っている」のではないかという気分に苛まれたものだ。
 大会が終わった時、せめて「北ベトナムの司令官」くらいにはなれたかなと思った。戦いに勝ったとは言い難かったし、国土は荒廃したかもしれない。しかし、国のプライドを示し、それを周囲に認めてもらうことはできた。

 大会が終わると、国土復興(会計整理)が待っていた。こずかい帳も家計簿も満足につけられなかった僕に、この仕事が向いているはずがない。スポーツ振興基金の助成ももらってしまった以上、会計的にはなんとかなる状態になったが、きっちりした決算書を出す必要があった。いつもながら船橋さんを巻き込み、伊藤なおさんには事務を全面的に依頼し、なんとか、30日以内の決算にこぎ着けた。3人でJOAに集まり、3時間数字と格闘しながら、軽い頭痛を覚える。つくづくこの仕事は適していないと思う。
 幸いなことに参加者も当初の予想を上回り、その分出費も増えたが、主管者への追加配分も多少なりともできる見込みがでた。財務のことでは気の合わないことの多い船橋さんだが、決算額を確定し、追加配分も含めて最終的な調製の提案を一発で飲んでくれたのは感動の一瞬だった。
 報告書の協賛・後援への配布やIOF提出用の英訳も済んでいないが、残務整理のほとんどは終了した。アウェーでの戦いも最初差のリードのまま、3分の延長戦を残すのみとなった(ドーハの例もあるから、気は許せないのだが。余談だが、あれを悲劇と呼んでいるうちは日本は一流のスポーツ国にはなれないと思う)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/06/13

トレランアカデミー

 鏑木さんが主宰するノースフェイスのトレランアカデミーに行って来た。初日の実走は、御殿場口の五合目から幕岩を通って宝永火口から馬の背まで。標高差1000m以上。初級・中級コースは途中で戻ることになっていたが、実際にはみんな登ってしまった。途中佐藤浩巳さんのワンポイントレッスンがあったが、トレラン教室というよりはツアーに近い。夜は山中湖に泊まって、佐藤さんのアロママッサージ教室、そして講師を囲んでの質問コーナー。30名弱の参加のうちツールドモンブランの参加者が6名!参加者もコアな人々なら、二日目は午前中一杯、様々な講師からの座学など、内容も本格的。トレランを文化に、という鏑木さんの志が感じられる講習会に仕上がっていた。
 講師は、鏑木さんはもちろん、横山さん、佐藤さん、大内さん、松永さんなどのトップ選手で、それぞれに特徴のある講義が聴けた。食べているもの/飲んでいるものなど、休息時間の過ごし方などの何気ない仕草も参考になる。

Simg_5020

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/06/08

地形萌えを育てる

 世界遺産ばかりが有名なユネスコだが、ジオパークの認定を行っていることはわりと知られていない。その名の通り、地質学的に貴重な自然を保護すると同時に、それを訪れた人たちに分かりやすく展示したり、認定されたガイドが案内することで、その土地の成り立ちをよりよく知ってもらおうという、世界遺産よりも遙かにユネスコ的な発想の産物だ。そのための手段が、ジオツアー。ちょっと高尚な語感だ。
 地域からすれば、地域の観光の目玉が増えることで集客が期待できる。特に欧米では、こうした「お勉強ツアー」の人気が根強いため、世界ジオパークに認定されると、海外からの観光客も見込める。静岡でも、伊豆が名乗りをあげているし、富士山も世界遺産よりよほどジオパークの方が合っているのではないかと思う。
 今回は同僚の火山学者と伊豆総合高校を訪れ、彼がガイド役になって高校生にジオツアーを体験させ、その成果を今度は高校生が小学生のガイド役になることで生かす。それによって高校生たちの興味や意欲がどのように変容し、またガイド役になることで知識の整理がどれだけ進むだろうか。そのあたりの検証が、僕のやくどころだった。
 同僚は、もともと伊豆の火山が専門だけあって、2時間の講義でも語り尽くせないほどの知識と、伊豆の火山に対する好奇心と愛がほとばしる。最初に連れていってくれた船原のスコリア丘は、採石場によって半分が削り取られているおかげで、火山学の教科書にでもでていそうなスコリア丘の構造が、露頭にきれいに現れている。最後に訪れた浄蓮の滝では、柱状節理や柔らかい基盤の浸食の様子がよく分かる。なんのことはない、ジオパークとは地形萌えのメッカ、ジオツアーとは地形萌えツアーだ。
 浄蓮の滝の入り口には、伝説についての看板、滝壺には、天城越えの歌碑やら珍しい植物の説明書きはあるが、肝心の地形についての説明は一切ない。観光客は滝の景観に見とれはするが、その背後にある大地の歴史への関心は薄い。ジオパークへの道のりはまだまだ遠い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/06/04

アジア選手権の舞台裏(4)

 残すはリレーだけとなった。本当に始まるかと思えた大会も始まり、身体と頭が持つかと思ったこの大会もあと1日となった。会場に来てからは、睡眠不足による眠気はどうしようもないが、一日一日と元気になっていった。一緒に運営しているという実感、参加者の満足が元気の源になる。
 どうせ10年以内には次の大会が来るのだから、世界選手権の時のような感慨は沸いてこなかったが、とにかく最終日のリレーの日を迎えた。会場は世界選手権と同じ鬼久保ふれあい広場。あの日は、世界選手権運営の緊張など微塵もなく、ただお祭りを楽しんでいた。この日の気分もそれに似ていた。地図の取り間違い等、事故の起こりやすいリレーだが、リレーには参加者も主催者もうきうきさせる魅力がある。
 この日、一般クラスではナンバービブの使い間違いによるいくつかの失格が出てしまった。エリートの香港チームも危うく同類の間違いで失格になるところだった。参加者の責任だとは言え、複雑なエントリーシステムが影響していることも確かだ。一方で、エントリーを簡単にすれば、制約も増える。このあたりは難しいところだし、運営者とともに参加者も成長していなければならない。国際大会に出るにあたって参加者は何をしなければならないか、それに慣れない中国の選手たちがそのことに気づいてくれればうれしい。
 心配された若年層のコースでも、レースは順調に進行した。結局リスタートにひっかかったのは、中国の3チームだった。日本語や英語でのアナウンスでもリスタートに表れる気配がない。業を煮やして、近くにいたリ・ジにお願いすることにした。礼儀正しく、僕らには「本当に五輪アスリート?」と思うくらい丁寧にしゃべるリ・ジだが、マイクを渡して呼び出しをお願いすると、すごい剣幕で「あんたたち、主催者に迷惑かけちゃだめじゃないの、時間なんだから早くきなさい!」(ってなことを言っていたのだと思う)としゃべって、周りにいたスタッフ一同唖然。代表紹介のときてれてれ出きてきたJWOC代表を叱りとばした小野清子前会長のことを思い出した。
 そんなこんなで、競技は無事終了した。閉会式を行い、夕方には新城でバンケットが行われた。IOFを代表して、アジア地区会議議長のCKが、「日本にはアジア選手権が今後とるべきスタンダードを示してもらった」という評価を受けた。競技的にも運営的にも、もう少し上のレベルを達成することはできないことはなかった。しかし、競技の寺島の中でもスタンダードを示しつつできるだけ簡素化するという気持ちはあったし、総務の僕の中でもできるだけ場当たり的にやるという考えはあった。世界選手権の時には、(IOFの理事でもあったので)地図委員会の公式見解を無視してまで、エリートにインクジェットプリンターの地図を使うのははばかったが、今回は無視してもやろうと決めていた。地図委員長のホバート・トベイトは、「オフセットに関わる費用などわずかだし、一度印刷すれば何度も使える」と主張するが、それはモンスーン地域で競技人口の少ないエリアのことを考えない発想だ。モンスーン地域に位置するアジアでは、小ロットで作成した地図をすぐに使い切り、植生をこまめに変えていく必要がある。大会後に彼から「インクジェット印刷は承認されなかった」というメールが来たが、世界でより多くの国でオリエンテーリングが実施されるためにも、インクジェット印刷の必要性については訴えていかなければならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アジア選手権の舞台裏(3)

 愛知に移ってからは、役員はペンションやまぼうしに宿泊した。参加者も増えたし、一週間にわたる運営で疲れのたまる総務・IT役員に少しでもいい環境で仕事をしてもらえるだろうと考えた。この選択は大正解だった。いつもの運営宿の野外教育センターはモバイルはおろか、携帯ですらつながらない。その情報環境では、とても仕事が立ち行かなかっただろう。
 唯一「大人」でフリーになることのできた久保さんは前半は旭高原少年自然の家、後半は野外教育センターに「飛ばされた」。旭高原は宿泊予約数のトラブルもあって、とんでもない状況になっていたから、久保さんでなければつとまらなかっただろう。少年自然の家に泊まったのは中国チームだったが、案の定、宿舎を出る時の布団の畳み方は、この手の施設としてはとうてい受け入れることのできなかったものらしい。久保さんとお手伝いの名大の学生は、相当数の布団を畳み直したそうで、久保さんは愛知に移動した翌日、腰痛で寝込んでしまった。
 そういえば、初日の朝、清水さんからいつになく気落ちした声で電話がかかってきた。第一便のバスに積み残しが出たのだという。某高校のオリエンテーリング部が大量にバスを予約していたのだが、それをひとまとめにして記載していたので、合計数を出す時に本来40数名のところを1名とカウントしてしまったというのだ。大丈夫。バスの席は一定数の余分はあるし、高校生がまとまって来たということは、絶対2便に乗せても大丈夫な生徒がいるはず。スキーOの世界選手権では、船橋さんをして評価の高かった切れ者の清水さんにして、この凡ミス。思わずギャップ萌え~。
 一方で、最初は中津川施設に残すのに不安を覚えた静大の若山は、数日にしてすでに大きな成長を遂げていた。野外教育センターで再開した時には、すでに不安はみじんも感じさせなかったし、バス運行には最大限の気を遣っていたJTBの方からは、「農協のバス展開場所にはぜひ若山さんを」とご指名がかかるほどに成長していた。多くの人に支えられて数々の国際大会の開催に携わって16年。楽しく充実感を感じる時ばかりではないが、そのプロセスでの楽しみの一つは人材の成長に出会うことにある。この16年間は熱意と能力を兼ね備えた人々との出会いの連続だった。
 成長するのは若者だけではない。世界選手権の開催が決まった時、「冥土のみやげに運営してくださいよ!」と言った石田夫妻は、厳しい世界選手権の日々を乗り切った後、毎年のようにマスターズや世界選手権に出かけ、運営者として出会った海外の人たちと交流するのが楽しみだという。次回の中国にも、その次のカザフにも行きたいという。そんな元気な石田夫妻を見るたびに僕はこう言う。「あと20年したらまた世界選手権が来ます。ぜひもう一つ冥土のみやげをつくってください」
 疲れの溜まったロングでは、若山はレース中、貧血で倒れたそうだが、それでも彼女はエリートには声をかけてはいけないと思って、横たわっていた。「でも、エリートの人はたいてい、Are you OK?って聞いてくれるんですよね。結局、エリートの田濃さん(先輩)に助けてもらっちゃいましたけど」
 ロングの日は暑かった。参加者も疲れが溜まったようで、他にもいくつかのトラブルが発生した。熱中症で救急車の搬送依頼といった事案も発生した。そんな中でも女子エリート優勝のリ・ジのタイムは圧巻だった。夏の世界選手権にもいかず、このレースに焦点を合わせた小泉の優勝もさすが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010/06/01

ハセツネへのみちのり2

今年は約90分ほどで申し込み締め切り。ログイン画面までいったが、エントリーできなかった。長い道のりは、突然の崖でその先がなかった。

 仕方ない、応援トレランでもやるかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ハセツネへの遠いみちのり

仲間の中には、半休をとった人も多いという。

9:57分にはすでにハセツネエントリーはネットが込み合って、つながりにくい状況になっていた。昨年はいけたという携帯サイトも厳しい。71.5kmの前に立ちはだかるこの長いみちのり。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年5月 | トップページ | 2010年7月 »