アジア選手権の舞台裏(2)フロイトおそるべし
今回は「自分の仕事は総務」と言い聞かせていたので、競技面には口を挟まないことにした。第一、競技準備が佳境に入ってからは、それどころではなくなっていた。
3月の岐阜・愛知の視察では、椛の湖で調査する山川の元を訪れた。調査の進捗は、心配性のナショナルコントローラを悩ませるに十分な状況だった。20年近く前、やはりこの木曽路での地図調査が難航して疲弊する彼の元を訪れ、「ブラックジャック」役を務めた時の事を考えれば、僕には想定内の状況だった。20年前を思い出し、別れ際に「間に合わなかったら4月24,25はあけてあるぜ」と言うと、山川は「こんなおいしい仕事、人にやらせられるか」と言われた。比較的緩やかな地形、部分的に存在する微地形や複雑な植生のコンビネーション。確かにおいしい地図調査だ。
岐阜の運営者にはトップエリートがいないので、今ひとつ優勝タイムが想定できない。4月の上旬、タイムだしのための試走をした。提供された5.6kmのコースは、ぱっと見には適度に見えたが、実際走ってみると46分もかかってしまった。1→2は緩やかに見えるが、実は100m以上もアップがある。地図の未完成部分でミスはした。明らかに走りにくい尾根もあった。それらを調整して、距離にして5.0km、現在の自分が37-8分で走れるコースへの変更を要望した。完成したコースは5.3km。ちょっと長いかなという気はしたが、より単純で、走りにくいレッグも解消されていた。男子エリートの優勝タイムを見ると、やはり5.0kmがぴったりだったと思う。
久しぶりの追い込んだレース気分は辛かったが、自分には山仕事が合っていると痛感した一瞬だった。
4月になって、様々なタイムリミットが迫ってきた。受付のリストを確定させ、プログラムを完成させ、宿舎関係の手配を終え、総務関係の人の動きを明確にすると同時に、学生ボランティアへの指示もしなければならなかった。その一方で、総務は参加者からの問い合わせや申し込み不備に追われていたので、ウェッブに掲載すべきプログラムはなかなか完成しなかったし、同時にできればずいぶんと省力化できたはずのスタートリストの完成はその数日後になってしまった。
とにかくもっとも締め切りの早い仕事を片づけ、それが済んだら次に進むという、全くの自転車操業状態だった。2月中旬から、ストレスにさらされて、一端は切っていた精神安定剤を復活させる必要があったが、4月中旬には夢にまで「もうこれ以上仕事できない!」という場面が表れた。フロイト恐るべし
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コメント
村越先生
こんばんは。
大きな大会だったため当日を迎えるまでにいろいろなご苦労があったのですね。
ところで知人が大会時に撮ってくれた写真をお送りしたいので私のこのアドレスに一度空メールで結構ですので送っていただけますか?
よろしくお願いします。
投稿: りん | 2010/05/10 20:46