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2010/05/20

トレイルランニング、まもなく発刊

昨年秋から進めていた岩波の「トレイルランニング」改訂作業が終わり、今日見本刷りが届いた。中身はもちろん全て分かっていることだが、こうして物的に完成して、手にとってみると新たな感慨がわく。これは何冊本を出しても同じだ。ページ数も20ページ以上増え、重厚感もある。この世界の5年間の変化が凝縮されている。裏表紙も鏑木さんのモンブランのシーンだし、各ページの扉の写真も素晴らしく、それだけでも読者をトレランの世界に誘ってくれるだろう。

amazonのURLは以下のとおり

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0%E2%80%95%E2%80%95%E5%85%A5%E9%96%80%E3%81%8B%E3%82%89%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%81%BE%E3%81%A7-%E6%9D%91%E8%B6%8A-%E7%9C%9F/dp/4000241508/ref=sr_1_16?ie=UTF8&s=books&qid=1274329316&sr=8-16

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2010/05/16

松代ロゲを分析する

 ロゲのレースをしていると気になるのは、登りがどの程度タイムに影響するかだ。平坦な場所ならだいたいkmあたり5分とか6分とかいう数字の検討がつく。そして、登りになれば遅くなることも分かる。戦略上重要なのは、ではどのくらい遅くなるかだ。それによってある登りのcpを取るべきかどうか、回れるかどうかが決まる。経験則として距離の10倍というのがあるが、本当だろうか(その根拠として重力加速度の定数が9.8というのがあるが、横方向の動きに摩擦がゼロということはないから怪しい)。

 そこでたっぷり走った松代ロゲのデータを分析してみることにした。デジカメで時刻は分かるので、レッグタイムも分単位で分かる。さらに、10時間ロゲだと、後半は疲れでペースダウンするだろうから、経過時間(分)も組み込んで、エクセルで分析すると、距離(km)に登り(m単位)を90で割ると比較的よい近似が得られた。相関係数が0.92だから、分散の約80%以上がこの二つの変数によって説明されていることになる。心理屋から見ると相当いい相関だ。 ついでなら、重回帰分析もしてみることにした。偏回帰係数は距離に対して6.06、登りに対して0.069という結果になった。驚いたことに経過時間は影響力がなかった。主観的には後半になるほどペースダウンしているように思うのだが、有意なものではなかったということだ。ペース配分がよかったということなのかもしれない。

 偏回帰係数の意味はこういうことだ。タイムは距離(km)の6.06倍。これは分かりやすいだろう。1kmあたり6分3秒ほどかかっているということだ。それに対して登りの0.069は100倍してやると6.9分。つまり約100mに対して6.9分かかるということだ。これは登りが平地の約11.3倍かかっているということになる。まあ10に近いので、オーダーとしては経験則が当てはまっていることになる。結局1kmでアップが200mあれば、約20分かかるということがほぼ計算できる。ただし、常識的な最大の外れ幅が30%くらいある。つまり30分と読んでも21分くらいから39分程度までのばらつきがある。りかちゃんにプッシュしてもらった中盤の登りは予測値よりも16分も遅い。これも約28%の外れ。このあたりはトータルとして考えれば、許せる範囲だろう。

 それでは3時間ロゲはどうだろうと、秦野弘法山を分析してみた。似たようなモデルで距離に登り(m)/100を足してみると相関係数がなんと0.97で、ほとんどこれだけで説明できてしまう当てはまりの良さだ。3時間ロゲでは、登りは平地の10倍ちょうどということだ。おそらく3時間という短い時間なので、負荷に逆らってスピードを維持することが可能なのだろう。まだ重回帰分析はしていないが、偏回帰係数は松代より小さそうだ。簡単に言えば時間が短いので、距離あたりのタイムも登りあたりのタイムも短いということだ。このタイム指標は、今後の参考になる。

(エクセルに、レッグ番号(任意)、距離(km単位。1.1程度の小数第一位まででよい)、登り(m単位でもkm単位でも可。明記のこと)、所要時間。分単位(3分30秒の場合は、3.5としてください)を送ってくれれば、上記分析やりますよ。偏回帰係数が重要な戦略上の指標となる。ただしミスが多いなどの場合、相関が低くなり、推定の精度は落ちる。またレッグ数はたいてい大丈夫だが、10とか15とかのように少ないとやはり推定の精度が落ちる)

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2010/05/15

異業種?コラボ

今日は、岩崎元郎さん、眞田さん、村越の3人で、静岡大学公開講座の一環(共催:スポーツショップアラジン、(株)ゴールドウイン)の講演を行った。

 岩崎さんは中高年登山者には有名な登山家にして山岳ガイド、眞田さんは県警の山岳救助隊長。私も演者の一人であったが、お二人も違う視点から興味ある話しが伺えた。特に眞田さんの話しは遭難現場の一線に立つ方だけに生々しく、興味深い。万が一遭難して電話する時、所轄の警察署や自宅に一度連絡することは発見を遅らせる。なぜなら、110にしろ119にしろ、発信者の位置探索をするシステムがかなりの署で導入されている。だから電話がかかりさえすれば、本人が分からなくても、居場所が特定できる(もちろん、携帯がつながることが条件だし、古い機種ではだめである)。所轄の警察や自宅電話ではそれができないからだ。そんなことでも知っていると知らないとでは、危機管理に大きな差が生まれる。

静大で最も大きな講堂をとったのだが、残念ながらというか埋まったというべきか参加は100名くらい。でも熱心に聞いていただいた。

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▲左から中高年登山のカリスマ岩崎さん、私、県警の眞田隊長

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2010/05/14

へろへろ

松代の疲れが抜けないのか、それとも約3ヶ月、澱のように溜まったアジア選手権の疲れが抜けないのか、今週に入って、ずっと低空飛行。火曜日は「脳死状態」であった。まあ限界でやっているので、そういうこともあるだろう。気持ちの持ちようは、随分と賢くなった。

 そうこうしているうちに朝霧トレランの申し込みが始まった。5/7より開始ですでにセンターには150、今日から始まったランネットではすでに80とかの申し込みがあったそうだ。1週間ほどで定員だろう。希望の方はお早めに。

 今年の朝霧トレラン、面倒くさいのを承知で、「キャンセル」と「キャンセル待ち」制度を作った。昨今のトレラン、予定も決まらない半年も前に申し込まないと、間に合わない。それで1万なんちゃらで、別のはずせない予定が入ってしまったら?これってサービス業としてどうなの?というのが根底にある。またまた大変になることを考えてしまった、と8月ごろになって反省するんだろうな。

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2010/05/12

岩崎元郎さん講演会

今週末の15日(土)、静岡大学の公開講座の一環として、中高年登山ブームの仕掛け人と呼ばれる岩崎元郎さん(無名山塾)が、大学人文学部大講堂にて講演を行います。また県警山岳警備隊長の真田氏と村越も話題提供。その後フロアと登山の現状についての意見交換をする予定です。

 詳しくは、http://homepage2.nifty.com/MNOP/event/event.htm

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禅問答

 受付の処理が続き、大会が本当に無事始まるだろうかという不安と同時に、それでも数週間後には大会が終わっているのだという複雑な心境の中、中津川に向けて移動する日が来た。大会が始まれば限られた睡眠時間の日々が待っているが、反面、自分たちがしていることが形になりつつある達成感、他の運営者と一緒に仕事をしているという充実感が得られる。現地にいけばきっと元気になれる。
 鬱を経験して以来、長距離ドライブはもっとも苦手な行為の一つになっていたので、本大会運営上の最初の難関は岐阜までのドライブであり、もっとも懸念されるのは5月5日にバンケットが終わって、きっと虚脱感と疲れの入り交じった中で、無事車を運転して静岡に帰れるかということだった。
 連休初日の交通渋滞は大したことはなかったが、長距離ドライブのダメージは予想以上で、先が思いやられる。
 ほぼ予定通りの13時ごろ、中津川に着く。市役所分庁舎であるにぎわいプラザの1階では、数多くの市職員の方がパーティションを立てたり、机を運んだりしている。最初は感触が今一つだが、大会規模や参加国を聞く中で、中津川市も本腰を入れて取り組んでいただいたということだ。その象徴的な出来事が、市長さん直々のスプリント大会の市民クラス出場と、開会式での挨拶だった。プログラムに首長挨拶が載ることは少なくないが、多くの場合、代理の出席が多いなか、直々に会場に来ていただくどころか、自ら参加される。30日のモデルの日の夕方には市長主催のレセプションも設けていただいた。中津川市全体のバックアップには、こちらもずいぶん元気づけられた。
 
 岐阜ステージは、牧ヶ野さんの活躍で、当日には心配することはほとんど無くなっていた。総務の僕にとっての心配事は宿舎であった。国立大学の研修施設を借りたものの、こうした施設になじみのない外国人参加者に、布団の畳み方から食堂や風呂の時間まで、細かい規則を守らせることが不可能なことは容易に想像がついた。その監督を静大と名大の女子学生2人に任せた。心細そうなWさんTさんを施設に残して運営宿に戻るのは、本当に気が引けた。
 案の定、二日目に退所した宿泊者の部屋のあまりの乱雑ぶりに管理人さんがキレたという報告が入る。菓子折を持って謝りにいく。旧知のカザフスタンのボスのウラジミールには、「入所の時言われたように部屋をきれいにしてね。じゃないと、この子(女子学生)が困るんだからね」と釘を指し、出発時にもにらみを利かせにいった。後から、「ボスの部屋は、シーツも、元の折り目通りに畳んでありました」という報告があった。胸に手をあてて僕の小言を聞いていたウラジミールの姿が思い出された。
 岐阜入りして3日目、ようやくジョグする時間ができた。疲れ切っていて、楽しくも気持ちよくもない。そんな時、前の晩に山西先生が30年前にこの地で開催されたフォークジャンボリーの時、近所に住むAさんに、「子どもはなぜ走るか?」という禅問答のような問いを投げかけたという話しを思い出した。山西先生の答えは「楽しいからだよ」と聞いて、前の晩はなんとなく違和感を感じていたが、走りながら、「何も考えていないからだ」という僕なりの答えに思い至った。どんなスピードだろうが、この一歩が辛いことは滅多にない。先のこと、これから走るべき距離の事を考えるから、それに滅入り、大人は走らなくなる。
 パールズのゲシュタルト療法も、キーワードは「いま、ここに」だったな。今の自分に焦点を当てる。別にどこかが痛い訳でも、辛いわけでもない。走ることはその連続にすぎない。だとしたら辛いはずがない。その後のランニングが別もののように感じられた。パールズ、恐るべし。

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▲ミドルチャンピオンとなった鹿島田浩二。

表彰式で名前を読み上げる時、思わずじんときて声が上擦ってしまった。

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▲ミドルの日、女子2冠に輝いた中国のリ・ジが、随分昔に送ったオリエンテーリング本のお礼だといって、北京ダックのレトルトを持ってきてくれた。いかにも高そうな袋に入ったこいつが、ありえないくらい旨かった。中国チームはこの前日から旭高原の宿泊で、日本語のできるリ・ジにめんどくさい通訳を頼んで、嫌な顔せずにあれこれ世話を焼いてくれた。リ・ジ、礼に篤いし幼長の序は心得ているほんとにいい奴だ。ミドルの日の成績が悪かったのも、そのせいかと思うと申し訳ない。リ・ジの別の顔はリレーの日に見ることになるが、それは次の回のお楽しみ。

 

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2010/05/11

松代ロゲ2

松代ロゲは10時間のボリュームを実感すると同時に、作戦面の重要性を改めて痛感するレースだった。松代ブロックが約320点、その上に相当点数ばらばらとある。それに対して千曲の南の山塊で290点、その北の市街地周辺と山が180点。両方は周り切れないので明らかに北から詰めるだろうと考えた。

 スタート前に、ヤギ君にそっとつぶやくと、「もにゃもにゃ」(なんといったか忘れた)。僕らでもも少しスピードがあれば、千曲の山麓エリアで最低48点(これはあと15分あればとれた)、さらに山内で110点。やぎチームなら十分可能な周りなので、950-970は余裕でいったのではないだろうか?

 余談だが、松代に居城していた真田氏の家紋は六文銭。なんでだろうと思っていたが、帰ってきたらアシスタントの歴史オタクが教えてくれた。武田の家臣になった時、「もう戻る場所はない」という覚悟で、三途の川の渡し賃の6文を家紋にしたのだそうだ。

真田、渋すぎ。

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2010/05/10

アジア選手権の舞台裏(2)フロイトおそるべし

 今回は「自分の仕事は総務」と言い聞かせていたので、競技面には口を挟まないことにした。第一、競技準備が佳境に入ってからは、それどころではなくなっていた。
 3月の岐阜・愛知の視察では、椛の湖で調査する山川の元を訪れた。調査の進捗は、心配性のナショナルコントローラを悩ませるに十分な状況だった。20年近く前、やはりこの木曽路での地図調査が難航して疲弊する彼の元を訪れ、「ブラックジャック」役を務めた時の事を考えれば、僕には想定内の状況だった。20年前を思い出し、別れ際に「間に合わなかったら4月24,25はあけてあるぜ」と言うと、山川は「こんなおいしい仕事、人にやらせられるか」と言われた。比較的緩やかな地形、部分的に存在する微地形や複雑な植生のコンビネーション。確かにおいしい地図調査だ。
 岐阜の運営者にはトップエリートがいないので、今ひとつ優勝タイムが想定できない。4月の上旬、タイムだしのための試走をした。提供された5.6kmのコースは、ぱっと見には適度に見えたが、実際走ってみると46分もかかってしまった。1→2は緩やかに見えるが、実は100m以上もアップがある。地図の未完成部分でミスはした。明らかに走りにくい尾根もあった。それらを調整して、距離にして5.0km、現在の自分が37-8分で走れるコースへの変更を要望した。完成したコースは5.3km。ちょっと長いかなという気はしたが、より単純で、走りにくいレッグも解消されていた。男子エリートの優勝タイムを見ると、やはり5.0kmがぴったりだったと思う。
久しぶりの追い込んだレース気分は辛かったが、自分には山仕事が合っていると痛感した一瞬だった。
 
 4月になって、様々なタイムリミットが迫ってきた。受付のリストを確定させ、プログラムを完成させ、宿舎関係の手配を終え、総務関係の人の動きを明確にすると同時に、学生ボランティアへの指示もしなければならなかった。その一方で、総務は参加者からの問い合わせや申し込み不備に追われていたので、ウェッブに掲載すべきプログラムはなかなか完成しなかったし、同時にできればずいぶんと省力化できたはずのスタートリストの完成はその数日後になってしまった。
 とにかくもっとも締め切りの早い仕事を片づけ、それが済んだら次に進むという、全くの自転車操業状態だった。2月中旬から、ストレスにさらされて、一端は切っていた精神安定剤を復活させる必要があったが、4月中旬には夢にまで「もうこれ以上仕事できない!」という場面が表れた。フロイト恐るべし

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松代ロゲ

松代で10時間のロゲイニング。

アジア選手権後の「レクモード」のつもりが、レースになればまじモード。おまけに混合には飯島・星野、渡邊・大澤の強力チームがいる。体調万全とはいかないが、10時間よく動いた。

 中盤の500mのアップでは、なんと脚が動かなくなり、そこらにあった枝を拾って、ストック代わり。これが結構疲労している脚の助けになった。さらにはりかちゃんにプッシュしてもらう羽目に。こんな日がこようとは・・・・。

 弱音も吐かず登り切る。一休みするとかなり元気が回復した。意外と走れるものだ。後半も走り回って、スリリングにゴール

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▲中盤の登りは、まじ辛かった。

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▲ライバルチーム「遠足」(渡邊・大澤)との遭遇。

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2010/05/07

アジア選手権の舞台裏(1)アウェーでの戦い

1)アウェーでの戦い(大会まで)
 18年前のアジア環太平洋選手権では総務を引き受け、静大オリエンテーリングクラブの学生を研究室に呼び集め、教育実習で忙しいさなかに、プログラム作りや人事計画を練った覚えがある。昨年のスキーOの世界選手権でも基本的には総務部門を受け持っていた。それにも関わらず、総務に「アウェー」意識があったのは、基本的にこの分野が自分の性にあっていないからだろう。その上、今回は主催者としての人事、会計からプログラムづくりまで、全てを自分に元に集中させてしまった。サポーターの全くいないアウェーゲーム。そんな趣でアジア選手権への準備は始まった。
 2009年のスキーOが終わり、準備が本格化した時、折良く行われた5月の打ち上げ会で、清水さんとチーム的場に運営を打診。いずれも肯定的な返事を得た。その後実行委員会の枠組みは夏までにはほぼ固まり、1年前には出すはずのブリテンも基本的には夏にはできていたが、輸送・宿泊の細部が詰め切らず、正式版の要項を出せないまま秋に突入してしまった。秋は9月から12月まで、自分が中心となる大きなイベントを4つ抱え、それらに追われると同時に、ホリデーシーズンでもない5月、いったい海外からはどの程度の人が来るのだろうか。そのあたりが読めないため決断ができず、正式版の要項の完成はずれ込んだ。結果として要項をウェッブにアップできたのは、1月中旬。大会発申し込みのイギリスの夫妻に、「要項はまだか?」と問われた直後だった。
 時期はともかく、その内容はエントリー方法も十分詰めきれず、せっかくのエクセルによるエントリーシートも十分に生かせない形式での見切り発車であった。要項の不十分さは、あとあとまで影響する。アウェーの雰囲気に飲まれた、開始早々の失点だった。

 技術レベルは世界選手権に比べるべくもないが、総務の負荷は遙かに高い。選手の数も3倍。なにより対応すべき単位は世界選手権が20ほどなのに対して、アジア選手権ではその10倍以上になる。参加パターンも一律ではないし、一人一人が様々な動きをする。国際大会に不慣れな海外参加者にも対応しなければならない。要項の情報不足等で、様々な入金の不備や質問が発生する。3月に入ってからは受付担当の清水さん、なおさんはその対応に追われた。それがITにも波及する。払っても払っても降りかかる火の粉のような運営負荷の中で、総務・ITチームが疲弊していくのが目に見えるかのようだった。皆、メールでのやりとりの中で弱音を小出しにしながら、かろうじてバランスを保った。

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2010/05/06

無事帰宅

アジア選手権運営の中でもっとも不安であった、「バンケットのあと、無事車を運転して静岡まで帰ること」も達成でき、アジア選手権は無事終了した。

 初めての国際大会を成功させた時、オーストラリアのイベントアドバイザーに「気分はどうだい?」と聞かれて、「戦いには勝ったが多くの兵を失った将軍」にその時に気分をたとえた、2005年の世界選手権では、「大勝利を納めたが、国を財政危機に陥れた首相の気分」だった。その延長線上で言うなら、今回のアジア選手権の運営は、「ベトナム戦争末期の米国司令官」にたとえられるだろう。

 この大会の舞台裏、そして大会に際して考えたことを何回かにわけて報告したい。

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