あと1週間
1月くらいから、時に「もう、勘弁」状態になりかけていたアジア選手権の準備も、あと1週間を切った。今回は、森の中の仕事には一切手を出さなかった。そういえば、18年前のアジア環太平洋選手権も、僕は総務を一手に引き受けて、静大の学生を夜遅くまで研究室で仕事させていたっけな。
準備も、あと5日ほどで、「収穫」の時を迎える。今年の作柄は如何に?
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1月くらいから、時に「もう、勘弁」状態になりかけていたアジア選手権の準備も、あと1週間を切った。今回は、森の中の仕事には一切手を出さなかった。そういえば、18年前のアジア環太平洋選手権も、僕は総務を一手に引き受けて、静大の学生を夜遅くまで研究室で仕事させていたっけな。
準備も、あと5日ほどで、「収穫」の時を迎える。今年の作柄は如何に?
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秦野弘法山のロゲイニングでは、ajariの帝王柳下が満点を出した。僕らですら、あと1個だったのだから、結果は当然である。途中半分弱ですれちがったとき、僕は、「パーフェクトねらいだろう?」と声をかけた。当然自分のペースから、柳下自身はパーフェクトを狙うだろう。しかし、僕がそう声を掛けることで、他のトップ参加者も十分それを狙っている(ねらえる)ことを伝え、戦略の足しにしてもらう意図があった。オーマガジンに彼が寄稿した記事を見ると、彼は僕の言葉から推測し、「混合チームの村越さんもパーフェクトを意識しているということになる。つまり余裕をもってパーフェクトを取らないと個人男子では勝てない。2時間半の攻防と想定する。後半はきつかったがその想定タイムに向けて何とか耐える」と、ペース設定をしたようだ。
こうした情報戦略も、ロゲイニングの醍醐味と言えるだろう。
秦野の弘法山、うららかな春の風景
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まんじゅうから多様な等高線に進化した学生は、その後、ローカルな大会に出場した。帰ってきてからの彼女の第一声が、「先生、走りながら地図が読めるようになりました!」これまでの彼女がどのような地図読みをしていたかよく分からない。「地図を読む」といっても、単に地図を見ていただけで、そこから重要な何かを取り出すことが、走りながらはできていなかったのかもしれない。環境からの情報というのは決して、自動的に目や頭の中に入ってきているわけではない。プラン図を描くことで、それが走りながらでも自動的にできるようになったということなのだろう。彼女はきっと地図という記号の世界に、少しづつ血と肉がついて具体化してくるのを感じているはずだ。
数日前、附属の特別支援学校に依頼されて、中学生のための大学構内でのオリエンテーリングを実施した。彼らの中の半数は地図を理解することはできない。簡単にオリエンテーリングのルールを説明した後、「質問ない?」と聞くと、「この記号はなんですか?」といって聞かれたのは、緑の●、スプリントマップの植え込みであった。健常の子でも、質問を受け付けるとたいていこの記号についての質問が出る。彼は記号が何かを意味するということがちゃんと分かっていた。それ以上に、緑の●よりも一般的な記号である建物や道、その他スプリントマップ特有のたくさんの記号の多くは「分かっていた」と思われる。自分が記号の説明について、適当に流してしまったことを恥じるとともに、知的障害児に地図を教える可能性についての展望を与えてもらった。
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三島で開かれているスプリントの選考会見学ついでに、ロブと地図調査やら大会開催の相談にいった。大会の準備で疲れ切ってダウンしていたロブを無理矢理起こして、3つのイベントの相談。
帰りは、三島から清水まで自転車こいで帰宅。楽しい週末!
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大学オリエンテーリング部の学生が、インカレでの結果が悔しかったと見えて、「アナリシスを見てください」と言ってやってきた。二人でアナリシスを検討して、アタックまわりの地図が全然読みとれていないことが分かった。実際、彼女のこのレースでの破綻はアタックでの大きなミスからもたらされている。「これから100レース分、各コントロールのアタック周りのプランニング練習をしたら、インカレできっと入賞できるよ」と伝え、手元にあった適当なコース図を何枚か与えた。
それから約2週間たって、彼女は、クロッキーブックに描きためた、プラン図を持ってきた。とにかく2週間にわたって続けることができたのだ。それだけでも、目標に向けての大きな一歩であることは間違いない。たいていの部員は、このレベルのハードルさえクリアできないのだ。
しかし、驚きはもっと別のところにあった。インカレの数日後、はじめて描かれたプラン図には、同心円状の饅頭のような等高線があった。それは彼女にとっては「丘」という以上の何者も意味していなかった。ところが2週間たった図を見ると、地形は見事に多様な形に変化していた。特徴的な尾根の出っ張り、二重になった稜線、それがはっきりプランに表現されていた。このプランニング課題は、「地図を写してはいけない。必ず記憶の中に描き込んで、それを図に表現するように」という設定で行わせた。個々の地形の特徴が図に表現できるようになったという事は、図上のこととは言え、彼女の中で地形の個別的特徴が意味を持って記憶に残るようになったことを示す。美術科の学生だという下地はあるかもしれないが、2週間の変容ぶりには、指示をしたこちらがびっくりした。100レース分やれば、ほんとうにインカレで入賞できてしまいそうだ。
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3日の午前中に朝霧トレランの打ち合わせをして、その脚で作手に向かった。3日と4日は香港のパトリックが来て、最後の現地視察をしていた。山の中の仕事は全てコントローラや競技責任者に任せて、僕は終日部屋の中で参加者数の確認やバス運行のスケジュールづくりをしていた。まだまだ未確定要素が多くて、いろいろなことが煮詰まらない。
4日は、椛の湖に移動した。この日は調査者山川の挑戦を受けて、ミドルのタイム確認のための試走。地図が未完成とはいえ、切れ味のないオリエンテーリングをしてしまった。久しぶりに追い込んだレースは辛かったが、山の中の仕事の方が、数倍楽しい。
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静大オリエンテーリングクラブの学生を相手に、新入生勧誘のためのワークショップをやった。15年前の僕なら、ありあまる知識をひけらかし、ああしろ、こうしたらいいと、「知識を詰め込んだ」に違いない。しかし、20年も教育学部に身を置き、昨今の社会状況を見ていると、それは確かに結果を出す最短ルートかもしれないが、もっと将来を見据えたくなる。
「今日知りたいことは、全て実は君たちの頭の中にある」それを引き出す手伝いをすることが、今日の僕の役目である、と前置きして、「まず、自分がクラブに何を期待して入部したかを考えよう」という演習から始まった。
「どうしたらその期待に応えることができるか、具体的な行動を考えよう」「オリエンテーリングの魅力を書き出してみよう」「魅力を3つにまとめ、簡潔に新入生に伝えてみよう」と演習は続く。
「うちのクラブはいろいろなところにも大会で旅行にいけるんだよ」「いろいろって?」「うーん。いろいろ」。ロールプレイで、そんなやりとりを聞いていると、付け焼き刃ではすぐぼろがでる。自分が真剣に取り組んでいれば、「実は裏山もすごくいいんだよ。君どこ出身?豊川?、愛知の三河地方って、林業が盛んなんだよ。そこの森がすごくいいんだよ。高原みたいな場所で川が二つの方向に同時に流れ出す場所があってさあ・・・そんなところ、普通の旅行じゃいけないでしょ。」なんて、嬉々として話せるはず。
「本気で勧誘するためには、自分が楽しんで、真剣に取り組んでないとだめなんだなと思いました」。最後の感想でそんなことを言った学生がいた。「新勧って、実は一番難しいよね。インカレなら、自分に能力がなければ成績が落ちるだけ。でも新勧は、自分自身のオリエンテーリングに対する全姿勢が試されるから」、手伝いに来てくれた松澤君を裏山の接待ランニングに連れ出しながら、そんな話をした。
新勧がうまくできれば、就活なんて、へっちゃら。あながち的はずれでもないだろう。
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「中高年登山ブームの仕掛け人」とされる岩崎元郎さんが出した「山登りの作法」を読んだ。帯にある「奥深い山登りの作法をこの1冊ですべて習得」というのは大げさにすぎる。むしろ登山の入り口に立つ時、これくらいは知っていてもいいだろうという作法が50あげられている。
作法25では「地図は見るのではなく「読む」べし」とあり、等高線間隔と距離の換算の話が、作法33から36では気象の話が出ている。特に作法33と36に出ている雲の種類とそれによる観天望気や前線の話は、昔は中学校の理科で習ったものだ。僕自身それを習って以来、天気の見方が変わったという記憶が今でもある。教育心理学者の西林さんは、知識は覚えるものではなく、世界を見る道具であるという旨の発言を著書でしているが、理科の天気の話は僕にとってまさに世界を違った視点からみるための道具だった。
それが山の世界では自分の身を守る作法の一つであり、その意味では生きる力とも言える。 昨今、教育界では「生きる力」の育成のために体験的な教育への関心が高まり、知識を得ることが、ある意味「虐待」されている。しかし、その前に学校でしかできない(できにくい)、知識を世界を見る道具にするという教育に、先生方はもっと誇りを持ってもよいのではないかと思う。
少なくとも理科の知識は山では、それこそが生きる力になるものが数多くある。
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「遭難のブログ」とクロス掲載ですが、2007年の山岳遭難の元データを詳細に検討すると、「中高年の遭難って本当に多いの?」「中高年が道に迷っている?」そんな常識に対しても、意外な事実が浮かび上がります。
電子版が早期公開されています。またやまと渓谷にも記事を掲載予定
pdfはこちらから
http://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpehss/advpub/0/1003150141/_pdf/-char/ja/
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