トレーニングと研究
研究とスポーツという二つの世界に身を置いていると、両者の共通性を強く感じることがしばしばある。研究は一般には頭脳作業だと思われているが、頭を使わなければスポーツの世界だって一流にはなれない。何よりトップに立つには独創性が要求される。スポーツは肉体作業だと思われているが、研究だって(分野によるが)泥臭く単調な分析を、少しづつ条件を変えながら延々と繰り返すことが必要なことは多い。変数をぶち込んでランすれば、とりあえず結果がでる多変量解析(学生の卒論だとそういう処理が多いのだが)も、まともな結果を得ようと思ったら、試行錯誤と洞察の連続で、スポーツで単調なドリルをしているかのような錯覚に陥る。最近読んだ「その科学が成功を決める」(文芸春秋:これはアスリートにも、仕事の上で成功しようとする人にもお勧めである)でも、子どものころの「我慢強さ」が後のアカデミックな成功と大きな関連があることを報告していた。スポーツでも研究でも、地道なねばり強さは重要な鍵だ。
ここ2年間(といっても授業のない休みの時に少しづつ)取り組んだデータにようやく形と意味が与えられつつある。実感にそった美しい結果にほれぼれする側面もあれば、読図スキルと道迷い体験には正の(!)相関があるという、一見あり得ないような結果、そしてそれにリスクホメオスタシスの視点から、やはり実感に沿った説明を思いつく瞬間。データとそれに対する適切なアプローチは、自分の見方を広げてくれる。それは、適切なトレーニングが、自分の限界を押し広げる瞬間をかいま見せてくれるような快感である。
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