リフレッシュ
正月にだらだら過ごして、いきなり全速力で仕事をし始めたら、ありえないくらい疲れた。そのまま週末に突入し、久しぶりに東京での研究会に出た。自分自身も一時興味を持っていた身体知に関する研究会だったので、最近の研究の進展を知りたかった。学会のサブの研究会では、割と若手が野心的な研究、まだ確立していない研究成果を発表するのがおもしろい。
慶応の知識工学をやっている学生が発表したのは、音楽をやり指揮もする先輩が、野球部の学生コーチ(監督的な立場)である後輩を連れて、互いの実践を見合うことで、何が発見できるかという研究だった。そこで彼らが最終的に導いた結論は、「何をすべきか?」は意外と簡単に見つかる。しかし重要なのはそこに至る過程howを常に考えることだ。
勝つためには何をすべきか?野球部の学生コーチの発表者が考えたのは学生コーチといういわば「how」である。そして、それは慶応の六大学での50年ぶり?の優勝という形で結実した。難しいのはそれからだ。そうやってhowが確立すると、必ずそれはwhatになる。つまり「学生コーチを置く」ことが自己目的化して、なぜが忘れられ、また学生コーチを置くことでどのように部を運営していくかがおろそかになる。かつて学生クラブを指導していた時のことを思い出すと、学生はありがちなことに思える。
一方でhowは大事だが、whatはそれを生み出す仕組みである。whatがあるから、そこにどう到達しようかと考えてhowが生まれる。これは認知科学の枠組みでかつて議論された身体論に通じるものがある。しかし、生まれたが最後、それは低次のwhatになる危険性を秘めている。それをさらにhowにしていくこと、それは一流のプレーヤー、あるいは一流の指導のためのポイントなのだろう。
余談だが、音楽をやっている院生が紹介したオルフェウス室内楽団は、指揮者のいない楽団として有名だそうだ。その様子のビデオも見せてくれたが、一人一人の音楽家が全体の音楽の流れに同調するように身体を動かし、楽団全体が波打つ様は圧巻だった。それがいわば指揮の代わりに全体のリズムを保っている。かつて、学生と「うまくいった」キャンプの後かたづけの時に感じたことを思い出した。
あっという間の6時間。この疲れた頭で最後まで思考力が持つのかという心配は危惧に終わった。むしろこの6時間で頭はリフレッシュし、シャープになったようにさえ感じた。良質な合宿に出て、一段自分がうまくなったかのような気分だった。
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