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2010/01/31

朝霧アウトドアマップ

静岡県の研究助成をもらって2年間つづけてきた朝霧アウトドアマップとプログラムメニューの研究も、ようやく報告書を提出することができた。データ自体は集まっていたが、改めて地図として整えてみると、思いも掛けずいいできだった。目標としていた他の国のアウトドアマップにも遜色ない。涎が垂れそうなできだった。

 最後の取材で久しぶりに白糸の滝へ。滝への参道は売店をところ狭しとならび、俗化しているが、滝そのものはさすが。

Samplemap

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2010/01/29

教えるのって難しい

 1/20は朝日カルチャーの読図の2回目。担当は宮内だったが、ついでがあったので、野次馬的に参加した。「娘が心配な父親」気分でもある。
 野次馬として講習の場にいると、講師の働きかけと受講者の学習との関係にじっくり思いを巡らせる余裕がある。「この指示の意味を受講者は分かっているのだろうか?単に機械的に言われたことをしているだけになっていないだろうか?」「まとめがなかったが、今の演習から得たことを受講者はちゃんと教訓として頭にとどめているのだろうか?」等、自分の実践を振り返るきっかけが得られる。
 地図学習の難しさはいろいろなところにある。記号を憶えたり等高線を解釈するのは難しいと思われているが、むしろそれは難しいことが意識できている分ましなのだ。まだ初回だから学習内容もそこまで入っていないが、今後どれだけ学習者が気づかなかった読図の難しさに気づかせることができるかが講習の成否を分ける。
 教えるのって難しい

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2010/01/21

完全なる証明

 2002年、ロシアの数学者が100万ドルの賞金のかかっている数学の難問の一つ「ポアンカレ予想」の証明をインタネットに掲載した。ポアンカレ予想が解けたという主張はこれがはじめてではなかったが、この証明はやがて正しいことが明らかになった。解答したペレルマンには、数学のノーベル賞と呼ばれるフィールズ賞が与えられることになっていた。これだけでも興味深い話なのだが、彼は受賞を拒否し、多くの大学からの教授職のオファーにも関わらず数学界どころか社会から姿を消した。そんなミステリーじみた事の経緯を追ったノンフィクションが昨年11月に出版された「完全なる証明」(文芸春秋)である。
 この数学者が若いころトレーニングを受けたのが、数学五輪で70個以上のメダルを取った旧ソ連のルクシン門下の数学クラブであった。ノンフィクションによれば、この数学クラブに特別なことは何もなかった。生徒は教室に入って、与えられた数学の問題を解く。問題はよくできた標準的な数学五輪の問題であったが、そのほとんどはルクシンが作ったものだという訳でもなかった。「ルクシンがやったことは誰もができるようなこと」と門下生だったスダコフは語っている。
 しかし、実際にはそうではない。ルクシンは「(子どもたちは)解いた問題の一つ一つについて自分の話を聞いてもらわなければなりません」と言う。子どもたちは、自分の解いた問題の解答を言葉で説明することが求められ、またコーチ役には子どもたちの支離滅裂な話を聞いてやると同時に、それを整理して言えるように生徒を導くことが求められる。これは誰にとっても面倒な骨の折れる方法だ。だが、認知心理学の学習への応用で注目されている「自己説明」の考えとも通じている。
 すでに20年近く前になるが、僕が静岡大学のクラブをコーチしていた時、彼らに求めたのはレースアナリシスを書き、その添削を僕に受けることだった。彼らの説明は往々にしてわかりにくく、ルクシン門下の生徒のように支離滅裂だった。一方の僕は、彼らの述懐によれば、同様に彼らにとってわかりにくいコメントを返した。彼らの中の何人かは、それを理解しようと苦戦し、そして成長していった。
 僕は当時よりもう少し忍耐強くなった気がする。そしてもっとわかりにくい事を書けるように思う。もう一度コーチングの現場に戻ってみたくなった。
 

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2010/01/14

ひくてあまた

 今日から朝日カルチャーセンターの読図講習が始まった。こちらはJRと違って年齢制限がないこと、カルチャーセンターの元祖とも言える組織だけに、受講者もJRより少し「学習色」が強いように感じる。年齢制限がないので、僕のロゲイニングイベントでおなじみの顔もいくつか見られた。定員には達しない20人だが、講義をするにはちょうどいい。
 担当のNさんは、もともと添乗員をしていて山での安全管理の必要性から僕の活動に目をつけて講習を依頼してきた。ホワイトボードにプロジェクターを投影するのは、読図講習に欠かせない道具だが、光源が反射するのが難点だ。またスクリーンとホワイトボードの大きさもたいてい違うので、それぞれに合わせて映写の大きさを変えるのも、実は面倒。そんなことも、きっちり準備をしてくれた。僕が出講するのは、あとは屋外実技だけなのが残念なくらいだ。
 東京から戻って、大学の会議に出席すると、正面にいた生涯学習センター担当の知り合いの先生が、「公開講座やる気ない?」と声をかけてきた。2年前にやった読図の講習は、やる気のなさそうな広報だったが、それなりに人が集まった。受講生も、学長名の修了証書がもらえて満足そうだった。声がかかるうちが華。しゃあない。やろう!

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2010/01/10

安倍川中流域トレイルランニング

 昨日は頭をリフレッシュしたので、今日は体のリフレッシュ。安倍川中流の平野から静岡では割とメジャーな山「真富士(まふじ)」を登り、そのまま安倍川にそって南下する尾根を縦走。この春はこれをさらに延ばして安倍川源流の安倍峠から下る予定なのだが、その下見も兼ねて。
 平野までは、バス。少し寝坊したかったが、その後2時間バスがないので、9:02にスポーツショップアラジンの前を出るバスに乗る。平野まで約50分。9:55にスタート。林道・登山道を交互に進み、林道の最後の地点まで40分。真富士山頂まで累積(以下同じ)1:20。真富士北面の斜面は一面の雪だった。ここまでは急登だが、この後は緩やかに高度を下げる気持ちのよいトレイル。林業が盛んなため、針葉樹の中を軽くルートファインディングしながら延々進むトレイルは、他の山域では少ないと思う。地図とコンパスは必携だが、地図読みに自信がある人には、ちょっとした冒険気分が味わえる。俵峰の東の富士見峠2:20。竜爪山(文殊)2:45。南から見上げるとそびえるような竜爪山も裏から登るとあっという間だ。真富士からここまで走れない登りはほとんどない。さらにこの区間、東に展望が開けた場所では必ず富士山が見える富士山を見ながらのランニングでは、箱根に匹敵するものがある。
 そこからは一気のダウンヒルだが、意外と登りがある。鯨が池3:40。竜爪から1時間。そしてアラジンが4:40。27kmアップ2100m。竜爪から穂積神社に降りて、さらに草薙方面に尾根をずっと下ることもできる。これはさらに+5kmくらいだろうか?
 静岡に越してきた20年ほど前、このコースを走ろうとして、尾根上のやぶに懲りたのだが、そこは獣道に近いものの、やぶをこぐようなところは皆無になっていた。リピーターになりそうな気持ちよいトレイルだった。

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2010/01/09

オンライン通信講座:登山のための読図・ナヴィゲーション

ナレッジサーブというオンライン通信学習サービスで、読図とナヴィゲーションのための講座を開設した。実際の講習では対応できる人数にも限りがある。第一静岡周辺の人しか来られない。それを少しでも補うと同時に、初心者でなくても指導のノウハウやポイントを広めたいという気持ちもあった。

1章はお試し受講もできる。URLは下記

http://www.knowledge.ne.jp/lec1536.html

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リフレッシュ

 正月にだらだら過ごして、いきなり全速力で仕事をし始めたら、ありえないくらい疲れた。そのまま週末に突入し、久しぶりに東京での研究会に出た。自分自身も一時興味を持っていた身体知に関する研究会だったので、最近の研究の進展を知りたかった。学会のサブの研究会では、割と若手が野心的な研究、まだ確立していない研究成果を発表するのがおもしろい。
 慶応の知識工学をやっている学生が発表したのは、音楽をやり指揮もする先輩が、野球部の学生コーチ(監督的な立場)である後輩を連れて、互いの実践を見合うことで、何が発見できるかという研究だった。そこで彼らが最終的に導いた結論は、「何をすべきか?」は意外と簡単に見つかる。しかし重要なのはそこに至る過程howを常に考えることだ。

 勝つためには何をすべきか?野球部の学生コーチの発表者が考えたのは学生コーチといういわば「how」である。そして、それは慶応の六大学での50年ぶり?の優勝という形で結実した。難しいのはそれからだ。そうやってhowが確立すると、必ずそれはwhatになる。つまり「学生コーチを置く」ことが自己目的化して、なぜが忘れられ、また学生コーチを置くことでどのように部を運営していくかがおろそかになる。かつて学生クラブを指導していた時のことを思い出すと、学生はありがちなことに思える。

 一方でhowは大事だが、whatはそれを生み出す仕組みである。whatがあるから、そこにどう到達しようかと考えてhowが生まれる。これは認知科学の枠組みでかつて議論された身体論に通じるものがある。しかし、生まれたが最後、それは低次のwhatになる危険性を秘めている。それをさらにhowにしていくこと、それは一流のプレーヤー、あるいは一流の指導のためのポイントなのだろう。 
 余談だが、音楽をやっている院生が紹介したオルフェウス室内楽団は、指揮者のいない楽団として有名だそうだ。その様子のビデオも見せてくれたが、一人一人の音楽家が全体の音楽の流れに同調するように身体を動かし、楽団全体が波打つ様は圧巻だった。それがいわば指揮の代わりに全体のリズムを保っている。かつて、学生と「うまくいった」キャンプの後かたづけの時に感じたことを思い出した。
 あっという間の6時間。この疲れた頭で最後まで思考力が持つのかという心配は危惧に終わった。むしろこの6時間で頭はリフレッシュし、シャープになったようにさえ感じた。良質な合宿に出て、一段自分がうまくなったかのような気分だった。

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