諦める理由はいくらでもあった:里山アドベンチャー完走の記
3年ぶりとなった里山アドベンチャー。その柔らかな響きとは対照的に、年々コースはハードさを増す。数年前は谷川岳に登り、「どこが里山だ!?」と皮肉られたが、今年も武尊登山がナイトセクションとして入っていた。おまけに120kmノンストップ。早めに進めば、1-2時間くらいの仮眠が取れるが、途中のCPには、トップチームの進行を妨げる容赦ない課題が挟まれる(スコアオリエンテーリングで、次への出発時間の19時までは、時間がある限りかポイントがなくなる限りポイントをとりに行かなければならない)。
日頃の自転車でのトレーニング量の足りない僕は、ビバーク地点(といってもスキー場の駐車場)で既にへろへろで、スキー場への坂は、もっとも軽いペダルでもこぎ続けることができずに、歩く始末だった。この後、累積標高が1500mは越える武尊があり、さらに延々と課題が続く。レースを諦める理由はいくらでもあり、絶望的な気分だった。今の状態で武尊に上れるとはとても思えなかった。チームメンバーの小泉も、僕同様くたくただった。二人のうちどちらかがチームにとって60kg超の荷物になることも予想できた。ノンストップだから、休憩はせいぜい10分くらい。その状態で、明日は5kmのランとキャニオニング、カヌーに、それもいじめとしか思えないような、おそらく山道の担ぎだろうと思える標高差約450mのMTBでのアップヒル。自分の身体だけならゆっくりでも挙げられる。しかし、10kgを越える自転車を持ち上げるのは不可能に思えた。おまけに、一緒にトップを争っているチームは、こちらが15点ほどこぼしたスコアオリエンテーリングを完走しているらしい(後でガセネタと分かる)。つまり15分以上のビハインドをくらっている。
極めつけは、疲労から、水や食料を一切口にしたいという気持ちがなくなってしまったことだ。血中グリコーゲンがあれば、疲労感があっても動けるし、動こうという気力を作り出せるが、それがなくなれば、本当にその時点で動かなくなる。比較的気温も高くなったので、水分補給がなければ、脱水のおそれもある。昨年のハセツネでも経験していたが、この二つは長時間のレースには本当に致命的になり得た。救いは、先週集中して読んだスポーツ栄養学の本だった。所詮筋グリコーゲンを全て動員しても2000kcal程度。脂肪が使えれば、少なくとも5万Kcalは備蓄がある。どうやら、脂肪は動員できているようだった。
スタッフが「村越先生、ほおがこけてますよ。大丈夫ですか」と言われる中、武尊への登山道をよたよたと登りだした。ペースはゆっくりだった。少しでも無理をしたら、その瞬間に動けなくなってしまいそうだった。何度も小泉と宮内を待たせた。睡魔にも襲われ、時に0.5秒くらい意識を失うこともあった(これは、どのチームも似たような状態だったらしい)。そんな中で、宮内は一人だけ元気で気力があった。僕らを鼓舞し続けた。武尊の山頂に二つのチームの明かりが見えた。「他のチームも疲れているんですよ。」と宮内。そして、彼女は「こういう時は、チームの誰かがペースを作らないとだらだらしちゃうんです」といって、さっさと前を歩きだした。そのペースと、10分だけ取らせてもらった睡眠のおかげで、いくばくかはペースが回復した。また、彼女は僕と小泉の間を上下しながら、二人の荷物を「3人分はもてませんから」といいながら、交互に担ぎ上げた。彼女は民衆を率いる自由の女神のようだった。
この事態にあって、もう一つの救いは、今この瞬間辛いと感じてはいなかったことだ。これはレース中盤から意識してやってきたことだが、その瞬間に辛いと感じるようなペースを続けたら、36時間のレースは持たない。そうなれば、僕はチームにとって60kgのただの荷物になる。どんなに叱咤激励されても、そのペースだけは守った。ここに至るまでも、できるところでは手を抜き、スコアオリエンテーリングでも登りで出戻るポイントでは、プライドを封印し、利己的だと責めるスーパーエゴを抑圧し、できるだけポイントに近づかない努力をしてきた。
先のことを考えるのは止めにした。今はとにかく動けるのだ。どこかで身体が動かなくなるとしたら、その時、そこで止めればいいことなのだ。
武尊のナイトトレッキングが終わると、翌朝のキャニオニング開始時刻まで、約1時間ほどの休憩が取れた。着替えや用具の詰め替えをすると、自由な時間は20分ほどだったが、その睡眠は大きかった。たった30分の休憩と10分の睡眠で、気力も体力も回復していた。昨日心配してくれたスタッフが「今日は、元気ですね!」と、端からみても分かるほどだった。僕は、ドラクロワの絵の下半分から上半分に上がってきた(注1)。
そのCPでは、実はスコアでは僕たちのチームがダントツだということも聞いた。しかし得点差を考えると、予断は許されなかった。僕は400mは自転車担いで上れるくらいには回復していたが、小泉はどうだろう。また担ぎが不得意な宮内も、トレッキングの活躍で疲労していないだろうか?僕は登りで宮内を1回と、小泉を1回、自転車の担ぎでサポートした。小泉はそれで生き返ったようだった。ちょっとの休憩がよかったのかもしれないが、日頃のトレーニングがあればこそだろう。
「これだけ担ぎで登らされたら、どんな楽しいダウンヒルが待っているのかしら?」とレース後コメントしたチームがあった。管理道の付き方と送電線下の地形を見れば、それは甘い観測だということが予想できたはずだが、誰もがそう思って、辛い担ぎを我慢したのだろう。コースクリエーターの田中陽希は、あくまでサディスティックだった。管理道は容赦なく急斜面を葛折りで下り、しっかり担ぎだった。
注1:ここは、http://blogs.yahoo.co.jp/haru21012000/56941829.html
あたりをご参照ください。
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