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2009/08/31

朝霧高原トレランと富嶽周回

 朝霧高原トレイルランニングレースも今週末と迫った。いつもながら、新しいイベントを行う時はワクワクもするし、ドキドキもする。準備作業や用品については、豊富な経験と資材がある朝霧野外活動センターが、専属をつけてやってくれているので、抜かりはないだろうが、彼らの日常業務の感覚とランニングイベントの参加者の感覚がどう相互作用するのかは、楽しみでもあり、怖くもある。

 明日は計測機材の準備と、僕はコースチェックとそのインパクト調査の準備。自然保護団体からは目のかたきにされがちだが、本当に500人のランナーのインパクトがどれくらいなのか、それが永久的なものなのかどうか。誰も実証していない。戦略研究という助成金をもらっていることもあって、今回はそのあたりもきっちり押さえておきたい。

 富嶽周回のほうも、口コミとウェッブだけの募集に限っているが、8人の申し込みがあり、とりわけ静岡県が意外と多いのが嬉しい。富士山麓(主として南麓だが)を知り尽くした男として、コースも付加的情報も含めて、楽しめるイベントにしたい。

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2009/08/27

富嶽周回

おまたせしていた富嶽周回の要項をアップしました。

みなさんの参加をお待ちしています。

http://homepage2.nifty.com/MNOP/event/hugaku091114.htm

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2009/08/25

久しぶりの合宿

 来年に向けてのJWOC(ジュニア世界選手権)の合宿に出かけた。オリエンテーリングの合宿と名の付くものにでかけるのは本当に久しぶりだ。元はとはと言えば、この夏JWOCに帯同した国沢が、向こうでの惨々たる状況に「なんとかしなければいけない」という思いで始めたものだ。遠征から帰ってきてほぼ1ヶ月、直前2週間に召集したわりには20名ちかいジュニアが集まった。まずはその意気込みは買いたい。
 高校生が半数、大学1,2年あたりが半分といった構成で、主旨からしても同年代のオリエンティアの中ではトップ集団といってもいい存在だが、最初のポイントオリエンテーリングの1番コントロールでビデオをとっていて、その技術の頼りなさに唖然とした。
 確かにその年代のトップだけあって、うまい。起用にこなしている。しかし、プランは出来ていない、その危うささえ意識できていない。そのため、コントロールのそばでフラッグが見えないと、すぐに破綻して動き回る。地図を読むことによって有用な情報を読み取ろうという意識も少ないので、なんとなく地図を見ている。これじゃあ、大きな舞台で破綻するのは当然だ。
 分そんな事だろうと思って、ビデオを撮って夜のミーティングで見せた。仮にもスポーツの日本代表で、自分のプレーをビデオで見て分析したことのない選手がジュニアと言えどもあるだろうか?その当たり前のことから始めたいと思ったからだ。
 撮ったビデオを見せながら、「どうしてここでその動きをしたの?」と、ちょっとした方向変換につっこみを入れ、「このアタックでこのラインを走ったのはなぜ?」と、たかだか15mくらいの距離のライン取りの理由を執拗に質問した。彼らにしてみれば、自分のプレーをビデオにとってもらったことはあったかもしれないが、これだけ、些細な動きに「なぜ?」「どんな意味があるの?」と聞かれたことは、インパクトがあったに違いない。
 それで彼らがすぐうまくなるとは思っていない。しかし、強くなるためにどんな発想法を持たなければならないか、何をどこまでしなければならないかについては、きっと何かが伝わったはずだ。世界選手権から帰ってきた選手は、よく彼我の距離の大きさを「絶望的」なもののように形容する。しかし、その距離はこんな些細なことの積み重ねからできている。まずはそこに気づくことが、その距離を掌中に収めるためには必要だ。

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2009/08/24

南アルプスにて(11)山の自己責任

 山に入れば自己責任だとは言われる。ケガや事故にあっても自分のせいだよという意味だが、では山に入るとどのようなケガや事故のリスクがあるかと改めて問われると、抽象的に「落石」「滑落」くらいにしか答えられないのが普通だ。
 実際に山を歩いてみると、その一つ一つを、具体的に実感できる。方斜面が崩落している場所なら、転落や滑落の危険があるし、岩がうきがちな岩場での急登なら、それに加えて落石の危険もある。地図が読めれば、道迷いの危険性もある。これらは地図からある程度予測できる場合もあるし、その場を通る時、「あ、ここはこんな危険があるな」と感じ、それに対して気分を引き締めることもある。
 山に来る人は、遭難態様に上がる危険くらいは知識として知っているだろう。だが登山者は、どの程度場所場所に応じた具体的な危険を意識できているのだろうか?聖平小屋から南岳にあがる途中、夕涼みでもしているのではないかという日常着出歩いている中年?登山者に出会った。歩いている時刻と場所からして小屋泊は間違いないと思われるのに背負っているのもデイパックである。彼は僕(というより同行の利佳ちゃん)を見て、スピードを速めた。女性に追い越されるのが癪だと思わせるほどの反応だった。急登でしかも西斜面は崩落し、風が吹きさらしている中腹で、彼はとうとう息が切れて休憩をした。無理にスピードを速めるリスク、そんな場所で休憩を取るリスク、そもそもそんなかっこで山を歩くリスク、そんなことを彼はその場で感じられていたのだろうか? 
 自己責任とは、言葉の上で、「ケガしても自分のせいだよ」ということではない。山を歩く危険を具体的に思い浮かべることができ、それに対処することができ(そう、まさに英語のresponsibilityなのだ)る状態にこそ言えるタームなのだ。

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2009/08/21

がんばれ井川観光協会!(南アルプス山行記10

 8月11日、聖平小屋に到着したのは、もっとも混み合う15時ごろだった。受付に数人の列ができていた。愛想のよい小屋の主は、「まあ、お茶とクッキーでもどうぞ」と玄関にある、小皿を指さす。そのクッキーがおいしい。
 愛想よさに嬉しくなって申込書を差し出すと、「やっぱり村越先生ですよね」と、受付の従業員。申し訳ないことに憶えていなかったのだが、今年の春の読図講習を受講した人だった。そういえば、「夏は井川の小屋で働いています」、といっていた人がいたなあ。若い男性と中年女性の二人。
 19時のニュースに合わせて天気予報を聞かせてもらいにいくと、二人がくつろいでいた。中年女性の、「山を見る目が変わりました」という発言から、最近の登山者が「地図が読める」以前の問題だという話になり、そのまま主も交えて昨今の登山客の悪口で盛り上がった。テントを張りつつある登山者を名指しで、夕方到着するのが遅いの、あそこは登山道の上だのと、よほど鬱憤がたまっているらしい。
 道迷いの話でも、さわら島に降りるはずが、反対側の便ケ島に降りて、戻ってきてもう一泊した客の話とか、どう見ても間違えると思えない聖平小屋の入り口の三叉路で小屋への入り口が分からず南岳まで言ってしまった登山者の話とか、登山の前線に立つ彼らだけに、最近の登山者の裏事情をたっぷり聞かせてもらい、ビールまでご馳走になった。
 「そのうち、下山口までLEDの誘導灯を付けなくちゃならないかも」なんて、冗談めかしているが、実際この小屋では50mほど先のトイレへの道で迷う客がいたとかで、トイレまでは誘導灯がついている(そういえば荒川小屋もトイレは外だが、夜には街灯で誘導してある)。
 この聖小屋、最後の日に世話になった井川の民宿の主によれば、井川観光協会のドル箱らしい。聖平、茶臼、荒川の3小屋で毎年250万円くらいの利益がある。今年はその利益を全部自主運行バスにつぎ込んでしまい、さらに250万くらい赤字なのだそうだ。運賃を取ればいいところだが、そうすると認可が下りない。それなら寄付ということにすればいいのに。赤字が出たら来年は続けられないだろう。来年存続のためなら1000円くらい寄付をする登山者はいくらでもいるだろうに。
 うーん。残念。がんばれ井川観光協会!

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聖平小屋もいまはとってもきれい。緑色のテントのあたりが、市毛良枝がテントを張ったあたりだとか・・・

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こんなわかりやすい道標があってすら、小屋にたどり着けない人がいる。

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山で婚カツへの険しい道のり

18日づけの朝日新聞に「山歩き女子増えています」という半面大の記事が載っていた。ananやFranといった女性雑誌でも山の特集が組まれている。昨年来、山で感じてきたことはやはり本当だった。山に関心を持つ若い女性は確実に増えているようだ。
 10年来山にはまっているイラストレータの、「彼にも仕事にも頼れないと感じた時、大自然に身を置くと自分の悩みをちっぽけに感じる。揺るぎないものを求めているのかも」という言葉が引用されていた。そうか、彼女たちが求めているのは、出会いでも頼れるものでもなく、自分を癒してくれる「揺るぎないもの」なんだ。
 チャーミングな彼女たちを対象に婚カツする道のりは、井川線のアプト式のように険しい(日本唯一のアプト式のある井川線の駅の看板のぱくり)。

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2009/08/20

引っ越し

学内の事情で、研究室を引っ越した。本や資料だけで段ボール50箱。3日がかりでの詰め込みだった。今日は移動。移動自体は業者が来て6人がかりであっというまにやってくれた。久しぶり、すっきりなオフィスに座ってみると欧米の大学教授になったみたい。

その研究室も午後5時間で元の木阿弥に。幸いなことに、前の部屋より横幅が20cmくらいひろくその分、収納量が増えているはずなのだが・・・。とにかくぐったり。今日はビールがうまい!

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2009/08/18

21年オヤジ

 聖兎のコルから聖への登りはかなりの急傾斜だった。21年前、悪天候の中聖岳で断念し、聖平に戻ったのは正解だった。そんなことを思いながら聖岳に登ると、山頂は21年前と同じように霧の中だった。聖の名前の由来になった奥聖に行く気にもなれず、そのまま一気に聖平に下った。
 聖平小屋への三叉路には立派な道標が立ち、聖小屋への道はきれいな木道になっていた。こんな分かりやすい分岐でも道に迷う人がいるらしい。小河内の南岳まで登ってしまった人もいるとか、聖平小屋のあるじが嘆いていた。
 21年もたてば当然のことだが、廃墟のようだった聖平小屋はうそのように綺麗な建物になっていた。愛想のいい小屋番のあるじが、気持ちよく小屋に迎え入れてくれた。
 奇しくも僕らがテントを張った場所が、昔の小屋があった場所だという。

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聖平は今日も雨

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山で豚カツ

 荷物を軽くするため、山ではどうしても同じようなものを食べることになる。食べ続けた結果、空腹は感じても食欲を感じなくなることも少なくない。3日目(8月11日)ともなると、行動食のミックスドライフルーツにも飽きてくる。
 この日昼前に通過予定の百間洞山の家では、トンカツがあるらしい。今年のヤマケイの特集号では、トレイルランナーで、この周辺の山岳地域の救助隊員である望月さんがおいしそうにトンカツをたべている写真が出ていた。今日は「山で豚カツだ!」
 気持ちよい高原状の百間平を通過し、幕営地を過ぎて、百間洞山の家へ。ジュースを買って飲んでいると、「村越先生ですよね」と声を掛けられた。しばらく記憶をサーチして、宮内と通った静岡のクライミング事務の受付をやっていた静大の山岳部のOBだと気づいた。夏の間はこうやって山小屋でバイトをしているとの事だった。今日の目的地の聖平までは、まだふた山もあるが、なんだか自分の領分に近づいたような気がした。
 聞いてみると、豚カツは夕食のみ。昼の軽食類も、まだ9時過ぎたばかりで食べることはできなかった。山で婚カツよりも山で豚カツの方が困難な道のりのようだ。
 その後、中盛丸山、兎岳を通過して、聖岳へ向かう。南の方は雲がかかっているが、稜線には初めて夏らしい空が広がっている。

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小屋でバイトする、静大山岳部のOBと

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2009/08/16

大地主

 赤石岳に向かう途中の大聖寺平に、東海パルプの立派な標識が立っていた。そこには畑薙ダムより北側の大井川源流部の静岡市域は全て東海パルプの所有であることが示されていた。東海パルプがこの地域を管理していることは知っていたが、それにしても、源流部全てが社有林というのが驚きだ。もともと地元の有力者が起こした会社なのだろうか。それとも地域との何か密接なつながりがあったのだろうか?その広大さを見ると、二軒小屋や椹(さわら)島で宿泊者のみにリムジンサービスを提供するという殿様商売にも合点がいく。
 不自然に広大な社有林の謎の一端は、最後の日に世話になった井川の田代地区の民宿で明らかになった。井川村誌によれば、明治40年ごろ、財産区の税金を払えなくなった田代財産区は、広大な土地を二束三文で東海パルプの前身、東海紙料に売ったらしい。このあたりの詳しい経緯を知ることが、広大な社有林の謎や、南アルプスの特異な交通事情を解く鍵になりそうである。
 外材の輸入で、日本の林業はとっくに瀕死の重傷に陥っている。赤石岳や荒川岳周辺では、相当な高度にまで林道が建設されているが、それも今や無用の長物になっているはず。東海パルプはこの広大な社有林を持て余していないのだろうか?「南アルプスを世界遺産に」という動きがある時、積極的にこの地域でのエコツーリズムを展開しようといった将来プランはないのだろうか?

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荒川大崩壊

 3日目(8/11日)。3:30に起きて、4:30出発予定。空はまだ暗く、薄き霧が立ちこめている。その霧も空が白み始めるとともになくなり、好天の兆しが見えてきた。台風も予想より南のルートを取ったようだ。4:55に出発し、10分ほど歩いたところで、後ろの荒川大崩壊地で、落石の音が響く。赤石山脈の長野県側では、今でもこうして少しづつ山体の崩壊が進んでいるのだ。その時歩いていた私たちは、それが静岡を襲った震度6の地震の影響だということに気づかずにいた。
 赤石岳山頂に着いた時、17年オヤジことAさんに出会った。今し方地震があって、小屋では相当揺れたことを知った。家に連絡を取ろうとするが、当然電話は通じる訳もなく、メールを発信。子ども部屋の家具が固定されていないのが気になる。

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盟主:赤石岳

 高山裏小屋でまるちゃんのきつねうどんを食べると、小雨の中を荒川岳を目指して出発した。最初は大きな尾根を巻き、その後一気に荒川前岳を目指して緩やかな沢の砂礫地の中を高度差約600mを登っていく。今日唯一の大登りだが、傾斜はさほど急ではない。地図ではずっと荒れ地のように書いてあるが、前半はうっとうしい灌木帯を進み、中腹でようやく砂礫地に出る。主稜線は遙か高いところにある。
 主稜線に出ると荒川の大崩壊地の南側に赤石岳が雄大な姿を現す。名前の由来になった赤石は北側には産出していないようで、赤というよりもモノクロームの灰色の存在感ある山容が見える。中学受験のころ、この山脈を赤石山脈と習ったことを改めて思い出す。中南部での高度は塩見に譲るが、その山容は巨大山脈の代名詞となるにふさわしい。
 雨は上がっていたが、天候が心配だったので、中岳のみを踏んで、荒川小屋に下る。この日の天場は私たちだけ。基本幕営の登山者も、昨日の雨で今日は小屋素泊まりを決め込んだようだ。900円のロング缶で、今日一日の疲れとがんばりをねぎらう。

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▲盟主:赤石岳

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▲荒川小屋ではロング缶900円。

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2009/08/15

山で婚カツ

 最近山に来るのは中高年ばかりだという言説がはびこっているが、北アルプスあたりに言ってみると、実は若い女性が多い。しかも単独行が意外と多いのだ。社会生活にも慣れた30歳前後とおぼしき女性たちだ。昨年の北アルプスでそんな光景を見て、野外活動の授業では「山でこそ婚カツ」といい続けてきた。
 さすがに南アルプスには若い女性はいないだろうと思っていたら、男性の単独行と同じくらい若い女性の単独行がいる。二日目の午前中、雨にめげて高山裏の小屋で休憩を取ろうと中に入ると、ピアスをしたチャーミングな女性が、招き入れてくれた。まだ午前9時だというのに、今日はこの小屋で停滞を決めたという。昨日も一小屋分しか進んでいない。最後は茶臼までいくという。「大丈夫ですか?」と問うと、「今週末まで休暇長いですから」という。同宿でもすれば、こういう女性がなぜに南アルプス一週間の幕営縦走というディープな世界に入ってきたかを尋ねたいところだが、僕たちは先に進んだ。
 この日は、荒川岳への登りでも隙のない登山用具に身を固めた若い女性とすれ違った。「山で婚カツ」もあながち誇張ではない。山にはきちんと自立したチャーミングな若い女性ばっかりだ!考えてみれば、僕の一世代前には、合コンならぬ合ハイ(合同ハイキング)という言葉があった。40年前、山は出会いの場だったのである。今出会うべき魅力的な若い男性はいるのだろうか?「だめだね。若い男は遊び方知らないんだよ」と、同行の田島利佳は一刀両断。

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二日目(8/9)は午前中から霧の中。小河内避難小屋にて

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パスタ

 初日(8/9)は三伏峠で幕営。天場は、4割の埋まり具合というところか。良さそうな場所を選びテントを張り、食事の準備をする。今夜はパスタ。山でパスタというのはあまり聞かない。多分ゆで時間がかかるのと、ゆで汁がもったいないという印象があるのだろう。だが、僕らの山行ではパスタは定番である。今は3分や90秒でゆであがるパスタもある。さすがに山ではこの時間ではゆだらないが、倍の時間を掛ければ十分柔らかくなる。ペンネだったら、ゆで尽くしておじやのようにすることもできる。最近は100-200円で、多様なソースのレトルトがあり、簡単にできる。ゆで汁も、スープにしてしまえばよい(実際これは今年の「ヤマケイ」の「裏技特集」でも出ていた。何よりコストパフォーマンスがよい。山の定番α米は、「足下見てるんじゃないの」と思うほどの高さである。パスタは同じカロリーなら、1/4か1/5の値段だ。この日のパスタはトマトソースベースに、追加でソーセージを入れて、ボリュームも十分。
 夕方に小屋に明日の天気を聞きに行くが、芳しくないという。台風はまだ来ないはずなのに、夜中にはすさまじい風で目を覚ます。テントが飛ぶかというほどの嵐の中、うつらうつらしながら過ごした。

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初日はパスタの夕食

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17年オヤジと21年オヤジ

 8月9日、伊那大島の駅からバスで鳥倉口登山道入り口まで登り、南アルプス縦走の山行が始まった。伊那大島の駅で降りると、明らかに登山者と分かる7人がいた。4人のグループは、タクシーの運転手に「料金は同じだから」と説得され、タクシーで登山口に向かった。残った3名のうち一人はバス待ちの1時間を利用して昼食を食べに出かけ、結局僕らは1時間後のバスを待つことになった。車中では、登山者しか乗らないバス、車中では当然山の話題になる。60歳くらいと思しき男性、17年ぶりにこのコースを歩いたとしきりに強調する。山歩きをするものにとって、南アルプス南部は、簡単には近づけない、心して掛かるエリアという意識がある。そこに久しぶりに来たのが嬉しかったのだろう。しきりに「17年ぶり」を強調する。こちらも負けずに「21年ぶり」を強調した。静岡に赴任した年、登山が趣味の弟が言い出して、南アルプス南部をかすめた。それ以来のダブ南(南アルプス南部の俗称)である。
 彼は、利佳ちゃんがトレランシューズ姿なのに驚き、かつ心配してくれた(僕は珍しくミドルカットのトレッキングシューズだった)。その様子と、「長期の休みが夏以外は取れない」という言葉から、彼は教員、それも管理職だろうと推測した。このことは、道行き、次第に話をするようになって明らかになっていく。
 バスの終点の駐車場に到着すると、この周辺を日帰り周回しているヤギ君の車があった。幸運に感謝して、捨てきれなかったゴミを車に上にメッセージとともに(勝手に)預ける。
 そこから登山道入り口までは3kmの林道歩き。17年おじさんはダブルストックをさっそうと駆使して先にいってしまった。行程、日程ともほぼ同じ。ならばそれなりの経験者であろうという印象は裏付けられた。「負けじ」、とは思わないが、つい相手のペースが気になる。しかし、登山道に入って15分も上がると、彼に追いついた。彼は平地と下りに強く、僕らは登りに強かった。結局全体としてほぼ互角で、最後まで彼とは出会い/離れつつ歩くことになった。
 僕らは一人ではなかったが、彼は単独行。何かあった時誰かがすぐに助けてくれるという保証はない。その中でほぼ同じペースで歩く僕たちの存在は、少なからず刺激と安心感を与えたのかもしれない。本格的な山男からすれば「なめた格好」の僕たちを、最初は怪訝な目で見ていたが、女性を含めたパーティーでテント泊でやや荷物も多い私たちが同じようなペースで歩くことに親近感を感じたのか、最後には互いの職業やプライベートなことまでをしゃべる間柄になった。静岡に知人の多いという彼は「息子の嫁にするなら静岡人」という。残念ながら、こちらも息子二人。
 同業者どうし、最後は上河内岳の登り口でツーショットを撮って、名刺交換をして別れた。
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三伏峠までの道すがら、荒川岳日帰り往復!の柳下と出会う

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2009/08/14

白鷹山ロゲイニング

ロゲイニングシリーズ第四戦、唯一の東北での大会である白鷹山ロゲイニングのエントリーが始まりました。

http://www.sportsentry.ne.jp/event.php?tid=19577
エントリーはスポーツエントリーのみです。

なおホームページは

http://www.orienteering.com/~yamagata/Rogain2009/Rogain2009.html

です。

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2009/08/13

秘境 奥大井

■秘境奥大井
 8/9日から、大井川の源流の一つ三伏峠から、南アルプスの主稜線を、茶臼岳まで下り、井川に降りてきた。普通なら、ここからバスで直接静岡に帰るところだが、今回はかつての鉄ちゃんぶりを発揮して、日本唯一のアプト式鉄道に乗り、大井川鐵道のSL列車に乗って、金谷まで降りてきた。
 こうして様々な移動手段を駆使して、大井川の流域をほぼ上から下まで下ってみると、改めてその流域の特異性が実感できると同時に、こんな身近に秘境とも言えるエリアがあったことに改めて驚かされる。
 畑薙ダムより上の流域は静岡市の面積の相当量を占めるが、全て東海パルプの社有地である。その中心には、関連会社である東海フォレストが経営する山小屋があるが、そこに泊まると歩けば数時間かかる林道をリムジンで送り迎えしてくれる。最近でこそ、便利な登山道が開かれるようになったが、それまでは、東海フォレストのリムジンが数少ない南アルプス中央部へのルートであり、その不便さには定評があった。今でも、南アルプス南部というと、不便で入りにくいというイメージがある。
 このエリアの残り半分の山小屋は井川観光協会によって運営されている。今年、その観光協会が聖岳入り口までのバスの無料運行を始めた。対抗心なのか、山里の地域振興の切り札なのか、その背後にある思いは複雑なようだ。このバスの利用は井川観光協会の小屋に泊まることが条件だが、これによって南アルプス南部へのアクセスがより便利になることは間違いない。今年の状況を見て来年の運行が決まるというが、残念なことに天候不順やPR不足もあって、利用者は伸びていないとか。
 世界遺産にも登録しようという南アルプスは、訪れる人が少ないのが魅力だが、大井川を源流から下流まで移動し、その魅力に触れると、それを少しでも多くの人に味わってほしいとも思う。是非ともこの試みが来年も続いてほしい。
<バスの運行は9/23まで。詳しくは井川観光協会>
(南アルプス山行については、追ってレポート予定)

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2009/08/09

南へ

金曜日に研修、名古屋での会議を慌ただしくこなし、土曜日は、森林公園でエバニュー+フィールドライフ主催のミニロゲイニング大会運営をしてきた。80人以上の参加、どの程度か分からないスキルの程度。結局統一的な講習は諦め、屋内での地図の基本はクイズ形式に、屋外での講習は流れ作業的に、ストリーマをたどりながら、要所で、地図読みや方向確認の課題を出す形にした。

 参加者の感想を聞く限り、まずまずの満足度だったようだ。オリエンテーリングをほとんどしたこともない参加者たちから「楽しかった」という声を聞くのは何よりのエネルギーになる。その言葉は、逆にこうした楽しみに彼らが今まで出会わなかったという課題を僕らに突きつけているとも言える。

 夜、南アルプス登山のため伊那に移動。雨で中央道通行止め、バスの運転手は他のバスと無線で連絡をとりながら、杖突峠経由というアクロバティックなルートで、2時間遅れで伊那に到着。波乱の始まりなのか、やればなんとかなるという暗示なのか?

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2009/08/07

アジア選手権の準備が少しづつ進みつつある。ブリテン1/2はまだ発行されていないが、今日香港のパトリックが来て、実行委員会を開けば、ほどなく発行することができるだろう。必要な情報はほぼ揃った。

 国際大会開催の時に面倒なのは、英語で準備をすることでなく、その英語を多くの日本人役員や周囲の関係者のために日本語に戻さなければならないことだ。つい億劫になって後回しになりがちだ。重い腰を上げて、スキーOの世界選手権のイベントセンターで競うように遅くまで仕事をした「同僚」のSさんに電話でお願いした。「4pくらいなんだけど・・・」というと、「あ、ちょうどよかったです。今日ちょうど夜閑になったので、今晩中に出来ると思います。」

 おそるおそる「3日くらいで」と言おうと思っていたので、面食らった。実際、Sさんは翌朝には完成させた日本語版を送ってくれた。大会運営していて、よかったと思う瞬間である。 

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2009/08/06

仕事ができる人はなぜオリエンテーリングをするのか?

 昨年の春出されて2ヶ月で8刷りまでいった、「仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか」を文字ってみた。この本、明らかに幻冬舎の編集者が読者の注目を集めるために付けたと思われる。僕だったら、即刻却下だな。実際、著者の山本さんは、ライターが書いた内容があまりにはやりの自己啓発本っぽくてだめだしをし、結局自分でほとんど手直しをしたそうだ。もっとも、この本が「ビジネスマンのための筋トレ入門」だったら、こんなに売れはしなかっただろう。
 僕は逆に、怪しげなタイトル(ごめんなさい、山本さん9に敬遠していたのだが、山本さんが実は4月の富士登山を一緒にした人だということと、元自衛隊で初級偵察教程を主席で卒業という経歴に興味を持って、手にしてみた。驚くことにすごくまともな本だった。その本の一節に、トレーニングが成功する人の共通点として、1)目的が明確、2)忍耐力がある、3)計画性が高く実行力がある、4)情報の選択力が高い、5)コミュニケーション能力が高い、6)仕組み化が上手い、を挙げている。これってもちろんビジネスを意識した成功要因なのだが、いずれも優れたオリエンティアにも必要な内容だ。
 なるほどね。ナヴィゲーションがうまければ、世渡り(このフレーズ自体、生き方を空間のアナロジーで表現している)がうまい。「業界」を活性化させるには、これくらいの「大ボラ」が必要ということだな。
 「読み書き、そろばん、ナヴィゲーション」、これくらいが上品だろう。

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