明治期後半、地形図の唯一の空白地帯であった剱岳一体の調査が、陸地測量部の技師柴崎芳太郎らによって行なわれた。当時、剱岳は登れない山、信仰上登ってはいけない山とされていたが、地元の案内人宇治長次郎の助力に登頂に成功する(詳しくは、2008年2月19日<やればできる!>参照)。この話を描いた新田次郎の「劔岳<点の記>」がまもなく封切られる。富山では一週間早い来週からの公開で、いたるところにポスターが貼られていたり、写真展が行なわれている。今回のタイトルは、そのキャッチコピーから拝借した。
その劔岳の前衛とも言える大日岳の稜線で、6月6日にGPS測位を行なった。ここは文部科学省の登山研修所の冬山研修で、雪庇崩壊によって2人の学生が亡くなった場所だ。研修の再開条件であった安全検討委員会で提言された安全確保策の一環としての測位だ。測位山行には、登山研修所のHさんと、立山山岳ガイド組合長のTさんが同行してくれた。雪山初級者に近い僕には、不可欠な同行者だった。しかも測位部分の後半とそこからの帰路は夏場には人の入ることのない尾根で、困難な藪こぎが予想される。僕はその程度の認識だったが、Hさんは「こんな仕事頼めるの、あんた(Tさん)しかおらんわ」といい、Tさんも、「この時期、あのルートに入るなんて、こりゃ面白れえと思って引き受けたんよ」という。 測位をはじめ、核心部分は雪も残っており、順調に作業が終了した。しかし、その先の藪こぎは想像を絶していた。ハイマツ、竹藪、あらゆる種類の藪があった。樹林帯に入ると、多少歩きやすくなると言われていたが、それも希望的観測だった。登山靴はトレランシューズよりはるかに大きいから、やぶにひっかかりやすい。さらに雪が残る部分ではアイゼンを付けているから、その歯が藪にひっかかって抜けない。測位中は、頭上30cmのところに出たどんぶりのようなGPSのアンテナが灌木にひっかかる。二重苦三重苦の藪こぎだ。
藪に加えて、下り基調の尾根は複雑に分岐している。地元には詳しいはずの二人ですら、この時期には入るルートではない。冬山の記憶とGPSを頼りに進むが、しばしば進路に悩み枝尾根に降りてはGPSで気づいて引き返したり、いつの間にか斜面に降りたのを、ササと格闘しながら尾根線に戻る。そんなことの繰り返しだった。GPSは現在地を確実に把握するのには威力を発揮するが、進路を維持するのは苦手だ。このあたりの高度で雲海に入ってしまったのも痛かった。そんな藪との格闘を支えていたのは、パイオニア的な作業だという自負だったと、Hさん。まさに「誰かがやらなければ道はできない」。
今回の最大の目的のGPSによる測位が終わると、僕は暇になった。これだけのチャレンジが与えられる機会は滅多にない。Hさんの地形図を借り、地図を読むことにした。視界が不十分でも、高度計とコンパスがあれば、地形の特徴的な部分を地図から読み取ることで、進路を保つことはできるはず。地図で要注意の場所を予め把握し、繊細な地図読みと高度計でその地点を同定し、手がかりが少なくてもコンパスで正しい方向を見つける。その作業は、パズルのようで楽しかった。その楽しさがあってさえ、途中「ここで止めたい!」と何度も思った。 さすがに特徴のない地形が続く時には、不安になってGPSで位置を確認させてもらうが、主尾根から派生する尾根に入る難度の高い分岐では、地図+コンパスの方に分がある。HさんのGPSには10m等高線のデータが入っている。基本的には情報量が変わらないはずだが、トレースの過程でほんの少しだけ等高線が丸められているせいなのか、隠れたピークを読み取りずらい。GPSを持っているTさんとHさんが、時々僕に位置や進路の確認を求める。ナヴィゲーター冥利に尽きる一瞬である。
Tさん曰く、「なんぼ金積まれても、二度とやらねえ!」という過酷な藪漕ぎの中、ハイテク技術との力比べを楽しむとともに、GPSの強みはどこにあり、どこに弱点があるのか、それを地図とコンパス、高度計でどう補えるのかをたっぷり実践できた。考えてできる企画ではない。思わぬ副産物に、僕もHさんも大満足だった。 3人の一致した感想は「なんぼ金積まれても、二度とやらない。」でも、きっと新たなチャレンジが与えられたら、みんな「面白れえ」といって、似たような仕事をやるに違いない。
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