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2009/06/28

有珠山

 北海道の講習会の帰りに、ささやかな観光をした。講習会は登別で行なわれたのだが、講習は15時に終わる。飛行機が19:05分。4時間の間にどこか観光したいところないですか、と山田君に問われたので、「有珠山!」と迷わず答えた。最近火山学者と協同研究する機会の増えた僕にとっては、有珠山は2000年の噴火の時に「ハザードマップによって住民の速やかな避難が可能になった」という何度も引用した論文の一節で、北海道の火山の代名詞となっていた。有珠山は洞爺湖の南、洞爺湖はルスツリゾートの南。従って、登別からちょこっと内陸に入ると有珠山にいけるくらいなイメージしかなかった。
 いざいく時になって、地図をみてびっくり。有珠山は登別から千歳とは反対の函館方面に50km以上も行かなくてはならないのだ。「実はこの時間では結構無理があるんですよ。最初は拒否しようと思ったんですけどね」といいながらも、山田君は車を走らせてくれた。2000年の噴火では、水道に不具合が出て工事業者が重機を入れている最中に突然噴火が始まった。現在ではここが西山遊歩道になっている。遊歩道所から、むき出しの水道管と溶岩に埋もれた重機を見ることができる。かつてあった国道も、半分は埋もれ、半分は、断層でずたずたになっている。電信柱と時速50km制限の標識が地面のすぐ上に見えるがシュールだ。この国道、当然車道規格なのに、新しい1:25000地形図では徒歩道表示になっているのも、地図萌えの僕としては興味深い。
 有珠山東側の昭和新山は車窓からさくっとみて終わり。それでも千歳についたのはフライトの20分前だった。前日も、山田君はネタづくりと称して、林道の終点から1kmほど山道を歩いた露天風呂に連れて行ってくれた。なんだか観光ばかりしていたような北海道行きだった。

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2009/06/26

トレランバブル

 数年前、ある人から、「実はアウトドアブームは業界では終わっているということになっているんです」という話を聞いた。確かにそのころは、一時ほどオートキャンプとかのいきおいも無かった気がする。ところが今やどうだろう。トレランを核に、一時は若者絶滅の危機とも思われていた登山界ですら若い女性が増えて、当然のことながらそれに釣られて男性も増えるという構図になっている。北アルプスなぞにいってみると「登山者の高齢化」ってどこの話だという気にもなる。

 千歳に飛ぶ合間に品川と羽田の書店によってみたら、ターザンもアウトドア特集、monoマガジンまでアウトドア特集で、どちらも当たり前のようにトレランに多くのページを割いていた。間瀬ちがやさんが出てるのは当然として、ポーリンやら宮内まで出ているのにはびっくり。ターザンの記事の一部は、こないだ長岡さんの講習で一緒に登った山本けんいちさんが書いていたし~。

 トレランバブルはまだまだ続くかのようだ。それと同時にこのバブルがどのように集結するのか、落ち着く先を見つけるのかを占ってみるのも面白そうだ。

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2009/06/25

高雄でのワールドゲームズ

 マイナースポーツの4年にいっぺんの祭典ワールドゲームズが、今年は台湾の高雄(カオシュン)で行なわれる。オリエンテーリングは前々回の秋田から種目入りしたが、このゲームから五輪種目に移った種目もあり、IOFとしても当時は気合いを入れて臨んでいるのがひしひしと感じられた。イベントアドバイザーのオイビン・ホルトの小うるささには当時易壁したものだが、今思うと、彼もIOFの期待を一身に背負って詰んでいたのだ。
 その時以来の縁で、シンパシーを感じていたワールドゲームズがアジアに再びやってきた。しかも、台湾と中国はいずれもホスト国ということで参加資格が自動的に与えられたので、日本チームにも出場のチャンスが与えられた。選手となった加藤から「見に来ませんか?」と誘われて、実は迷っていた。一番大きな理由は、あかねちゃんの結婚式が18日に合ったことだ。ワールドゲームズは16日から開始で、19日にリレーで終わる。あかねちゃんの結婚式は、ちょうどその真ん中にあったのだ。
 飛行機を探すと、18日の夜発、20日の朝に台北を発つ飛行機がある。台北のホテルを2泊つけて7万円。19日のリレーは午後14時からなので、朝の新幹線で高雄にいって、レース応援後、たとえアジアの連中と夕食を食べてもやはり新幹線でその夜のうちに台北に戻ってきて、20日朝一の飛行機で帰ってこれる。結局予約を入れてしまった。
 我ながら、あほだと思った。でも、ワールドゲームズは何度も見る機会があるかもしれないが、その舞台で加藤を初めとする現役選手たちの活躍を見る機会は永遠にないかもしれない。

 7万円の出費のことを考えているうちに、GWの中国での講習会の交通費の精算が済んでいないことに気づいた。交通費と宿泊代が戻ってきたら、約9万円。今回の旅費を払って2万円も浮いてしまう!得した気分になった。はやいところ、中国オリエンテーリング協会に請求書を出そう。

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2009/06/21

具体性

静岡県体育協会の派遣で、某連盟のメンタルマネージメントを行った。目標を設定してもらい、それに対する課題を書いてもらう。さらに考えつけば、解決方法を書いてもらった上でグループで違いにアドバイスをしあうという設定だった。

 ほとんどが社会人だが、年代に応じて目標や課題がちがうのは興味深い。課題に対する解決方法で、一部の選手の具体性の低さが気になった。「体力」という課題自体も具体性が低いが、その解決方法が「休む時間をとる」というものだった。社会人ともなればこのような課題が発生することは理解できるが、多くの場合休みたいと思っていてもとれない。それをとるために、生活を切りつめるのか、職場で上司の理解を求めるのか、など具体的な動きが必要になる。そのレベルまで考えを詰めることができない。また周囲もそれに対して、「じゃあ、そのためにどうする?」というアドバイスをすることができないのだ。

 メンタルというと、プレッシャーに備えるとか、やる気を高めるといったことばかりが話題になるが、むしろ「具体的に対応を考える」ことこそ、今のアスリートに求められていることである。同時に、それは日本の教育の大きな課題であるかもしれない。

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タピオ逝く

50年近く生きていると、人の死はだんだん身近なものになる。とりわけ同年代の人が病気や突然死などで亡くなったという報に接する機会も増える。2月に行われたスキーオリエンテーリングの世界選手権のためにフィンランドから派遣されたアシスタントアドバイザーのタピオ・プシネン氏がトレーニング中に亡くなったというニュースが送られてきた。彼らの活躍なしには、この世界選手権の成功はなかった。何の報酬もなく大会一週間前から滞在し、60kmを越えるトラックを毎日せっせと踏み続けた。その活躍に接しているだけに、そのニュースは現実感を伴ってはこなかった。

 48歳、僕とは1歳の違いだ。このくらいの年代から心臓系の突然死のリスクは高くなる。中には注意によって予防できるものもあるが、死後の解剖でも原因の分からないものは少なくない。トレーニングをしなかったからといって絶対に防げる訳でもないし、分からない確率に対して、トレーニングを控えることもできない。

 タピオの冥福を祈る

Tapio

タピオ・プシネン氏(左から3人目、筆者の隣)とスキーO世界選手権のバンケットで

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2009/06/19

ロゲイニングは最後の30分がエキサイティング

 標高1700mまで上がる池山エリアでは体力、そして裾野に広がるオリエンテーリング地図エリアでは技術が問われた駒ヶ根ロゲイニングだが、同時に戦略も重要な要素にしたと、コースプランナーの木村君は言う。池山エリアを中心に攻めるのか、それとも裾野を攻めるのか。技術的>体力である僕たちのペアは当然裾野が前提だが、それとても配点によって変わる。配点を見て戦略を考える。それがロゲイニングの醍醐味でもある。
 20分前に地図が配られると、まずは配点のチェック。大きな固まりごとに得点を合計していく。こうすると、少数の高い配点のCPにだまされる心配がない。いくつか高得点がねらえたとしても周囲も含めて点がひくければ、そのエリアの価値は下がるからだ。
 配点を見ると池山上部が約380、下部が340。合わせて約800弱だ。一方、裾野エリアは最南部が520、中央が450点、そして、両者の接点である北部エリアが約240点である。さらにスタート前に池山マラソンのタイムから池山エリアが一周約100分だという情報も入る。ざっとみて裾野エリアは90分。3時間ロゲイニングなら、どちらかのエリアは完全に回れ、他方の取り方勝負ということになる。この時点で、裾野エリアを全部網羅し、時間を見て池山を上がるという基本戦略が立つ。なぜなら、池山エリアは上も下もほぼ同様の配点だが、裾野エリアは圧倒的に南部の配点が高い。このため、もし後ろに回して時間が足りない時のダメージが大きいからだ。
 基本戦略を立てると、テレインに幅のない今回のロゲイニングの戦略は楽ちんだ。作戦時間の半分の10分で、ほぼ周り方が決まる。
 ざっくりみて、45から周りはじめ、46>54と進むことを考えていたが、吟味を始めると、45は池山からの下りでとれる。なら46か?まてよ。それなら後半44>83>31と回るところを、83>46と前半に回っておいて、44>31と回る方が距離が短くなる。大きな戦略に迷いどころがないと、こういう微調整も楽だ。接点となる北エリアの60あたりまでで90分か、と読む。池山は登って下るだけなので、時間の読みも簡単だ。下りはほぼ6min/km。それを考えながら残り時間が距離×6minになる場所まで登っていくことができるのだ。ほとんどリスクのない作戦がとれる。
 30分、60分のところでチェックを入れる。ほぼ予想通りのペースで回っており、90-100分の間で60を通過できそうだ。利佳ちゃんのペースが思ったほど上がらないので、池山は当初の予定ほどは上がれないだろう。41のスキー場で残り50分。ここから63までは辛い登りだが、同時に標高に対するスピードをきっちり計算できる部分である。ペースが落ちたので、地図の先読みをする余裕がある。最後に80>34>45ととって帰ると「古い道標」から約3km。ここを20分とみれば、十分だろう。ということは63をとって林道に出た時の残り時間から20分を引いた分から「古い道標」までの時間を引いた分だけ登ることができる。うまくいけば74と104の両方が、多分どちらか一方だけがとれる。悪くても引き返せばいいだけの話だ。こういう微調整を、刻々と減る時間を見ながら臨機応変に判断を変化させていくのが、ロゲイニングの醍醐味、数時間のハードワークの末に与えられるご褒美とも言える。
 63への登りペースは思ったよりも速いので、うまくいけば林道に出たところで40分近く残るかもしれない。上に上がって降りるのに20分使える。しかもこの林道から上の林道までの距離は、さらにそこから74までの距離と登りにほぼ等しいので、正確なスケジュールで動ける。とにかく上がってみよう、と利佳ちゃんを励まして進む。林道に出た時、残り35分。下の林道に下る3分と20分をひくと12分。74と両方は無理だが、74より得点の高い約1km先の102がねらえる。行きは7分かかったが、当然やや下りの帰りはもう少し早い。その後の林道も下りになったせいで利佳ちゃんのペースもあがり、「古い道標」では、残り23分だった。下手をすると5分以上余ってしまってかっこ悪い。結果は約6分の残りだった。
 もう少しフィニッシュ周辺に得点の高いポイントがあれば、より参加者に高いレベルの戦術を要求できたと考えると、ちと惜しい。

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2009/06/18

劔岳<点の記>まもなく公開

 今週末から、いよいよ映画「劔岳<点の記>」が公開される。この硬派な映画が珍しく朝の番組で取り上げられていた。

 この映画の内容については何度かブログでも書いたので繰り返さないが、地図づくりに携わる者の端くれとして、久しぶりに金を出して見たい映画だ(ちなみに僕が最後にチケットを買ってみた映画は30年前の「八甲田山死の彷徨」だった。この映画のカメラマンが劔岳の監督木村大作だ)。今の世の中じゃ、地図なんて当たり前にように、しかもただで手に入るが、その作製の背後には多くの人の手と苦労がある。それは文字通り地を這うような苦労であり、山岳地域では命賭けでもある。

今朝の番組によると、木村監督はスタッフ・役者にも当時と日程で登山をさせ、同じような苦労を味あわせたという。また撮影途中には、音響のスタッフが落石で大けがをする目にもあっている。

 ライバルである日本山岳会の小島烏水との関係も、山に登るとはどういうことかを改めて考えさせてくれる。あれで1700円なら安い、というのが山岳での撮影をしきった「山岳監督」多賀谷さんの弁である。

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その多賀谷さんと大日岳山頂にて

 

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2009/06/15

駒ヶ根ロゲイニング

 講習や登山が一ヶ月以上続くと、たまの週末には休みたくなる。駒ヶ根ロゲイニングのこの週末も、パートナーの利佳ちゃんからは土曜日の山歩きを誘われていたのだが、土曜日はとにかく宿にいくだけ。余裕があったら、そこらを観光しようということになった。最初は「阿闍梨キャンプ」のはずだったが、杉山さんも交えて、結局ペンションでのんびり過ごすことになった。
 まだ大学院生だった20年前、駒ヶ根にはインカレの開催のために何度も通った。その時の常宿が駒ヶ根ユースだった。インカレ当日も役員宿となり、大会当日はペアレントの近藤さん、淳子さん夫妻には本当に迷惑をかけたけれど、彼らは快く僕たちのわがままを聞いてくれた。彼らはほどなくペアレントをやめて駒ヶ根にペンションを持った。そのペンションに泊まって、近藤さん夫妻と20年ぶりの再開を果たした。
 ロゲイニングは、戦略的にはやや単調であったが、裾野エリアはオリエンテーリングらしいナヴィゲーションを堪能できたし、池山エリアではガッツのぼりと、最後まで時間を計算してどん欲に得点を重ねた。利佳ちゃんも1週間走っていないというわりにはよくがんばり、男子組と合わせても3位。昨年の霧ヶ峰の覇者渡辺さんは今回もタイムオーバーで減点400点。「タイムオーバーの帝王」のあだ名を進呈した。
 霧ヶ峰では、いよいよ帝王vs上皇による南北朝の争いだな。

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▲ペンション憧風(どーふ)の近藤淳子さん。「村越さん、相変わらずスリムですね」というが、淳子さんも相変わらずかわいい。

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▲レース中、最南部で男子個人のタックに出会う。

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2009/06/12

富嶽周回

朝霧野外活動センターに9/6のトレランの打ち合わせで出かけた。申し込み開始から3週間で定員いっぱい。ハセツネとは比べるべくもないが、第一回レースとしては健闘だ。公的施設としての安心感か、はたまたロケーションの良さか。

 打ち合わせの合間に、「O(打ち合わせ担当とは別のセンター職員)が、富士山一周も全面サポートするっていってました」という。前の打ち合わせの時、「富士山一周も楽しい/エキサイティングだよね」とぽろっと漏らしたのをすかさず拾っていたのだ。

 じゃあ、日程決めよう。予定表めくって、うーん。11月14日(から15日朝まで)ね。今回は、はじめてなのでレースというよりも、チャレンジにしよう。センターがそれをサポートするという形でね。ツールドなんちゃらは、ちょっとねえということで名称は富嶽周回。

 朝霧野外活動センターを出発、1合目林道をとおり、西臼塚から、高鉢山にのぼり、その後幕岩をとおって双子山、太郎坊、富士吉田から精進湖登山道を下り、最後は東海自然歩道をとおって朝霧に帰る。4カ所くらいエイドとサポートがあれば、多くの人がチャレンジ可能だろう。西臼塚に御殿場太郎坊、精進湖くらいか・・・距離は多分70-80kmになる。日本の象徴を巡るトレランだけに本格的にやったら、参加希望はいくらでもいそうだ。

 そんなフットワークの軽いセンターとの共同作業はとても楽しい

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2009/06/07

誰かが行かなければ道はできない

 明治期後半、地形図の唯一の空白地帯であった剱岳一体の調査が、陸地測量部の技師柴崎芳太郎らによって行なわれた。当時、剱岳は登れない山、信仰上登ってはいけない山とされていたが、地元の案内人宇治長次郎の助力に登頂に成功する(詳しくは、2008年2月19日<やればできる!>参照)。この話を描いた新田次郎の「劔岳<点の記>」がまもなく封切られる。富山では一週間早い来週からの公開で、いたるところにポスターが貼られていたり、写真展が行なわれている。今回のタイトルは、そのキャッチコピーから拝借した。

 その劔岳の前衛とも言える大日岳の稜線で、6月6日にGPS測位を行なった。ここは文部科学省の登山研修所の冬山研修で、雪庇崩壊によって2人の学生が亡くなった場所だ。研修の再開条件であった安全検討委員会で提言された安全確保策の一環としての測位だ。測位山行には、登山研修所のHさんと、立山山岳ガイド組合長のTさんが同行してくれた。雪山初級者に近い僕には、不可欠な同行者だった。しかも測位部分の後半とそこからの帰路は夏場には人の入ることのない尾根で、困難な藪こぎが予想される。僕はその程度の認識だったが、Hさんは「こんな仕事頼めるの、あんた(Tさん)しかおらんわ」といい、Tさんも、「この時期、あのルートに入るなんて、こりゃ面白れえと思って引き受けたんよ」という。 測位をはじめ、核心部分は雪も残っており、順調に作業が終了した。しかし、その先の藪こぎは想像を絶していた。ハイマツ、竹藪、あらゆる種類の藪があった。樹林帯に入ると、多少歩きやすくなると言われていたが、それも希望的観測だった。登山靴はトレランシューズよりはるかに大きいから、やぶにひっかかりやすい。さらに雪が残る部分ではアイゼンを付けているから、その歯が藪にひっかかって抜けない。測位中は、頭上30cmのところに出たどんぶりのようなGPSのアンテナが灌木にひっかかる。二重苦三重苦の藪こぎだ。

 藪に加えて、下り基調の尾根は複雑に分岐している。地元には詳しいはずの二人ですら、この時期には入るルートではない。冬山の記憶とGPSを頼りに進むが、しばしば進路に悩み枝尾根に降りてはGPSで気づいて引き返したり、いつの間にか斜面に降りたのを、ササと格闘しながら尾根線に戻る。そんなことの繰り返しだった。GPSは現在地を確実に把握するのには威力を発揮するが、進路を維持するのは苦手だ。このあたりの高度で雲海に入ってしまったのも痛かった。そんな藪との格闘を支えていたのは、パイオニア的な作業だという自負だったと、Hさん。まさに「誰かがやらなければ道はできない」。

 今回の最大の目的のGPSによる測位が終わると、僕は暇になった。これだけのチャレンジが与えられる機会は滅多にない。Hさんの地形図を借り、地図を読むことにした。視界が不十分でも、高度計とコンパスがあれば、地形の特徴的な部分を地図から読み取ることで、進路を保つことはできるはず。地図で要注意の場所を予め把握し、繊細な地図読みと高度計でその地点を同定し、手がかりが少なくてもコンパスで正しい方向を見つける。その作業は、パズルのようで楽しかった。その楽しさがあってさえ、途中「ここで止めたい!」と何度も思った。 さすがに特徴のない地形が続く時には、不安になってGPSで位置を確認させてもらうが、主尾根から派生する尾根に入る難度の高い分岐では、地図+コンパスの方に分がある。HさんのGPSには10m等高線のデータが入っている。基本的には情報量が変わらないはずだが、トレースの過程でほんの少しだけ等高線が丸められているせいなのか、隠れたピークを読み取りずらい。GPSを持っているTさんとHさんが、時々僕に位置や進路の確認を求める。ナヴィゲーター冥利に尽きる一瞬である。

 Tさん曰く、「なんぼ金積まれても、二度とやらねえ!」という過酷な藪漕ぎの中、ハイテク技術との力比べを楽しむとともに、GPSの強みはどこにあり、どこに弱点があるのか、それを地図とコンパス、高度計でどう補えるのかをたっぷり実践できた。考えてできる企画ではない。思わぬ副産物に、僕もHさんも大満足だった。 3人の一致した感想は「なんぼ金積まれても、二度とやらない。」でも、きっと新たなチャレンジが与えられたら、みんな「面白れえ」といって、似たような仕事をやるに違いない。

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2009/06/01

ハセツネへの遠い?道のり

6月1日、今年のハセツネのエントリー開始日だ。昨年は2日の夕方17時にはいっぱいになったというが、今年は、通常エントリー定員は1000人。トレラン熱はおさまるところを知らないので、今年のエントリーは、PCのクリック勝負!くらいの状況が懸念された。

前の晩ふとみたアドスポのハセツネレポートをみていたら、興奮して寝付けなくなった。

 開始時刻は午前10時。普通のサラリーマンだったら、エントリーできない時間だよ。僕も1時間目の授業が10:10分まで。その後にネットにつないでみると、案の定、サイトはつながらない状態になっていた。やれやれ。今年は不戦敗か。しかも、数日前にクレジットカードごと財布をなくしたおかげで、クレジット決済もできない。ここでも、また一つハンディー。

 11時すぎ、ようやくつながった。ページの一つ一つの表示が遅い。クレジットは代金明細書に書かれた数字をうちこみ、×××になっている部分は記憶を頼りに打ち込んだらやっぱり違っていて、NG。仕方なくファミマ決済にした。あ?しかしそんなに現金もっていたっけ?いつもなら、キャッシュカードでおろせばいいのだが、それもないのだ。

先日の阿闍梨講習の時に集金した参加費が手元にあったことに気づいた。どうせ立て替えている金額と相殺でこれを使おう。

 ハセツネエントリーは入金順なので、まだエントリーが確定したかは分からないが、とりあえずハセツネへの一歩はなんとか踏み出せたようだ。

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