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2009/05/05

グレイゾーン

 重要な国際大会がルール通りに実施されるのは当然のことだが、2000年にワールドカップ技術統括として、国際アドバイザーと協同作業をした時、彼らが特に地図の解釈に関して柔軟な考えを持っていることにある種の驚きを憶えた。地図にはもちろん国際規定がある。しかし、国によって異なる地表面を解釈する時、「この表現は絶対にありえない」「この表現はよい」という2分法は適切ではなく、その中間にコンテクストによって解釈を変えてもよいグレイゾーンがある。

 失格に対する裁定員による最終判断でも同じような経験をした。規則違反は「適切ではない」ことではあっても、即「だめ」という訳ではない。裁定員はその「適切ではない行為」によって公平性が損なわれたかどうかを判断し、それによって失格かどうかを決定する。優勝チームによるウィニングランは、規則によればレースを終了したものが再びテレインの中に入るのだから、厳密によれば失格である。しかしそうならないのは、それが公平性を損なわないからである。上位2チームが競りあって帰ってきた時に、ウィニングランをしたら失格になる可能性がある。グレイゾーンをどう扱うかは、エキスパートの仕事の一つの指標になり得る。規則を知り、それを適用するスキルを持つことは上級者として当然のことである。グレイゾーンをコンテキストに応じて的確に処理できて、初めて達人と言える。

 10年以上かけて少しづつ自分の中で結晶していったこのことを、今回のイベントアドバイザークリニックの締めくくりの言葉とした。地図規程、規則、いずれに対してもイベントアドバイザーは的確だ/的確ではないの2分法だけで処理するのは適切ではない。その間にグレイゾーンを設定し、それに対して柔軟だが一貫した視点を持ちながら対応していくこと、それがアドバイザーが存在する理由でもある。 そうやって言語化してみると、同じことが危険認知を考える上でも重要なキーポイントになっていたことを思い出した。世の中には「まあ安全だ」「間違いなく危険だ」ということはある。しかしその中間に果てしないグレイゾーンがある。事故が生まれるのはえてしてそういう領域なのだ。グレイゾーンとその対応という考え方は、僕の周りにある多くのものを解く鍵になるような気がしてきた。

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