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2009/03/23

after thirty years

 子どもが大学に入った。30歳の時生まれた子供だから、僕が大学進学してから30年経ったことになる。その年の春、大学受験の約20日後、僕は初めて全日本選手権に挑戦した。場所は小田原だった。箱根外輪山の急峻な斜面の地図とコースは、前の年に欧州遠征した先輩たちが、彼の地で学んだオリエンテーリングのエッセンスを余すことなく表現したもので、当時それに太刀打ちできたのは優勝した山岸倫也一人だった。僕も全く歯が立たなかった。序盤で20分近いミスをし、何やってんだ?みたいな顔をして、山岸が追い抜いていった。それでも5位。
 それから30年がたち、再び全日本は小田原にやってきた。練習しながら、今の生活で全日本に備えるのはもう限界だなと感じていた。そう思うと、最後かもしれない全日本がエリートデビュー戦と奇しくも同じ場所だったことが感慨深い。今の自分はその時よりは間違いなく数段早い。そして、もし5位になったとしたら、きっと嬉しく、自分自身のパフォーマンスを評価できることだろう。そう思うと、この30年間に日本のオリエンテーリングは随分と発展した。そんなことを考えながら、前の晩を過ごし、眠りについた。
 成績が悪い時は、何も言っても言い訳か「たられば」になってしまう。この週の前半の疲労具合を考えれば、この日は不思議なほど身体がよく動いた。林の中が走りにくく、スピードが出せないことも幸いしたし、ヤブの中の微妙なアタックが要求されたことも自分にとっては有利に働いた。
 朝から頭が疲れていることを自覚している身には、これだけのことをするには相当な集中力が要求された。それでもレースの調子は悪くなかった。途中のルートチョイスレッグで、散々考えて、きっとこれが正解に違いないと思い、実際そのレッグを走りその感を強くした時、このレースはきっといけると思った。
 その後も集中して走った。いや、多分過度に集中していたのだ。ゴールした時点ではトップ。その直後に小泉に1分差を付けられた、さらに紺野がゴールして3位に後退したから、後からスタートするシード選手の数を考えれば6位入賞が現実的なところだろう。着替えて、しばらくしてから成績速報ボードを見に行ってみると、周囲に入賞確定を示す薔薇の花が付けられていたのに、自分と2位下の柳下にだけそれがなく、「失格」の赤い文字。コントロールは全部回った。そしてちゃんとラップも出ていたのにどうして?
 すかさず本部に調査依頼をしにいくと、信彦が「お待ちしていました」という。こっちも向こうも自信満々。いったい調査依頼になんと書けばいいのだろうか?隣にいたコントローラの酒井さんが助け船を出してくれた。「マークトルートを通っていないんですよ」。そういえばデフにはマークトルートが合ったが、通った覚えがない。改めて見せてもらったデフには10番の後に間違いなくマークトルートが描かれている。きっちり後半の地図読みをした時、このレッグからは、方向を定めて脱出しなければと思った。そして、フラッグの前に給水。給水後にパンチを忘れないようにしなければとも思った。だが、マークトルートがあることには全く気づかなかった。誘導テープ1本すら見た記憶がない。全くの失態だった。失格になった本人はもちろん、運営者だっていい気分はしないだろう。なんという失態!
 走っている時はもちろん苦しかった。逃げそうにもなった。それでも、「メダルを取るのだ。弱気になってはいけない」と思いつつ走ることができた。レース後半は、こんな快楽がもう20-30分で終わってしまうことが惜しいとさえ思った。そしてその結果が、トップ選手たちの集団に混ざってのタイム。これ以上望むものなど何もない。
 来年もがんばろう!って気になってしまったじゃないか。

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2009/03/18

ぐったり

スキーOの世界選手権が終わって10日たつというのに、疲れが抜けない。先週末は富士で気持ちよくスキルトレーニングができたと思ったら、今週は身体がぐったりだ。疲れもさることながら、荷下ろし状態ということか。焦らず、このぐったり感を味わおう。またうつになっちゃうからな。

そんな中で、久しくなかった、「新学期に新たな学生を迎えるために授業準備するのが楽しい」「本書きたい」という気分になってきた。

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2009/03/16

How do you feel?

How do you feel?  国際大会を終えると、国際オリエンテーリング連盟から派遣された監督官や国際連盟のお偉方から、たいていこう聞かれる。「ほっとした?」「仕事をやり遂げた充実感?」そんな答えを期待しているのだろう。2000年に、日本で初のワールドカップを終えた翌朝、初めてこう聞かれた時、僕の頭をよぎったのは「I feel like a General who enjoy great victory but lost a lot of soldiers」という回答だった。確かに大会は大成功だった。選手からの評価も高かった。素晴らしい地図もできた。600万あった赤字も、その地図の売り上げであっという間に返済できた。その時作った地図は、その後日本選手の強化やオリエンティアの楽しみに大きく貢献した。しかし、その陰には仕事の重荷に耐えられなかった役員や、苦労ばかりで充実感を得ずに終えた少なくないコア役員がいたからだ。
 2005年の世界選手権も、競技面では大成功だった。しかし、4000万を超える赤字が残った。I feel like a Ministry of Military who lead the country to victory but make the country bankrupt. そんな心境だった。
 そして、今回の世界選手権、閉会のバンケットで、多くのコア役員が、IOF副会長のヒュー・カメロンから、気分はどうだ?と聞かれたという話を聞いて、いったい僕はどんな気持ちだっただろうかと考えてみた。1月後半からの日常生活の中での準備は、正直辛い日々が連続した。山の中の地図調査はどんなに辛くても、自分がその日仕事をした分だけ、少しづつゴールに近づいているという実感と、それが直接大会に役立つという達成感があった。しかし、細々とした総務の仕事にはその実感は乏しかった。立場上、調整作業にも多大なエネルギーを費やした。それでも、大会に入ってからは、自分が選手たちの役に立っているという実感には恵まれた。少ない睡眠時間も意外なほどに気にならなかった(その反動は、大会を終えた後1週間は続いた)。
 決して勝ち戦にたとえる気にはならなかったが、負け戦と考えるには周りの評価は高すぎた。「第二次世界大戦後期のノルウェー人の気分」。バンケットの時、選手代表として大会に賛辞を送ってくれたノルウェー選手を見ながら、そんな比喩が浮かんだ。
 

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2009/03/12

バンケットのサプライズ

 天気の良かったロングの日は三脚が暖まることで光電管の反射板が傾き、レース中に光電管が使えなくなった。おまけにサーバーがダウンして、一時中間計時もストップした。吹雪のミドルの日は当然のように光電管は使えない。光路を雪が通過するのだから。最終日のリレーは、コアスタッフが12時、14時と一人づつ抜けてしまい、セクション全体が弱体化していった。そんな中で、WSOCのITセクションは一つのミスも出さず、その一方でバンケットでのサプライズのビデオクリップを用意していた。
 6分くらいのその映像は、前半は選手たちの迫力ある走り。後半は役員の活躍や選手たちとの交流場面、選手の喜びの表情からなる。趣向は韓国のAPOCの二番煎じだが、韓国では実行委員会とは関わりのない外注で作らせたのに対して、彼らは忙しい運営の合間に作ったのだ。
 大会が終わり朝早くのバスで千歳空港に着き、まだ眠い頭でもう一度このビデオクリップを見直してみた。BGMの曲はアーティストも曲名も知らなかったが、日常の仕事をこなす喜びを歌った歌詞だった。いつも淡々と正確無比に仕事をこなすITチームの心の底を覗いたような気がした。

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至福の時

 休養日を終えると、大会も後残すところ半分となった。ロングに比べれば、ミドルは悪天候だけが問題で、競技運営自体は簡単だった。後半ともなると、後は淡々とこなすだけ、という気分になってきた。
 休養日には、セレモニー部門の田中さんが書をやっているお嬢さんを呼んで、海外選手に1枚300円で色紙に名前を書いてあげるサービスをした。最初は客の入りが悪かったが、書いてもらった選手が見せびらかしたりしたのだろう。後半になると、ひっきりなしに客が訪れた。たいていの選手が家族の分とか彼女の分とかを頼む。中には8枚も依頼する選手もいた。WOC2005の時にもこのサービスは好評を博したが、他では滅多に手に入らないものだし、目の前で書道家のパフォーマンスを見ることが出来るわけだから、安いものだ。翌日の夜には用意した色紙がなくなり、sold out。

 村越さんにも何か書きましょうというので、「ロゲインの上皇、村越真」と書いてもらった。
 前日の天気とは打ってかわって、リレーの日は青空が広がった。風は若干あるが、世界選手権のフィナーレにふさわしい天気だ。レースの日の朝は総務は、選手変更の届けに備えることくらいしかやることがないので、ようやく落ち着いて朝食が食べられるようになった。アトリウムでビュッフェの朝食を取り、窓の外のウォームアップゾーンで、選手たちがスキーテストをやっている。暖かい部屋の中でおいしい朝食を採りながらその光景を見ていると、満ち足りた気分になる。
 二日とも、ハンヌとアンティというフィンランドからの助っ人親子と同席した。彼らは6時からモビルでトラックを踏んで、8時頃そそくさと朝食をとると、再び山に入っていく。彼らはこうして10日間、毎日トラックを踏み続けている。
 10時、男子競技が始まった。日本チームは堀江、田中、高橋というメンバーだ。スタートして20分が経過したころ、携帯電話で連絡が入ってきた。堀江がトップを滑っているという情報だった。堀江はフィンランドのリレーでもトップで8位という好順位で帰ってきた。自分が世界のトップ選手をリードする瞬間はアスリートにとって至福の時に違いない(その時はそんな余裕はなかったと言っていたが)。実況をしていて、マイクの前で思わず「わお!」と叫んでしまった。
 その後堀江は順位を落としたものの、トップと1分の5位で帰ってきた。フットにしろスキーにしろ、入賞順位を記録したのは日本チームとして初めてのことだ。結果的には8位。壁と可能性、両方を感じたレースだったのではないだろうか?

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▲日本男子チーム8位でフィニッシュ

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2009/03/08

ルスツ最後の夜

 休養日を過ぎた後は速かった。あっという間に最終日のリレーを迎え、そして世界選手権は終了した。小さなトラブルはいくらもあったが、ラッキーとハードワークで乗り切った。とりわけ朝から夕方までモビルを動かし、コントロールをつけ、そして夜は地図を描き続けたトラック部隊のコース設置部隊の苦労は相当なものだっただろう。

 受付の相棒、清水さんが抜けてからは、選手の対応と、技術部門のバックアップ仕事の両方がのしかかってきて、いくら時間があっても足りないくらいだったが、それも後半二日には次第におちついて来た。

 最終日のリレーも終わってみればあっけなさが残った。

 この大会でグランドスラムが達成できたかどうかの評価は微妙なところだ。選手を代表してノルウェーのオイビン・トンナがスピーチをして、「これまでの中でもベストのうちの一つだ」というコメントを残してくれたが、自分としてはピントこない。競技面でももうちょっと余裕のある運営ができれば、目立ったトラブルもなく終えることができただろう。総務の後方支援も破綻のリスクを踏まず済んだだろう。

 それぞれがサービスキープでセットを取って、1:1で突然の雷雨。試合中断で決着着かずという気分だ。この先「グランドスラム」に挑戦するチャンスは与えられるのだろうか?そのチャンスは自分で見つけるべきものなのだろう。

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▲コントロールの設置はフットでは考えられない面倒さだ。

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▲2冠に輝いたアンドレイ・ラモフ選手

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負け戦

あっさり終わったスプリントに比べると、ロングは苦難の連続だった。ただでさえ明け方に地図ができあがるスケジュールの中で、複雑なパターンを刷り分け、間違いなく選手に渡すようにナンバーを振らなければならない。スタートもマススタートで、最後まで選手は競り合って帰ってくる。スタートにもフィニッシュにも大きな負荷のあるレースだ。
 元々一人の役員が2人の選手に同時に地図を渡すという計画だったが、一人でもっと多くの選手に配れるのではないかということになり、5人ほどで50人に地図を渡す計画にTOM直前に変更になった。ところが当日の朝になって、スウェーデンの監督からクレームがついた。選手によって配布時間に差ができてしまう。たとえ裏替えして渡しても地図は透けて見える。それは不公平だろうと。実際その場でやってみると、その通りだった。こんなことは、とっくの昔に確認していなければならなかったことなのに・・・。 スタート直前で配布方式を変更することにした。SEAが、IOF関係で10人は出せるよといってくれた。副会長のヒュー・カメロンまで地図渡しをやる羽目になった。
 男子のフィニッシュがほとんど終わったころ、ITチームがトラブルに見舞われた。天候がよかったため、フィニッシュ計時のための光電管のスタンドが熱を持ち、立てている雪がへこんで、光軸がずれてしまったのだ。女子のレースの直前に、この第一系統を捨てて、手動計時に切り替えた。その直後のITテントは戦場か急患が大量に運びこまれた病院のようだった。
 そのトラブルを乗り切ったころ、アメリカのシャロンに間違ったパタンの地図が渡されたことが発覚した。様々なパタンの地図を印刷する時、紙送りが1枚づれて、裏の選手ナンバーと実際のコースパタンがずれてしまったのだ。結局、ほぼ距離的にもほとんど違いはないこと、そして成績上、上下とのタイムの離れた下位だったことから、そのまま完走扱いとすることで収集した。上位に対して同じミスを犯していたら、間違いなくレース不成立となったところだろう。
 第二セットは、気分的には完璧な負け戦だった。

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2009/03/06

 レースのない今日は、役員にとっても休養日である。夜のミーティングも簡単に終わり。とりあえず差し迫ってやることもない。ここルスツではリフレッシュする場所に事欠かない。大会中に、居酒屋でビールとおいしい料理が楽しめるなんて!
 休養日の午前中は、特に差し迫った用事もなかったので、コントロール設置に志願した。コントロール数は大会全部でも100個あるかないかだが、選手が容易に通過できることが求められている。さらに下り坂では、選手が止まるためにユニットをぶら下げているロープを引っ張る。ロングのレース中にはそれでちぎれて二つあったユニットが両方とも雪の上に落ちてしまったコントロールもあった。そうした状況に耐えるだけの細工は、思っていた以上に大変だった。

 雪の中でのモービルでの設置は、寒い点を除けば初めての遠足みたいなワクワク体験だった。最後には高島に変わってモビルを運転させてもらった。またまた経験値があがった。

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2009/03/05

経験値あがる

競技面では全く分からないに等しいので、庶務に徹しようと思っていたのに、いつのまにかテクニカルミーティングで受け答えをする羽目になり、今日は議事進行までやってしまった。

 世界トップのプロフェッショナルと一緒に仕事をしていると、自分もいっぱしのスキーオリエンティアになった気がする。もちろんそれは知識の上だけのことなのだが、スキーオリエンテーリングで何が重要で、また選手やコーチたちが何を求めているかは分かるようになった。それは運営者として重要な感覚である。スキーオリエンテーリングの運営者としての経験値は格段に上がった。チームオフィシャルミーティングを仕切るあの快感をここでも味わえるとはね。

 最初の種目のスプリントが終わった。今日のことなのに、ずっと昔のことのように思える。苦手だと思っていた芝のコートも以外といけるよね、ってな感じだ。グランドスラムへ向けて、第一セットはサービスキープ。

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2009/03/03

まだまだある

コースチームは、3時までかかってモデルマップを完成させた。6:30にオフィスにいってみたら、木村君は爆睡していたが、地図はきっちり150枚刷り上がっていた。

 夜25時の時点では、木村君が異なる縮尺の地図をどうやってマージするか悩んでいたが、そのわりには上出来だ。SEAに「いいできでしょう?」といったら。「no,no!」と言われた。その後、彼はにやにやしながら「Excellent!」と付け加えた。過去の世界選手権のどれとも遜色ないできだ。

 これで8時から、地図を配布できる。さっそく8時には、チェコのオフィシャルがやってきた。「Eカードはないのか?」という。確かにスキーOでは、実際のセッティングに対してどうEカードを使うかは大きな問題だ。うーん。そこまで気づかなかった。ダメもとで、的場君のところにいってみると、すでにチームの分が綺麗にそろえて、配れる状態になっていた。その後、あちこちのチームから、「Eカードは?」と聞かれたので、準備できていなかったら、面倒なことになっていただろう。的場ITチームはやることに隙がない。

一段落ついて、朝食に。ルスツに来て初めての朝食だ。

 9時半すぎになって、エストニアの選手が、なにやらごちゃごちゃ言っている。最初は何をいっているのか分からなかったのだが、多くの選手がスキーグローブにぴったり裏面をつけることが多いから、これでは名前が識別できないよ、ということらしい。それは気づかなかった!TOMまでに対応を考えなくては。

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2009/03/02

いろいろある

世界選手権の受付をしているといろいろなことがある。

 さんざんメールをやった相手から、「おー、おまえがシンか」と握手を求められることもあれば、トラブルに見舞われることもある。海外を遠征していた時にはだいたい貧乏で不便な暮らしを強いられていた経験があるから、できるだけチームの要望には応えてあげたいと思う。小さな手助けから、こちらがかなり振り回される手助けまで。走れない自分にとっては、ちょっとしたことでも感謝され、それが彼らのパフォーマンスの足しになれば嬉しいと思う。選手のパフォーマンスを望むという点では、team officialもorganizing official も気持ちは同じなのかもしれない。

 チームの受付では、国歌の確認をする。そもそも間違えている訳もないのだが、厳粛な儀式だけに、失敗は許されない。「必要ないよ!」と笑う選手も居れば、一回は大会中かけてほしいね、というチームもいる。カザフスタンは、正しい国歌ではあったが、「それは古い」と言われた。なぜか、若い女の子が携帯に持っていて、それをブルートゥースで送るという。うーん。おじさんにはわからんな。

 的場大先生に頼んでさくっと処理してもらった。

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女の子の携帯からブルートゥースで国歌のファイルをもらう的場氏

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留寿都は雪

しばらく好天が続いていた留寿都は大会直前で雪が降り出した。気温も下がっている。

この天気の中コースセッティングチームは、フラッグ設置に出かけた。フットと違って、コントロールを設置するのも大変で、マグロ延縄用のフックまで使っての設置。

 総務チームはほとんど徹夜状態でレジストレーションの準備。その合間に、僕はブリテン4を仕上げ、地図のレイアウトも発注が来た。修羅場はこれからのようだ。

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雪の中設置に出かける信原氏

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