ルスツの日々
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札幌で1泊してルスツに到着した。天候小雪。スキーオリエンテーリング的にはいいコンディションなのだろう。
本館の前のアルペンゲレンデで、スウェーデンの選手が滑っていた。いつもの国際大会風景がこれから展開されると思うとワクワクする。
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一流の光明がほのかに見えたこともあったが、自分自身がオリエンテーリングの選手としてせいぜい1.5流なのは、誰に言われなくても分かっていた。一方で、オリエンテーリングを四半世紀以上やってみて気づいたことは、自分にはオリエンテーリングをオーガナイズする才能があったということだった。
思えば、中学生の時からオリエンテーリングの大会を運営し、小遣いを稼いでいた。87年の大島の調査。世界のどこでも地図調査ができる自信を手に入れた。92年のAPOC、気を張ることも過度に緊張することもなく初の国際舞台にデビューした。これはまあ親善試合みたいなものだったが、2000年のワールドカップの時には、調査から運営まで、コントローラの言葉は確かに新たな見通しを与えてくれはしたが、その要求に驚くようなものは何もなかった。世界のトップの厳しい要求にしっかりと応えた。
それから9年・・・・
マイナースポーツの五輪とも言われるワールドゲームズ、そして昨年の「アウェー」での地域選手権。そしてもちろん世界の頂点世界選手権。そのいずれにおいても競技面で責任ある役割を与えられた。
それもこれも、日本というオリエンテーリングがマイナーな国に生まれ、多くの仲間に恵まれたからこそでもある。そして4大大会の最後にスキー世界選手権。これは種目としても、立場としても、「苦手な芝のコート」みたいな大会だが、なんとか、決勝のコートに経つところまではこぎ着けた。
成功させてこそのグランドスラム。悔いない戦いをしたい。
日本選手の活躍は以下のサイトで!
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正直今年に入ってからの2月は、払っても払っても降りかかる火の粉の中を逃げる火事場のような日々だった。一つ一つの仕事を引き受けた時は、「楽勝!」「楽しみ!」と思っていても、いつの間にか集まる時には仕事が集まる。1月末にはとうとう3日間も雑誌原稿の締め切りを破ってしまった。ここ数年なかったことだ。
スキーOの世界選手権は、人事も資材も日々更新される。それらのメールに対応しているだけで終わってしまった一日もある。2005年に森の中で感じた様々な苦労とは違う苦労は、辛くもあったが、新鮮でもあった。2年前だったらとても精神的に耐えられなかっただろうと思うと、そんな辛い日々も自分の健康のバロメーターのように思えてくる。
その世界選手権もあと2週間もすれば終わってしまう。ウクライナのユリアが2007年の世界選手権の後言っていたように、「あの戦場のような日々が懐かしい」と思う日すぐそこまで迫っていると思うと、残りの日々がいとおしくもある。スタッフも金も足りないなか、とにかくここまでやってきたのだ。どんなに疲れていても、ルスツに入れば、目の前にいる選手たちが、気持ちを引き上げてくれるだろう。そんな日が現実感を伴って間近にやってきた。
2005年の世界選手権の最後の晩のミーティングで、役員を前に「(『世界選手権の時には私たち70越えているんですよ』というI夫妻に、『冥土のみやげだと思って世界選手権運営しましょうよ』と誘ったが)もう一度世界選手権が来る20年後には、僕だって一線で仕事をしているとも思えないので、これが僕にとっても冥土のみやげと思って運営します」と宣言したが、それからたった4年で、もう一つの冥土のみやげができる。
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読図を教える機会は何度もあったが、今回は、マンツーマン。しかもその結果が記事になる。ヤマケイの4月号からの連載(タイトル未定)で、編集部の女の子に読図を教えながら、1年間の成長を記事にするという企画である。2/16に初めての取材を奥武蔵で行なった。ヤマケイの編集部員だから山好きではあるが、本当に地図が読めなかった。1年後、今日は基本の記号が中心だったので、一つ一つ確認しながら歩くと同時に、随所で尾根・谷の判断をさせてみた。実際の地図を使いながらの尾根・谷判断は意外と難しいことを改めて確認できた。今後彼女が僕の指導に対してどんな反応をするか、また1年後にどう成長しているかが楽しみ。
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ヤマケイの3月号が送られてきた。なんか記事書いたかなと思ってめくってみると、炎のトレラン部に2p見開きで有度山トレイル三昧のことが掲載されていた。自分の記事が雑誌に掲載されるのは慣れているが、自分がやったイベントがこうやって報告されているのは嬉しい。
ついでにぺージをめくってみると、コンパスとGPSの特集が出ていた。これがいかんのだ。ベースプレートコンパスの説明でカプセルの中にある目盛りに「偏差修正目盛り」とある。この名称はよい。問題はその解説だ。「地形図に表記された偏角を、コンパスの定規を使って描き込む際に便利な表記」とある。偏角を描き込む時には確かにコンパスは使えるが、これはカプセルの度数目盛りを使えばできること。カプセル内の偏差修正目盛りは、本当は磁北線を引かなくても磁針を北ではなく、この目盛りで偏角に相当する場所に合わせることで、偏角がキャンセルできるようになっている目盛りなのだ。
この事実は実は多くのコンパス利用者が知らない。僕自身シルバで初めてこのタイプのモデルを見た時、「クリノメータじゃない」とウソついてしまった憶えがある。それ以来ずっと何だろうと思い続けて数年、香港でシルバコンパスを買った時についてきた英文の説明書をみて初めてわかったのだ。間違った説明でも、実際には使えないので実害はない。むしろこの方法にはあまり賛成できないので、敢えてたださない方がいいのかもしれない。
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今年退官される歴史学の教授O先生は、この世界なら知らない人がいない教育学部の看板教授だ。NHKの歴史番組のゲストや時代考証の常連であり、彼を慕って受験する学生も少ないないという。業績調書の論文の欄が100を越えるは、まあこのクラスの学者としては当然だろう。しかし、驚いたのは著書が100冊を優に越えることだ。年によっては8冊も書いている。学部長をされていた平成13-14年ですら、13冊の本を書いている。
最終講義を聴きにいった。学部で一番大きな部屋が満員だ。TVカメラが4台入っている。地元のTVがすべて入っていることになる。「すげー」、とつぶやいたら、そばにいた総務係長が、「こんなものじゃ済まないと思ってましたよ。立ち見がでないだけまし」と言っていた。
この先生、すでに中学生のころには城跡や合戦が好きで、戦国史の学者を志していたらしい。しかし、大学で本格的に歴史の勉強を始めたころには、運悪く終戦直後。先輩からは「そんなの歴史学じゃない」などと言われたらしいが、それでもめげずに、人物に焦点を当てた、独自の戦国史研究を続けて今に至る。そのころは、きっと「プレジデント」あたりで「戦国武将に学ぶ人心掌握術」なんていう記事が人気を博す時代がくるなんて、彼自身想像もできなかったに違いない。今だからこそ先見の明があったとも言えるが、本人はそんなことにはお構いなしに好きで続けただけのことだろう。好きなことをして、それで生計がたって、さらには社会からも必要とされる。それはとっても幸せな人生に思える。その背後には、きっと語られない地道な努力があるのだろうけれど。
僕の静大在職も今年でほぼ半分。サッカーで言えば、これからが後半戦だ。そう思うとここ数年のうつは、ハーフタイムみたいなものだった。後半戦に向けて、勇気づけられる話を聞いた。
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昭和30年代の相次ぐ山岳遭難に対処するために昭和42年に作られた文部科学省の登山研修所が4月から日本スポーツ振興センターに移管される。一時は廃止という話も出ていただけに、関係者としては、ほっと胸をなで下ろしたというところだろう。
この研修所は立山の麓にあり、大学生の山岳部・ワンダーフォーゲル部や社会人山岳会のリーダーたちに、基本的な山岳技術を伝える研修会を通年で提供している(冬山については2000年の事故以来休止している)他、全国遭難対策協議会や指導者のための研修を毎年全国の3会場で共催している。山登りをする人の中でも知らない人の方が多いくらいの施設だが、山岳に関するナショナルトレーンニングセンターと言ってもよい研修機関なのだ。
そういう視点からみると、JISを主管している日本スポーツ振興センターに移管されることは、施策の後退というよりはチャンスだと思える。組織内部の力学はよく分からないが、文部科学省が直営していた時よりは、ずっとフットワークが軽くなるはずだし、より広い層へのサービスが可能になるだろう。
実際、来年度の行事予定を見ると、山岳遭難の実態を踏まえた安全登山普及指導者中央講習会が立山で2回開かれることになっている。その主たるテーマは「プランニングし、現在地やルートを確認し、道迷いや危険地帯への進入などの危険を回避するなど、チームを安全にナヴィゲートできる能力を身につけ、・・・」とある。「読図講習会は人を呼べます。お金も取れます!」と思わず専門調査委員会で力説してしまった。そういうサービスを提供することが、山岳トレーニングと研究の場としての登山研修所のステータスを一層高めることにつながるかもしれない。登山に携わる誰もが、あの研修所で一回でもいいから研修を受けてみたいね、そう思えるところまで研修所が降りてきたら、日本の登山も随分変わるのではないだろうか。
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東大OBにとって10年来?の悲願とも言うべき関東学連リレーOB戦で、なんとか初優勝を飾ることができた。自分自身のレースのできは悪くはなかったが、ナショナルチームの2人の貯金で勝てたというのが正直なところだ。彼らに対して6-7%増しなのは、最近のトレーニングの状況を考えれば、よく出来たというべきだろう。レース中もよく走れたと思う。
しかしラップを見ると、いつものように反省が山のように出てくる。1番へはいきなりルートミスをしているし、確かにもたつき感のあった>8は、トップラップに比べると50秒近くも遅い。何より、レース中感じたことは、ファインな部分の処理に思考スピードがおいついていないことだ。そのためミクロな部分でのルートチョイスに失敗して、大きな累積値になってしまっている。同じナヴィゲーションの地図読みとはいえ、登山やトレランで地図を読むのとは緊迫感が違う。数秒を争うナヴィゲーションの奥深さをまたも痛感してしまった。だからこそ、この世界のトップ選手はナヴィゲーションのファンタジスタの名がふさわしいのだ。
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