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2008/12/31

香港満喫

 31日の午前中は足つぼマッサージとつぼマッサージを受けた。2年前にいったところはつぶれたのか店が移ったのかなくなっていたが、街を歩いているうちに、歩いてすぐのモンコックにマッサージ屋があるのを発見した。
 全身が1時間で200香港ドル(2500円くらい)、足つぼが45分で88ドル。どうせ暇なので、両方うけた。全身のマッサージは小太りの愛想も全くなさそうなおじさんで少々がっかりしたが、腕は確かだった。マッサージというよりはかなりきつめの按摩という感じだが、ツボをほとんど外さなかった。積年の首から頭にかけてのコリもすっきりした。香港に来た甲斐があった。
 マッサージが終わってほぼ正午。深夜便なので、時間はまだまだたっぷりある。昨日パトリックからランタオ島の1:25000地形図をもらっているので、それでランタオピークにいくことにした。空港までいって荷物を預けて、バスかタクシーで登山道の麓までいけばよい。タクシーは初乗り2kmで13ドル。登山道の入り口まで60ドルたらずだった。そこから山頂までは直線距離で2kmくらいしかないが、標高差は約900m。まあ静岡の竜爪山に登るようなものだな。13:30に登山道入り口を出て、伯公峠まで40分。さらに約40分で山頂に。途中、外国人3人とすれちがう。山頂は風が強く、霞んでいて、パンを1個食べて早々に出発。

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▲途中で合ったアメリカ人。地図を見せてくれというので見せてやった。彼も走っている感じだった。

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▲トレイルの随所にこんな道標がある。写真では見えないが、歩く日との下にグリッドリファレンス(まあ緯度経度みたいなもの)が書かれている。登山道の入り口には、「日没に注意しましょう」という看板が。これだけなら日本でもありそうだが、ちゃんと季節に応じた日没、日の出の時刻グラフが出ている。本当のリスク管理とはこういうことを言うのだな。

 帰りは、最近大仏とケーブルカーができて有名になったニョンピン(昴坪)を通過した(山頂から20分)。ケーブルカーに沿ってハイキング道があるが、それは面白くないので、遠回りをして西におりて、海岸沿いにひなびた集落と思しきあたりを通るのも香港のトレイルランニングらしくていいだろうと思って、破線のハイキング道を選んだの運の尽き。山頂からの出だしがそもそも獣道のような踏み跡で怪しかったのだが、白いテープで誘導してあったので、よもや途中でなくなるだろうとは思わなかった。実際白い誘導テープは最後まで続いていたのだが、標高300mあたりから、ガレた沢に入ってしまった。生命の危険を感じるような場所はなかったが、ところどころ岩が滑(ナメ)状になっていて、往生した。かといって、周囲はジャングルのような藪で、沢を外れるのも難しい。こんなところでケガして動けなくなったら、しばらく誰も見つけてくれないだろう。道に迷って滝に出てしまった登山者の気持ちっていうのはこんなものだろうか。
 ガレた沢と格闘50分。なんとか海岸から遠くない集落をめぐる徒歩道に出てきた。後は、4kmほど走って東涌(ツンチャン)に帰るだけ。ひなびた農村風景のすぐ向こうに最新の空港が見える不思議な眺めが見える。

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▲農村の向こうには最新の空港が見える。この対照的な風景が香港らしい。

 東涌からはバス、なければタクシーで空港までほどない。沢との格闘を入れて3:30分。実働3時間というところだろう。
東涌ニュータウンのセンターにあるバスターミナルにいくと、まずタクシー乗り場が目に入った。ターミナルを巡ってみると、ちゃんとターミナル行きのバスが出ている。通勤バスらしく、途中ケータリングや航空会社のビルをあちこち寄り道するが、たったの3.6ドルで、タクシーの1/10。
 一日で、マッサージからトレイルランまで香港を満喫!

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香港アウトドア事情

 30日の夜は旧友のパトリックと食事をした。新妻のヒルダも一緒で、二人とも幸せそうだった。2月末に行なうロゲイニングの準備で忙しく、中国に一緒にいけなかった代わりにこの日のご馳走というわけだ。話は必然的にロゲイニングとかトレイルランニングの話になる。
 日本ではトレイルランニングはブームといっていいほどの人気だが、香港でも事情はほとんど同じらしい、先日彼らが出た30kmのレースは参加が3000人。1kmほどロードだが、その後トレイルに入る。そこで30分もの渋滞が発生するあたりは日本と事情は変わらない。もともと香港は100kmのマクレホーストレイルというのがあって、そこを4人組で完歩するトレイルウォーカーというチャリティーイベントが毎年11月に行なわれている。トップは14時間くらいだから、はせつねほどではないにしても、間違いなく走っている。
 ロゲイニングも行なわれている。主催はオリエンテーリング協会とAYP(英語だと今ひとつ意味がとりにくいが感じでは香港青年奨励計画とある)で、600人ほどの参加者がある。24時間ロゲイニングは準備が大変なので2年おきなのだそうだが、それ以外の年も8時間ロゲイニングは毎年行なっている。
 香港というとショッピングや中華料理、高層ビルというイメージが大半を占めるだろうが、その実、地域の30%を越える場所が自然公園に指定されている。イギリス統治の伝統によるものだろうが、ハイキングも盛んでファシリティーや道標もしっかりしている。オリエンテーリングも中高生のレベルでは多くの活動者がいるが、それ以上の年齢の参加が少ない。ロゲイニングでは、より長距離を移動できる、読図がオリエンテーリングほど難しくないといった理由から、2/3の参加者がオリエンテーリング以外のアウトドア活動者から来るらしい。比率に至るまでの事情も全く似ているのが面白い。
 彼らの24時間ロゲイニング(8時間もあり)は2009年の2月28日から3月1日の週末にかけて。+αも多い香港でのロゲイニングも楽しいはず。
興味ある方は、
http://ayp.org.hk/rogaine24/index-eng.html
または、村越までehsmura■ipc.shizuoka.ac.jp ■=@

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▲ロゲイニングが行なわれるランタオ島の最高峰ランタオ(鳳凰)山

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中国の100mオリエンテーリング

 中国ではポピュラーになりつつある、100mオリエンテーリングを初体験した。公園などのおよそ100m四方の場所に柵が設けられ、そこかしこに置かれたコントロールの中で正しいコントロールを採りながら回る一種のポイントオリエンテーリングだ。地図のスケールは1:750。男子エリートの場合、8人4組の予選があり、各組4名が準決勝に進める。予選と準決勝の間に、コースやコントロール位置の手直しがあり、2組の準決勝の上位4名づつが決勝に進める。各組の選手はいずれも同時スタートなので、男子エリートは見ていてもなかなかの迫力である。
 初めてではあったが、大して難しくないだろうとたかをくくっていたが、1番コントロールで距離感が狂い、地図表記にも慣れず、大きく遅れをとった。結果は6位。準決勝にも進めなかった。3組にいたペローラは大きなミスをしていたが、4位で準決勝に通過。運も大きい。女子だとエリートでも探し回っても予選は楽に通過しているし、その他のクラスでは右往左往して、公園のたかだか400mに10分以上もかかっているオリエンティアもざらだ。
 運やゲーム的要素が強いとは言え、初心者にとってもエリートにとっても整置を崩さず素早く次のコントロールに向かう方向を取る練習にはうって付け出し、普段のオリエンテーリングではない闘争心の練習にもなりそうだ。日本でも、是非どこかの大会の会場(校庭)などでやってみたいものだ。
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▲少し高いところから見ると、選手があっちこっちに走り回っているのが面白い。

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▲共通のコントロールだとパンチの取り合いになる。スケートのショートトラックのように迫力がある

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▲一般クラスでは、全くのカオス状態!

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2008/12/29

中国式宴会

 29日のスプリントイベントは、南沙の公園で行なわれた。パークOにはうってつけの公園だが、日本ほど管理が厳しくない。花壇じゃないのと思われる場所も、地図では黄緑には塗られておらず、選手が踏みつけて走っていく。左脚は心配だったが、特に痛みもなく走り切れた。むしろレース後の方が調子がいいくらいだった。久しぶりのスピードレースを楽しむ。脚の速い中国選手に対して対トップ2分ならまずまずの結果だろう。

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 相変わらず大会とその周辺イベントの全体像は分からない。この日は、プログラムによれば昼も夜も臨海酒家で提供されるはずだったが、同行している香港チームに聞いたら、いずれも自分たちの宿舎の食堂で提供されるという。じゃあ、今日はのんびりだ。14時には部屋に落ち着いて、シャワーを浴びた後、たっぷり1時間昼寝をし終わったころにフロントから電話があった。「地域の行政の招待による宴会があるから、17時に車が迎えに来る」という。それまで1時間半ほどロゲイニングのスタートリストを作ってマルカでの稼働をチェック。リストのトラブルシューティングをしたが、肝心の得点入力ができない。Eカードを使わないで記録訂正だけでスコアの成績処理をマルカにやらせるのは無理なのだろうか?
 そうこうするうち、迎えの車がやってきた。南沙大酒家という、いかにも近隣一番と思われるホテルに連れていかれた。静岡ならさしずめ「静岡グランドホテル」だろう。南シナ海につながる入江が見渡せる場所で、アヘン戦争の戦闘が行なわれた砦がすぐ近くにある。
 中国式の宴会では、酌はないが、ホストが思いついたように立ち上がると、皆で立ち上がって「乾杯」となる。お客どうしでも席を離れて乾杯する。年長者や招待客に敬意を表するために、杯を合わせる時には自分の杯を低い位置で合わせるのが礼儀らしい。どう見ても地位の高いホストの副市長(?)が杯を下げるので、どんどん乾杯が低い位置になってしまうのが、見ていて面白かった。宴会はほぼ2時間で終わった。最後は簡単にホストが乾杯をして終わる。このあたりは淡泊なものである。
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2008/12/28

13億分の4

 山がちでやぶがち。岩が多くて走りにくいこのテレインでは誰もが苦労したようだ。夜のバンケットの時に結果を聞いてみると、4位で、トップとのタイム差は4分だという。21Eなので13億分の4だ。中国に帰化できたら、まだまだ世界選手権には出れるかもしれない(?)。あと一歩で表彰台だと思うと欲が出るが、体調や最近ほとんど走れていないことを考えたら、よくやったというべきだろう。 

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▲4位のディプロマをもらって。

林やロードで見る中国のエリートの速度は驚くほど速いから、テクニックを磨けば彼らはまだまだ伸びるだろう。実際女子は今年の世界選手権では7位になっている。表彰台まであと一歩なのだ。 表彰式はバンケットの時に行なわれたが、メダルを運ぶアシスタントがチャイナドレスのお嬢さんたちだった。自国の民族衣装だけに立ち居振舞をよく心得ている。

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▲さすがにチャイナドレスが似合う中国のお嬢さんたち。プレゼンターは香港連盟会長のCKリー氏。

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▲今回のジュリーを勤めた栗(リー)さん。コントローラ教育の責任者であり、地図委員会も副委員長である。日本で言えば、さしずめ尾上俊雄さん。彼の来ているベストの背中には「国家級裁判員」という肩書きが入っていた。

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はじめての中国

 27日に、香港の仲間とともにフェリーで中国にやってきた。広東地域は北京と並ぶオリエンテーリングが盛んな場所だそうだが、やってきたのは広州南部の南沙という場所である。
 到着した日はユースキャンプの続きが行なわれ、中国チームのコーチとトップ選手数名がアシスタントについて、トレーニングが行なわれた。内容は、宿舎になっている科学技術パーク周囲の庭で、グーグルアースの画像を使ったポイントオリエンテーリングやコンパス練習である。中国では、地図が簡単に手に入らない場所があるようなので、グーグルアースは有用な道具のようだ。日本でもちゃんと地図化されていない公園でのパークOなどには有効だろう。
 この日から僕が泊ることになったホテルの部屋は、おそらくこの科学技術パークにやってくる研究者や学者が長期滞在するために作られたのだろうと思われる豪華なスーツ(日本語ではスイート)ルームで、12畳はありそうな居間とベッドルームからなっていて、我が家より広いぐらいだ。日本語のしゃべれる大学生が通訳としてついてくれている。VIP待遇である。
 28日は最初のイベント、ミドル競技。テレインは急斜面で、そのほとんどはライチ林である。ライチ林は最初は果樹園として表現されていたそうだが、ペローラの助言で今は森として表現してあり、自由に走ることもできる。今日のミドルは6km超で、僕のタイムが78分。ミスはしたし、速く走った実感はなかったが、重力場が歪んでいるのではないかと思うほど遅い。
 途中に地図交換があって、前半は1:10000、後半が1:7500。それはいいとして、そんなこと前日のテクミじゃ聞いてないぞ。スタート前になぜか知っていたペローラが教えてくれた。スタートも11:28のはずが、11:32ごろになっていた。地図やコントロール位置にはほぼ問題なかったが、運営の洗練されていないところが随所に残っている。日本が70年代後半の比較的短い期間に非常に洗練された運営ができるようになったことは奇跡でもあるが、20世紀においてアジア諸国の中で日本だけが比較的短期間に西欧化が進んだことともあながち無縁ではないだろう。中国初めてのレースにして、そんなことを考えた。これで20ヶ国でオリエンテーリングをしたことになる。

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▲南沙で泊っているスイート。写っているのは居間だけで、左奥にバスルームとベッドルームがある。日本では逆立ちしても泊まれそうもない豪華な部屋である。

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▲イベントプログラム。簡略化されているとは言え、大会に関する知識がちょっとあれば、これだけでもだいたいのスケジュールは把握できる。漢字文化圏は偉大だ!

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▲ライチ林の中を走る中国選手。

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2008/12/27

未来の担い手たちと

香港では、最高峰の麓にあるユースホステルに泊って、ユーストレーニングキャンプに1日だけ参加した。1990年代の後半から、香港のパトリックと僕が、ジュニアが交流することで互いに得ることが多いだろうと考え始めたものが、今回は「アジアユース」と枠が広がり、中国もユースも交えて行なわれた。

 日本からは残念ながら3名と少数の参加だったが、海外の選手と交流する楽しさを感じてくれたようだ。「30年以上前、僕が日本選手権をとるなんて、誰も想像しなかった。25年前に僕が初めて日本選手権をとった時、誰もこいつが22回も日本選手権をとり、世界選手権に25年間も出場するなんて想像することはできなかっただろう。だから、君たちにもどんな未来も開かれているのだ」という言葉で、このトレーニング最後の夕食会を結んだ。 この中から、未来のアジア、そして世界のオリエンテーリング界を背負って立つ。人材が生まれることを願いながら。Img_1366

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2008/12/25

惚れ直す

■惚れ直す
 ロゲイニングの写真撮影のため、有度山に出かけた。宮内に頼んだ何カ所かのポイントに不満はなかったが、その周囲のルートチョイスがクリティカルな割には、農道の接続関係に疑惑があり、それを確かめずにはいられなかったからだ。丘陵の農地が放置され、果樹園や茶畑は至る所で林に帰っている。当然あるはずの林道がなくなっているということは日常茶飯事だ。全日本リレー後初めてのランニングらしいランニングで、故障後の体調チェックも兼た。疑惑のあった場所の確認もできた。僕は前回反対側からアクセスしようとして宮内の確認に疑問を感じたのだが、同じ方向から道をたどって、彼女の主張と報告の意味がようやく理解できた。一部地図を修正。
 果樹園の中の林道を走っていると、眼下に清水港、富士山、伊豆半島が晴れ渡った空の下に広がる。深い谷底の農道を下っていく。ふと右を見ると、隣の谷に入る小径がある。のぞき込んでみると、隣の谷は、この谷底より遙かに深いところにある。あと数万年も立てば、おそらく河川争奪が起こるだろう。
 トレーニングでしょっちゅう走っていながら、自分でも知らなかった様々な風景に出会う。今のようにパークウェイが通る前の有度山を経験できなかったことが残念に思える。有度山ロゲイニングは、いわば「自慢の彼女」のお披露目である。

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2008/12/20

有度山初登頂

通称日本平と呼ばれている「有度」山は、古来の郡名にも使われた由緒ある名称である。今日は1/11のロゲイニングの写真撮影で、その有度山の山頂に初登頂。通称日本平の山頂とされる観光地化された場所のすぐ隣とは思えない趣がある。

 海食崖の脇に、こんな花崗岩の石柱があった。

(これはロゲイニングのチェックポイントではない。為念)

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エール

 毎年12月になると、新潟から洋なしが送られてくる。20年以上前のハンガリーの世界選手権の時以来洋なしファンになったが、日本ではずっと高級品だった。最近はだいぶ一般にも出回るようになったが、Nさんの農園の洋なしはひと味違う。
 送り主Nさんと出会ったのは、僕がオリエンテーリングを始めたばかりのころだった。当時既に少壮のオリエンティアだった彼は、当時のオリエンティアにしてはくせの強い人物に思えた。僕たちが所属していた東京OLでは「新潟支部長」と呼ばれ、ユニークな活動もしていた。まだMTB-Oもないころから独自にMTBを使ったオリエンテーリングにもトライしていた。
 僕が一人前のオリエンテーリング競技者になったころ、一度だけ彼から「村越さん、いつか新潟に」と言われたことがあった。当時の新潟にはオリエンテーリング活動はほとんどなく、いく理由が見つからなかったが、いつかは新潟に行ってみたいという思いが頭の片隅には常にあった。
 1990年代に入り、静大でのコーチングに初めて行き詰まりを感じたころ、パソコン通信で知り合った新潟大学の学生に合宿を「押し売り」したところ、すかさず「買ってくれた」。メールの文面から彼らの熱意を感じたことはもちろんだが、Nさんの言葉が後押しをしてくれたことは間違いない。Nさんは仕事の合間に合宿を訪問してくれた。約束をした訳ではないのに、彼に対する約束を果たしたような気がした。
 それから15年以上の間彼とは一度も会っていないが、毎年律儀に洋なしが送られてくる。それは僕に対するエールのように思える。

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2008/12/19

故障

 全日本リレーは走った後から、左脚の付け根に違和感を覚え、普通に歩くのにも痛みが伴った。翌日行った接骨院で「長くかかるかもしれませんね」と言われ、走るのを我慢した。幸い自転車は乗れたし、クライミングマシンでのトレーニングも問題なかった。日常生活はもちろん歩く時にも全く痛みがなくなっても、さらに自重を続け、10日間走るのを断った。2003年に右膝を故障して以来のことだった。
 もう大丈夫だろうと思って走ってみた。痛めたはずの場所は痛くはなかったが、左脚を振り出す度に大腿のつけねの奥が鈍く痛む。思えば、夏に北アルプスを歩いてから、左の大腿のつけねには違和感があった。それほど深刻なものではなかったし、9月に入ってからはなくなっていたが、その後もスピードトレーニングをしたり、長い距離を走った後には必ず違和感が出現していた。10-11月と、決して無理をした訳ではないが、調子に乗って走ってたからなあ・・・。しばらくはこの故障とつきあっていかねばなるまい。

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2008/12/16

何回かに分けて、通勤の帰りに有度山の自治会周りをした。平沢の和尚には、ドアを開けたとたん「夜遅いぞ!」と怒られた。それもパフォーマンスだったらしくその後は、「俺、静大に飲み友達がたくさんいるよ」といって、和気藹々と話しがついた。草薙も馬走も快く、警察向けの一筆を書いてくれた。

 その間もエントリーは少しづつ集まってきた。ロゲイニングの方は帝王柳下と渡辺さんが朝霧に続いて組んでくるらしい。渡辺さんもはまったかな。太良君来ないのは残念。正月から、望月さん、横山峰さん、相馬さん、渡辺さんのバトルかあ・・・・

 

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2008/12/15

やっぱり悔しい

全日本リレーの結果をラップセンターで見てみた。各レッグのラップタイムやミスタイムを見てみると、3>4で6分近いミスをしていた。たらればは禁物だが、このミスがなければ十分優勝をねらえたミスタイムをしたことになる。

 正直思い上がっていたかなと思う。中日東海が久しぶりのレースの割には地図もちゃんと読めていたから、この1月は走るトレーニングはしていたが、地図読み練習はさぼっていた。地図と周囲への視野はすごく狭くなっていたし、ミスが広がったのはその影響が大きい。オリエンテーリング以外で地図を使う場面はこの数ヶ月何度もあったが、整置が雑になっているのは気づいていた。それがオリエンテーリング以外のナヴィゲーションではなんら問題なかったのだが、さすがにオリエンテーリングではごまかせなかったということだ。更に上を目指すにはもう一度整置の基礎を磨かないとね。

 ランニング区間ももちろん遅いが、これは当日の体調を考えれば頷ける数値、いや勇気づけられる数値でもある。当日は左足も左脚もかなりいかれていた。レース後はあまりに左脚が痛くて、ダウンする気にもならなかったし、翌日あわててなじみの接骨院にいったくらいだ。この1週間ほとんど走らず、自転車だけで我慢した。疲れが一番負荷のかかる部分に出た感じではある。

 少し辛抱したら、再び走り出そう。

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2008/12/11

The long and winding road:日本平トレランへの長くて遠い道のり

 正直に警察から許可をもらおうとしたのが失敗だった。トレラン経験のない「小娘」(自称)を使いに出したのも失敗だった。担当課にたどり着くまでに警察構内で4回も咎められ、やっとたどり着いた道路管理の係では、「話の聞けない男」にトレランはハイキングコースでやるのだと何度か言っても、「パークウェイは人は歩けないのです」と言われ、最後には膨大な宿題をもらって帰ってきた。翌日の石原の第一声は、「このイベント、開けないと思います・・・」。たった9kmと高をくくっていたトレランは、スタート前から長い道のりを用意して待っていてくれた。
 翌日、宮内を呼んだ。アドベンチャーレース運営経験のある彼女なら、そんな長い道のりでもなんとか乗り越えられるだろう。実際、宮内は石原とその日の午前に指定されたところを周り、石原に情報を集めさせ、整理し、立派な「書類の束」を作り上げた。後は現地の写真を撮って、添付し、警察の許可を得るだけだ。幸いコースの道路部分はすべて市の管理だったので、市の道路管理課は警察から許可が出れば、特に許可を出すほどのことでもないと言ってくれた。トレランミニレースへの長い道のりは少しづつ克服されはじめた。
 役所だから、トラブルは怖いのだろう。昨今のことだから、自己責任でやるといいながら、事故があったらいちもんをつける団体がないとも限らない。組織の中で20年も生きていれば、そういう保身に走る人間がいることは理解できる。思考回路の中に漬かってはいけないのだ。

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▲「書類の束」を作り上げる宮内と石原

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2008/12/08

悔しさと誇らしさ

今期の大きな目標の一つだった全日本リレーは散々だった。静岡県はここ数年4-6位をうろうろしていたが、今年のMEのエントリーリストを見ると、際だって強い・勝てないと思うような都道府県はない。勝つのは難しいが、もう一歩上には進めそうな気がする。前夜のミーティングでも、久しぶりにMEに出場となった田濃が、「村越さんならこのエントリーリストみて、今年は行けるだろうなと思うだろうなと思ったので、がんばります」とコメントした。

 当日は1走の和久田が快調に走って、トップ小泉に2分で僕につないだ。3までは順調。その後の複雑な尾根から沢への下りで一本手前に入ってしまい。明らかにおかしいと感じてリロケートしたものの、動転していたのだろう。別に難しくもない現在地把握にも失敗して、調査していない藪尾根に登って、沢の方向が逆向きなので、マップアウトしそうになっているのに気づいた。こりゃ、せっかくのレースを台無しだよと思ってめげていると、次のコントロールで1番に出ていったはずの茨城、直前に出ていった滋賀がいた。なんだ、まだいけるじゃないか。脚の調子はあまりよくなかったが、そこからは気を取り直して走った。5分もミスって、後ろの埼玉には一度追いつかれたが、トップゴールだった。埼玉も、やはり5分はミスって泣きそうだったとか・・・

 その後3走の田濃で埼玉に抜かれたのは仕方ないとして、神奈川に抜かれ3位。これは僕がまともに走っていれば、十分交わせた時間差だった。2走は全体的に荒れたのだが、3人の中では僕が一番遅かった。悔しさはあるが、それとは別に、40歳代後半のロートルと、世界選手権の選考会や強化選手とは全く縁がなかった2人のチームで3位に入賞できたのはうれしいし、誇らしい。

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2008/12/05

朝霧その後

朝霧のロゲイニングの感想ありがとうございます。ご要望があったので、チームごとのCP通過順と通過時刻の一覧表を来週頭にでも掲載します。

http://homepage2.nifty.com/MNOP/houkoku/olinasagiri08.htm

をどうぞ。

有度山ロゲイニング、望月将吾さん、横山峰弘さんなどを招待選手に招き、レース後は簡単なクリニックも行う予定です。

 また翌日のための読図講習も考えています。

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2008/12/03

朝霧ロゲイニングの報告と成績

以下のページに写真入り報告を載せました。アンケートなどの結果も掲載。

なお当日発表の成績の一部に間違いがありました。お詫びします。修正した成績も掲載してあります。

http://homepage2.nifty.com/MNOP/houkoku/olinasagiri08.htm

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2008/12/02

パラダイス

 朝霧野外活動センターの管理委託を受けているのは日本キャンプ協会で、センターに常駐しているスタッフは皆若く活きのいい連中ばかりだ。僕にとっては300人は小さなイベントだが、彼らにとっては「朝霧最大の主催事業」で、準備に熱が入ってついつい夜が遅くなる。
 夜伽話に、「ねえねえ、センターでトレランイベントやらない?東海自然歩道が使えれば環境負荷も考えなくていいし、ロゲイニングでわかったようにシチュエーション的にも多くの人を引きつける。あっという間に1000人イベントだよ」と焚き付けたら、若い職員が目を輝かせてノッてきた。最近、オリエンテーリング界はどうも消極的な方向ばかりが目につくので、こういう人々に出会うとこちらの気持ちも高揚する。
 前からアウトドア関係の仕事を一緒にしてきたセンターのOさんは、ロゲイニングの前夜には暇な時間にグーグルアースで東海自然歩道の付近を見て、コースの検討を始めていた。ここの職員の情熱と僕の頭と宮内の身体があればなんでもできちゃう気がする(宮内は今回のロゲイニングもあの広大なコースを一人で踏査した)。僕は当初県境に近い根原分校をスタートにしてはと思っていたのだが、それだとバスのコストがかかるし、運営も複雑になる。
 じゃあセンターからスタートすることはできないんですか?
 それはできないよ。だって国道139号をわたれるのは一カ所じゃないか!
 いや、センターの北の道路を1kmくらいいくと、実は牛を渡す通路が国道の下にあるんですよ。それ、いける!
 あとは往復部分の通行量をうまくコントロールできれば全く問題ない。彼らは地元との関係にも自信を持っている。周辺の土地を持つ財産区との関係も悪くない。コースはやや平らだが、トレイルは初級・中級者には絶品。センターのファシリティーも抜群。前の日に講習会やって、夜はトップ選手のトークを聞いて・・・。三河じゃ散々苦労した部分が鼻歌混じりに片づきそう。
 先生、表富士の方も、ずっと林道伝っていけるんですよ。西臼塚までね。往復50km。それなら、そのまま村山口登山道をあがって、宝永火山に出て、そこから太郎坊に降りて、古御岳から富士吉田に抜けて・・・、「アラウンド富士」もおしゃれじゃない!?これって、やったもん勝ちですね。だいたい朝霧から林道とおって表富士に抜けられるなんて知っている人、ほとんどいないですから。
 ロゲイニングの300人にも高揚したが、それ以上にとってもワクワクしてしまった。アウトドアバラダイス朝霧への道はまた一歩前進した。

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2008/12/01

朝霧ロゲインニングの感想のお願い

ブログへの感想等ありがとうございました。

 昨年、今年と開催したのは朝霧野外活動センターという県の施設で、昨年から日本キャンプ協会が管理を委託されています。県にしろキャンプ協会にしろ野外活動・アウトドアといってもロゲイニングに参加するようなタイプのアウトドア関係者とは毛色が違っており、その意味で、彼らにとっては今回、森の中をばりばり走り回るような人が岡山から仙台まで280人も集まったことはいい意味でショックだったようです。

 全国には同じような施設が1200もあるので、こういう施設がこれまで対象としているような学校・教育団体だけでなく、トレランやオリエンテーリング、ロゲイニングなど多彩なアウトドア活動に目を向け、その拠点となっていけば、どちらにとってもハッピーなことではないかと思って、こうしたイベントをあれこれ仕掛けている分けです。

 その意味で、是非イベントの感想を村越あてお送りください。野外活動センターにも集約して転送します。ブログ読者はちょっと偏りあるかもしれませんが・・・

ehsmura(at)ipc.shizuoka.ac.jp
メールは上記へ。(at)を@になおしてください。

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