8日間の非日常世界
トランスジャパンアルプスレースの最終日となる今日(17日)も、仕事の合間を見て大浜海岸に出かけた。4年前、正人のゴールシーンを見るだけでもインパクトを受けた。今回はもっと身近でこのイベントを見て見たいと考え、11日から14日にかけて北アルプスの縦走を行なうことも計画した。11日には全選手に遭うことができた。もちろん辛そうではあったが、まだ二日目のため、選手は皆元気であった。ロードレースやトレランレースであればあり得ないだろうが、知り合いである選手はもちろん、初めて話しをする選手も、「トランスジャパンですね、がんばってください」と言うと、しばし話し込んでいく選手が多かった。長丁場のレースだから息抜きを求めているということもあっただろうし、自分たちがやっていることを理解してくれる人と話をしたいという欲求もあったからだろう。雨中であった岩瀬さん(このレースの呼びかけ人の一人)からは、厳しいレース中にも関わらず、ハーフタイツでいた僕に「脚を冷やさない方がいいですよ」と心配までしてもらった。
室堂(立山)まで3泊の縦走をして、選手に対する畏敬の念は更に深まった。これまでは420kmとアルプスに関する知識からイメージしてレースのすごさを感じていたが、今回はそれを体感することができた。選手たちは私たちが3日間かけた上高地-一の越をたった1日で通過し、さらにその4倍もの距離を歩いていくのだ。
選手たちの絆や、選手を取り巻く人々のサポートにも感銘を受けた。僕たち自身、同じTEAM阿闍梨の伊藤奈緒の応援だった。松本電鉄で新島々に入る時、車両の中でハートレートモニターを付けている人物がいた。出で立ちも普通の山ヤとは違う。ただ者ではないと思っていたら、上高地からも僕らとほぼ同じペースであった。並行した時に聞いてみると、やはり選手の応援だった。選手を見るため、応援するため山を歩いている数多くの人たち、帰省途中にゴールに寄る人たちがいることを直接・間接に見聞きした。
ゴール後、一端家に戻って、他の選手がゴールするのを見たりサポートしたりする選手もいる。このレースは呼びかけ人である岩瀬さん自身が参加している。当然サポート態勢が組織的には考えられていない。レースの制限時間が近くなれば、途中でリタイアする選手もいる。山麓までは少なくとも自力で降りて来なければならないし、山麓からの公共交通もない。そんな選手を迎えるために、過酷なレースを終えたばかりの選手が再び集まってくるのだ。制限時間も近づいた17日の夕方、湯川・西岡の2選手がゴールした。ザックを置いて太平洋に飛び込む時、ザックが倒れてハイドロが砂まみれになりそうなのを、間瀬さんはさりげなく置き直して、ハイドロの口をザックの上に載せた。彼らはチームメートのように他の選手を気遣い、またレース後(あるいはおそらくリタイア後)の支援を惜しまない(レース中の支援は禁じられている)。TJARはレースであるとともに全員がゴールを目指すチーム競技でもあるのだ。
今回、なにより印象深かったのは、高橋ご夫妻であった。ご夫妻は、2年前にこのレースの数少ない完走者であったが昨年の東京トレイルランニングレースで心不全で亡くなった高橋香選手のご両親である。ご夫妻は、スタート、市ノ瀬(南アルプスとりつき)、そしてゴールと、要所で選手のサポートをされていた。4年前、正人のゴールを見に行った時、ここがゴールに何もないことに唖然としたものだが、今回は素晴らしいゴール横断幕が設置されていた。また大浜公園には選手の通過タイムを示すボードが置かれた。いずれもご夫妻の手作りであった。あの横断幕の存在は、ゴールに到達した選手にとって、何よりの光景だったのではないだろうか。
ゴール後の選手たちからはアスリートとして興味深い話し、面白い話しを聞かせてもらった。山を下りた後も、静岡市の井川から大浜海岸までは80kmほど、時間にして17時間かかる。その半分以上の行程である前半40kmには井川集落があるのみである。そのため夜に降りてきた2位の紺野選手は、自販機でなんとか給水できたもののエネルギー切れに苦労したという。「茶臼で、いなり寿司ならあると言われたんですが、重いので断ったんですよ。こんなことならもらっておけばよかった。」一方、4位の駒井選手はやはり夜に井川を通過したが、おりしもお盆で井川では祭りが行なわれていた。「焼き鳥もたべましたよ。」。間瀬さんに至っては、「安倍川に出る手前にね、おいしいパスタ屋さんがあったの。で食べちゃったの。もちろん外でね(選手は独特の異臭を放っている)。あ、おみやげも買ってきた」といって、小さなキャンディー?の袋をお子さんたちと、たまたまゴールを見に来ていた知り合いの子どもにあげていた。ちなみに、間瀬さんはこの区間最速ラップである。
僕らの山行は自炊だったが、それでも食料を軽量化するために昼は山小屋で買った。軽量化が最優先の彼らはほぼ全ての通常の食料は山小屋頼りである。いったいいくら位持っていくのだろうと、食事の時利佳ちゃんと話題になった。須田選手に聞いてみたら、「45000円持ってきました。残っているのは5000円くらいですね」という答えが返ってきた。そのほとんどが食料だそうだ。太郎平小屋では3600円を使い(パン3個、ウイダーゼリー2個、野菜ジュース1缶、リポビタンD1本、ポテトチップ2個!確かに太郎平小屋は食品が充実していた)、菅ノ平の「すき屋」(みなさん利用されたようだ)では、うな牛特盛に温泉卵二つ、みそ汁、冷や奴、サラダを食べ、それでもご飯が足りずに山かけ鮪丼(並)を食べたそうだ。また菅ノ台のコンビニではアミノバイタル1デーパック7箱を含めて、4000円以上の買い物をしたそうだ。(この項、その後の須田さんのメールにより詳細に訂正。8/26)
用具の工夫と限界も興味深い。間瀬さんのストックは旦那さんの手作りだったし、駒ケンのザックは、これでもかというくらいに余計なところが切り落としてあって、6日間の山行をしたとは思えないくらい軽かった。田中(陽)のカーボンストックは、片方の先のカバーが取れたため、少しづつ欠けて3cmくらい短くなっていた。正人は、靴ひもが足の甲に直接響くので、そこにプラスティック板を入れていたが、それが裏目に出て、その下の皮がべろべろにむけていた。紺野さんは市ノ瀬で靴を取り替えたが、ソールが減りやすいことで有名なそのTEVAはアウトソールがほとんどすり減っていた。そんな話しを聞いていると、あっという間に時が経つ。
結局、この3日間で6回大浜海岸に来た。こんなすごいレースが自分の住む街を目指してやってくる。その事を誇らしく思い、そして静岡市民代表になったつもりで、ゴールに脚を運んだ。そこに留まった時間はのべ10時間にはなるだろう。時間を忘れ選手を待ち、そして選手の話を聞き、レースを楽しんだ。リタイアした伊藤奈緒とゴールで合流した後も、しばらく選手たちと話し続けた。残念ながら参加はできなかったが、岩瀬さんが「打ち上げどうですか」と誘ってくれたのが嬉しかった。
自転車で帰宅する途中振り返ってみる。弓なりの海岸線、消波ブロック、そして背後には巨大風車が見えた。それは見慣れた大浜海岸の風景だった。8日間のTJARの観戦が終わった。
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