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2008/08/06

アジア選手権を終えて(4:もう一つのアウェー戦)

 韓国がアジア選手権/APOCに立候補したのは、前回香港大会の時だから2年半近く前のことになる。SEAが決まったり、具体的な動きが出てきたのはそれから1年半以上たった昨年の9月だった。スケジュールが押していること以上に、国際大会の経験のない彼らにその認識がないことの方が心配だった。この時期からコントローリングに何度も訪れた尾上さんや寺島君は、10ヶ月以上の間やきもきしていたことだろう。ようやく外国人のマッパーが投入されて、地図完成の見通しが立ったのは今年の春になってからだった。
 今回の準備をする過程で韓国の組織やオリエンティアとつきあっていると、26年前に自分たちが開いたAPOC(当時はPOCだった)を思い出す。あのころ、協会(委員会だったかな)の幹部は初の国際大会にカリカリしていたし、実際に大会を運営する現場との関係はぎくしゃくしていた。当時協会に度量と情報収集力があれば、名誉ある初の国際大会運営に喜んで身を投げ出す若者はいただろう。しかし、当時はそういう組織構造は全くできていなかった。今の韓国のオリエンテーリング界の状況もそれに似ている。それから10年後のAPOC92の時には、僕たちはどんなテレインでも国際標準で地図化する技術と自信を手に入れていたし、さらに10年間でどこに出してもひけを取らないだけの運営のノウハウと技術を築き上げた。20年後、そんな韓国の姿の礎として今回の大会が位置づけられるとしたら嬉しい。
 大会前、「地獄の日々」、と漠然と考えながら韓国に向かったが、どこかで「地獄」を垣間見てみたい誘惑にも駆られていた。2007年のウクライナでの世界選手権が終わった時、セクレタリーのジュリアから参加者全員に送られてきたメールにねぎらいの返信を出したら、「今でも、時々大会の時の夢を見るの。ゼッケンがないわ。地図はどこにいったの?驚いて飛び起きるの。でも、心のどこかで、みなさんの要望に応えようとして働いた戦場のような日々を懐かしむ気持ちもあるのよ」という返事が戻ってきた。世界選手権は世界一の選手を決める場であるが、運営者にとっても世界一の大会を提供するという重圧がある。その過酷な日々を乗り切ったからこそ味わえる充実感や達成感を、今度は言葉もオリエンテーリング文化も違うアウェー戦で味わってみたかった。
 地図に描かれていない「行間」を、熟練したエリートランナーは読み取ることができる。そんな研究をしている話しを大学院の同級生にしたら、メディア心理学を専門とする彼は、「映画にも行間を読むシーンがあるんですよ」といって、長渕剛が出演する映画だかCFを見せてくれた。長渕が演ずる男が荒野の道標の前で、しばし逡巡している。道標の一方は「Hell」と描かれており、もう一方は「Heaven」と書かれていた。彼はどちらに進むべきか迷っているようだった。画面は、その男が一本の道標を担いで歩き始めるアップとなる。道標には「Heaven」と書かれている。その男に対する軽い失望が頭をかすめた瞬間、画面は引いて、その男と道標が映し出される。道標の文字は読めない。しかし、彼は「残っている」道標の方に進んでいたのだ。
 今回、僕たち支援チームは、アウェー戦を引き分けに持ち込むのが精一杯だった。大きなミスやまして不成立はなかったが、それに近いトラブルはいくつもあった。韓国の運営チームとの絆は少しづつ生まれてきたことを実感できたが、それも完全なものではなかった。本当にこの大会は(無事あるいは自分たちが倒れる前に)終わるのだろうかと、大会前半は何度も思った。この引き分けに誇るものがあるとすれば、それでも最後までゲームを諦めなかったこと。そして「地獄の日々」を「天国」に変えようと常に考え続けたことだろう。リレーの前々日、あまりの仕事の多さにすでに破綻していたチャさんは、リレーのナンバービブの注文を忘れていた。「私、絶対憶えていられないと思うので、あした朝言ってください。」それなら参加者から言ってもらった方がいいだろう、公式掲示板にチャさんの顔写真を貼りだそう。「この顔にピンときたら、『リレーのビブは注文したか?』と聞いてください」と書いて張り出した。リレーのビブは前日の夜には無事届けられた。リレー表彰式の国旗・国歌プロジェクトもそんな遊び心の反映だった。
 約10年間、IOFの理事として、あるいは個々の国際大会の運営者として、時に過酷な日々を送り続けた。アジアの自立の第一歩を感じさせたバンケット、そしてこの10年の労をねぎらってくれたヒュー・カメロンのスピーチは、その過酷な日々の多くを幸福の日々に変えてくれた。また新たな立場で、ここに集う人々と関わっていけるのだと思うと、この3年間感じたことのないハイな気分になった。
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▲左から筆者、韓国の安さん、香港のパトリックと、バンケットにて。

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