第一回アジア選手権が終わって
6月末に訪韓した時には、これは本当にできるのだろうか?IOFの地域選手権の一翼を担う第一回アジア選手権にふさわしい大会になるのだろうか。そんな疑問に包まれて帰国した。この訪韓でリレーのコースを確定するはずだったのに、地図は1/2ほどしか調査・作図が終わっておらず、エリアの様子を把握するため、適当に15ほどのコントロールのテーピングができただけだった。4月からずっと、この週末が適切なコースを提供するためのデッドラインだと言い続けてきた結果だけにがっかりもした。
数日後に完成した地図が送られてきた。確かによく調査はされていた。しかし表現に冠してはIOFルールの無視、縮尺の適当な設定、沢で表現すべき地形をみぞで表現しているなど、逸脱の嵐だった。実際に入ってみて、それなりに走れると思ったところも、全てライトグリーンで表現されていた。
それ以降の週末は全て埋まっていた。幸いなことに、IOFの地図委員会からも、インクジェット印刷の承諾が出ていた。地図は最後の最後まで直すことができる。残るは大会のモデルの日とスプリントの日に調査し、その日の夜から翌日のレストデーに向けて地図を仕上げ、前日のミドルの裏で地図をプリンターで刷り上げるという選択しかなかった。
チェコの世界選手権から帰って3日間、集中講義を含めた大学での仕事をこなして、韓国にやってきた。地獄の日々だろう、そう漠然と思ってやってきたがその通りになった。24日と25日半日は、地図調査に費やした。その二日間はほとんどの時間帯降雨があり、朝と夕方は豪雨に近かった。それでも、調査をキャンセルする時間的余裕はなかった。
テープ巻きをしながら最低限直すはずの地図チェックはほとんど地図調査だった。雨の中、いっこうに進まないことにいらだちを憶える調査は神経に悪い。雨天の中での調査はいったい何年ぶりだろう。
トラブルは次から次へと襲ってくる。あるはずのものがない。用意したものがいつのまにかどこかにいってしまう。意思疎通が十分でない運営陣。初めての国際大会だからといえばその通りだが、全てがストレスの元になりかねな状態だった。
リレーの前々日は朝4時までかかって地図作図を終えた。リレー前日のミドルは会場にはいかず、YHに籠もって地図を書き続けた。夕方になってようやく全てのコース版が出来、印刷が始まった。印刷枚数は約300枚。1枚2分だから、10時間かかる計算になる。2台のプリンターを並行して動かすが、それでも、5時間はかかる。
作業は少しづつでも進んでいったが、23時を過ぎるころ、恐ろしいことが発覚した。
(この項、続く)
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント