都会の愉しみ
JOA総会と理事会の日。朝から不調の兆候はあった。無視して、新幹線の中で理事会の資料に目を通し、品川駅の書店で3冊の本を見繕って山手線に乗っている時、突然脳の出力低下に見舞われた。神経伝達物質は、こんなに急に変化するものなのだろうか。それとも意識できない血糖値の低下なのだろうか。
理事会・総会の緊張感の低さには拍子抜け。指導員も登録者も減っている会員への支援策を具体化するという提案は、大きな反発も賛成もないまま、流されるかのように是認されてしまった。唯一Yさんだけが、地方の窮状に対して支援の手をさしのべることの重要性を、長い時間かけて訴えてくれた。緊張感を強いられることのない理事会・総会であったが、出力低下状態の脳にはきつかった。喫茶店でしばしぼっーとして、次の二つのミーティングに備えた。宿につくとぐったり。
翌11日はスキーO実行委員会の第一回会合。2004年、香港に行って留守をしている間に、雰囲気で決まってしまったスキーOの世界選手権だが、引き受ける以上は誰かがひっぱっていかなければならない。技術面から財政面まで、成功のイメージすら描けない状況からよくここまでやってきたものだ。フィンランド連盟が助力者を提供してくれたことで、全貌すら見えなかった技術的課題は手の届く範囲に降りてきた。TEAM的場は「名誉ですから」と、いともあっさりと再び大イベントのIT部門を引き受けてくれた。オリエンティアからの賛助、そしてスポーツ振興基金の助成も得られた。懸案だった大きな二つの問題はほぼ制御可能な範囲になった。
夕方、渋谷のコープイン投宿後、走りに出かけた。2日前に久しぶりに1000を2本走って、3'40程度のタイムでしか走れないことに唖然としたが、その分身体は軽くなっていた。走る楽しさを味わいながら、久しぶりに皇居まで走ってみようと思った。246を皇居に向かうと赤坂御用地の角から、先行するランナーが現れた。スピードはほぼ同じ。赤坂見附から三宅坂方面に向かった時点で、彼も皇居を回るつもりであると確信した。仮想トレーニングパートナーに最適のペース。桜田門で僕を意識してスピードアップした彼の息が荒くなったのを見計らって、ペースを上げる。紀伊国坂で勝負はつくはずだ。案の定竹橋の後、足音は遠ざかっていった。
満足して、信号を待ってから最高裁側に渡り246に戻ると、なんと前の交差点で渡ったらしい彼が先行していくのが見えた。ちくしょう。ついてきてたのか。そのまま追走して、次の信号で止まった時、「お疲れ様」と声をかけた。減量のためにランニングを始めて2年でこれだけ走れるのに驚いた。話しながら三河トレイルランニングの宣伝。再び赤坂御用地の角で別れた。それだけのことだったけれど、少しだけ自分の世界が広がった気がした。
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