ヘルシンキを後に
「仕事」でヘルシンキに来るのもこれで最後だろう。密やかな感慨を感じながら、ヘルシンキを後にした。パスポートを数えてみたら、この9年間に10回もヘルシンキに来ていた。出入国回数は31回だった。平均して年に3.5回は海外に出ていることになる。paid jobならともかく、趣味の仕事としては十分な数だ。
IOF理事会で十分な仕事をしたという思いには全くならなかったが、ささやかながらアジアのオリエンテーリングの発展には貢献しただろうという自負はある。理事は地域の代表ではないが、他のメンバー全てがヨーロッパ人(副会長のヒューはオーストラリア人だが、その心性はもちろん、イギリスのそれを引き継いでいる)の中で、否応なくアジア人であることを意識してきたと同時に、自分がここにいるからこそ、アジアという地区がIOFの中で強く意識されるのだと思うこともしばしばであった。もちろん、アジアのオリエンテーリングを発展させるプロセスは、IOFの理事を退任したとしても続く。否、むしろその時から本当の仕事が始まるのかもしれない。
帰国便はムーミンのキャラクターのついたエアバス
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