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2008/04/26

自立から更なるステップへ

 2005年の世界選手権を終えて、日本は国際的なオリエンテーリングシーンで完全に自立した。今年の7月、初めてのアジア選手権が開催される。ヨーロッパ選手権以外にも、北米選手権もオセアニア選手権も開かれているが、所詮それらはヨーロッパ文化の中での話だ。全く違う文化を持ったアジアの中で、ヨーロッパ近代精神の結実のようなスポーツであるオリエンテーリングの初の地域選手権が開かれる。これはある意味で、世界選手権開催以上にエポックメーキングな出来事だ。 その栄誉は、2000年来アジアのオリエンテーリングをリードしてきた日本ではなく、韓国に与えられる。私たちはその単なる傍観者ではない。様々な偶然の縁がこの大会を支えている。仕事で長く韓国に滞在した寺島君、そして日本でオリエンテーリングを始め、韓国で勉強中の車さん。世界選手権で国内コントローラーとして、国際イベントのなんたるかを隅から隅まで勉強した尾上さん。そういう日本人たちの支援が、初のアジア選手権を支えている。日本は、自立から更なるステップへと歩みを進めたのだ。

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▲マッピングチームの一員を勤める安さんと

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▲東大OLK出身で、韓国で勉強中の車さんと。オリエンテーリングに精通した彼女だからこそ、安心して通訳を任せられた。

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2008/04/24

雨が降る日に

雨で室内の読図練習に切り替えた大学のクラブの読図練習に、久しぶりに顔を出してみた。顧問とは名ばかりで、ここ数年は練習に出たこともなければ、アドバイスをしたこともなかった。ルートプランの練習をしていたが、まずどのように進めたら実際のオリエンテーリングに役立つ練習ができるかが分っていない。地図を見ながら写しちゃいけないとか、ポイントを文章にするとか、出来たものをどう評価し、フィードバックするかなど、一からポイントを教える羽目になった。

 弱いチームというのは往々にしてこういうものかもしれない。一見同じようなことをしていても、ポイントを外しているので効果がでない。逆に言えば、ちょっとしたきっかけと練習方法の改善で、大学チームなんて、すぐに強くなる。こんなところにコーチや指導者の出番があるのだろう。

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2008/04/21

日本平フルコース

 相馬さんと日本平フルコースのトレイルランニングへ。久能小学校から、澤沿いに昔の入会地への道を上がり、そのまま海食崖沿いのトレイルを気持ちよく走る。さらに尾根沿いに静大のそばまで下って、再び登り返す。丘陵の中に長く伸びる谷に沿って林道を下り、再び、北向きの小さなアップダウンのある尾根を下り、草薙神社から再びハイキングコースに戻り、船越に降りる。日本平の見所を堪能するスペシャルコース。このコースを完成させるのに、どれだけ日本平で悪戦苦闘したことか。清水に転勤以来毎朝日本平を走っている相馬さんも「いいトレイルですね。整備すればいいのに」「十分レースできますね」と満足の様子だった。
 海岸沿いのロードを走っている時は、安定したフォームだとは感じたが、むしろばたばたした印象があった。後半慣れたハイキングコースに入ると、ぐんとスピードを上げて、いっきに離されてしまった。トレイルの走りはさすがだった。
 久しぶりに2時間以上をHR150-160で走った僕は、くたくただった。一緒に連れていった宮内が時々遅れて、それを待っていなかったら、最後まで持たなかっただろう。でも、意外と走れるじゃんというのが、正直な感想。トレーニング終了後の「何食ってもうまいぞ!」という空腹感や充実感は久しぶりだ。
 実は相馬さんは、今朝も日本平を走っていたという。仕事がらいつ呼び出しがかかるか分からないからだ。「プロは時間が自由に使えていいですよね」という言葉には、羨みよりも、むしろ仕事しながらトップを走ることへの自負が感じられた。
 そのあとは、阿闍梨のあかねちゃんを誘って宮内とクライミングジムへ。長く充実した一日だった。

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2008/04/16

ヘルシンキを後に

 「仕事」でヘルシンキに来るのもこれで最後だろう。密やかな感慨を感じながら、ヘルシンキを後にした。パスポートを数えてみたら、この9年間に10回もヘルシンキに来ていた。出入国回数は31回だった。平均して年に3.5回は海外に出ていることになる。paid jobならともかく、趣味の仕事としては十分な数だ。

 IOF理事会で十分な仕事をしたという思いには全くならなかったが、ささやかながらアジアのオリエンテーリングの発展には貢献しただろうという自負はある。理事は地域の代表ではないが、他のメンバー全てがヨーロッパ人(副会長のヒューはオーストラリア人だが、その心性はもちろん、イギリスのそれを引き継いでいる)の中で、否応なくアジア人であることを意識してきたと同時に、自分がここにいるからこそ、アジアという地区がIOFの中で強く意識されるのだと思うこともしばしばであった。もちろん、アジアのオリエンテーリングを発展させるプロセスは、IOFの理事を退任したとしても続く。否、むしろその時から本当の仕事が始まるのかもしれない。

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帰国便はムーミンのキャラクターのついたエアバス

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2008/04/11

フィンランド連盟

普通金曜日の午前中行なわれるIOFの理事会は、今回午後からとなった。空いた時間でヘルシンキにあるIOFの事務所とフィンランドオリエンテーリング連盟の事務所を訪問することになった。IOFの事務所には特別なものがあるわけではな。メインはフィンランド連盟の事務所の訪問とフィンランドの連盟事情のプレゼンテーションを受けることだ。

 フィンランドの連盟もIOFも、日本でいえば、岸記念体育会館のようなところにある。もちろん、フィンランドのスポーツ界におけるオリエンテーリング連盟の地位は日本とは大違いだから、1階分のフロアのかなりの面積を占めている。予算も3億円だとか。

 成人の登録費は25ユーロなので、4000円近い。その他300以上あるクラブからの登録費を100ユーロ、競技会での参加費の15%が連盟に入る。競技者やその組織がさらに上位の組織を支えることは当然のこと。もちろんそれは安いに越したことはないかもしれないが、まずその当たり前のことが当たり前だと思われるように、JOAも努力しなければならないだろう。実際フィンランド連盟もクラブでのマナージメントやユースの育成のためのマテリアルや講習を積極的に行なっている。相互の協力関係と意識の高さがあってこそ、スポーツの発展も可能になる。

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フィンランド連盟の会議室で、プレゼンテーションを受ける。数字は日本から見れば遙かなものだが、その相互関係は参考になる。右から二人目が、連盟事務局長のミッコ・サロネン氏

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充実した一日

フィンランドの学校を訪れた後は、イーキスとスプリントのトレーニング。その後は、ヘルシンキのクラブに依頼してスントの社員のために行なわれているオリエンテーリングの講習会を見た。実は密かに期待していたのだが、何のことはない。旧態依然としていて、一般の人にオリエンテーリングを教える講習としてはどうなのかな?って感じだった。たとえ北欧でも、一般の指導者のレベルっていうのは、この程度なのかもしれない。イーキスも、「自分がやればもっとうまくできるのだが、競技的なオリエンテーリングの説明に偏り過ぎている」と言っていた。実際、コンパス直進の話を始めた講師に、それよりも大事なのは整置をすることだ、とつっこみを入れていた場面もあった。

 収穫といえば、自分たちの指導レベルに大きな自信が持てたことだった。

結局、思いの外充実した一日になってしまった。

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久しぶりにイーキスと一緒にトレーニング

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2008/04/10

フィンランドの学校

2003年に国際学力テストでフィンランドが1位になってから、フィンランドの教育は日本の教育界こぞっての注目を集めている。一応教育学部に籍を置く身として、せっかくフィンランドに何度も来ているので、学校を見ておこうと思った。2005年の日本チームのコーチをして親しいイーキスに頼んで学校見学をアレンジした。彼の奥さんは今は出産休暇だが、その彼女が勤めていた学校を見せてもらえることになった。

 ヘルシンキの西郊の6クラスしかない小さな学校で、フィンランドでもそんな学校ばかりではないようだが、とにかくこじんまりしたところが落ち着いていていい。何より驚いたのは教室と子どもたちの静かさだ。クラスサイズが小さい(低学年で15前後、中学年でも20を少し越えるくらい。日本の学級上限が40だというと、タルは「へー、大変」といっていた。その日は、祖父母に学校を見学してもらう日だったせいもあるかもしれないが、僕が入っても騒ぐでもなく、もっと驚いたのは、授業中だというのに、先生と久しぶりに学校に現れたタルがごく普通の大人同士が久しぶりにあったような会話をしている最中も、クラスが全然ざわつかないことだった。

 もっとも、これは学校に限ったことではないのかもしれない。ヘルシンキのバンタ空港に着くと、成田とは同じ首都の空港だとは思えない静けさに満ちあふれている。もちろん、教員の統制がうまくとれないクラスも日本と同じようにあるとは言う。

 クラスサイズを小さくすることは、教育効果を上げる上では重要だと思うが、そもそも国民性や文化からして違うので、あって、学校教育の違いもその反映の一つだと思える。

だいたい国を挙げて「フィンランドを見習おう」みたいなブームを起こしているうちは、絶対にフィンランドみたいな教育はできないと思った。

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小さなクラスサイズで、こじんまり静かに行なわれているフィンランドの学校の授業

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2008/04/08

Life in the fast lane

 入試と読図講習関係の仕事を駆け足で続けた2ヶ月へのささやかなご褒美として、CDを2枚買った。1枚はバッハの無伴奏チェロ組曲。もう一枚はホテルカリフォルニアだった。高校時代に友人から借りたロックのレコードの中で唯一気に入った思えたアルバムを、なぜか最近もう一度聞きたくなった。
 収録曲のタイトルを見て驚いた。New kids in town, Life in the fast lane, Wasted time, Pretty maids all in a raw, In last resort など、いちいち自分の人生を暗示するかのようなタイトルが並ぶ。記憶にあったのはメロディーなのに、無意識の中でアルバムのテーマに呼応していたのかもしれない。
 もう1年半前のことになるが、slow life の師匠田島利佳から、「トレーニング日誌付けるの止めたら」と言われて、20年間以上付けていた練習日誌を止めた。この1月から運動内容の記録は再開した。それはエリートレベルから見たらトレーニングといえるものではないけれど、そんな足跡でも残しておきたい。その習癖は、30年以上の間、辛さはもちろんだが、それに余る満足感を与えてくれた。疲れて「だらだらしたい」ともらすたびに、「だらだらの仕方知ってますか?だらだらできないでしょ?」と言われる。もし僕にslow lifeがあるとしたら、それはfast lifeとは別のところではなく、fast lane を集中して飛ばしている最中に感じられる心の中にあるのだろう。実は帰るべき場所(=last resort)はそこにあるのかもしれない。
 Hotel California自体、文明批判の曲である。手に入れた魅力に満ちた生活、それは天国ともなりえれば地獄ともなりえる。しかし、そこから逃げ出すことはもはやできない。ならば、腹をくくろう。

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2008/04/07

支えるスポーツ

 4月5日に、清水のナショナルトレセンで、区民向けのオリエンテーリング大会を終えてから夕食までの間に部屋の隅に積まれた資料の整理をした。その中に、3月に行われた日体協の評議会の資料で、「21世紀の国民スポーツの振興方策」という冊子があった。何の気なしに眺めてみると、これまでの「する」「見る」に加えて、これからは「支えるスポーツ」という分野が拡大し、それに対する施策が必要だと指摘されていた。
 僕自身15年くらい前に卒論生と一緒に行ったインタビュー調査で、「歳とったら、テニスはできなくなるかもしれないが、(所属しているテニス)クラブの草むしりしながら、若い人たちがテニスをするのを眺めるような生活がしたい」というコメント等を聞いて、「する」「見る」に「させる」スポーツというカテゴリーがあることに気づいていた。日体協がいう「支える」スポーツも「させる」スポーツも、言葉は違うが同じことを言っている。「支える」人がいなければ成り立たないオリエンテーリングをしていたから、このことに敏感だったのかもしれない。
 オリエンテーリングでは、30年以上も前から「支える」人によってスポーツが成り立っている。これは誇ってもいいことだと思う。家族組とキッズ(小学生)で参加した50名を越える人たちは、もしこのイベントがなければ、一生オリエンテーリングとは関わりなく過ごしていたかもしれない。今日のささやかな地域のオリエンテーリングイベントも「支える」スポーツとして、こうした人たちのスポーツとの関わりを支えたと思うと、意義深く感じられる。

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2008/04/04

リフレッシュ

 入試の仕事が終わったら、少しのんびりしよう。そう思っているうちに4月になってしまった。自分の性分から、ただ何もしないでいるのは余計ストレスになるというのはよく分っている。のんびりの場所に選んだのは日光大谷川YH。2週間後の世界選手権選考会のコースプランと現地のテープ巻作業だ。

 2日間、半日づつミドルとスプリントのコースに入って、テープ巻。夜は地図で修正すべき点をO-cadで直し、それに伴うコース修正をやはりファイル上で修正していく。山川と卓を囲んでYHで調査の仕事をするのも、20年以上も前にインカレ運営に携わったことを思い出させて、懐かしかった。作業には思ったより時間が取られたので、「のんびり」というわけにはいかなかったが、そんなこんなでリフレッシュにはなった。

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