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2008/02/19

やればできる

 日本国際地図学会の学会誌は年4回発行されているが、毎回付録地図がついてくる。大したことのない地図や業者会員である地図作製会社の宣伝のような地図もあるが、時々、これはという地図がある。昨日送られてきた2007年4号の添付地図「剱・立山」(国土地理院作成)は、20年間毎年7000円の会費を払ってきた甲斐があったと思わせるに十分な地図だった。
 スケールこそ1:30000であるが、等高線表現は1:50000の登山地図の角々したラインとは一線を画している。地形表現にはぼかしと連続段彩使われ、これまで、エアリアマップシリーズ中で他を圧倒していた「十和田湖・八甲田・岩木山」の疑似連続段彩を遙かにしのぐ立体感と美しさである。登山道は繊細な赤いラインで描かれ、GPSで取得したと思われる精度である(この測地成果は、ウォッちずおよび1:25000にも反映されている)。日本の地形図は技術が高いはずなのに品がないと(スイスと比較され)言われて続けてきたが、なんだ地理院、やればできるじゃん。
 裏面の解説が、また泣かせる。もともと剱岳は、明治初期「登れない山」とされていた。それを、陸地測量部の測量官柴崎芳太郎が苦労の末登ったものの、三等三角点を設定する材料を荷揚げすることは無理であることから、4等三角点が設置された経緯がある。したがって、3等三角点までには作成される<点の記>は作成されず、その困難にも関わらず設置の公式な記録は残されなかった(詳しくは新田次郎「剱岳<点の記>」参照)。点の記は、いわば三角点の戸籍簿だから、この三角点は長らく戸籍のない子どもであったということだ。おそらく柴崎の剱岳登頂は、陸地測量部、そして後には国土地理院の測量官の誇りとして組織の歴史の中で記憶され続けたに違いない。それと同時に、「この子」にちゃんとした戸籍を用意してやりたいという親心も測量官たちに受け継がれていったのではないか。
 その測量100周年を記念して、国土地理院は平成16年に、剱岳に三等三角点を設置した。すでに国土の三角測量は終了しているのだから、この三角点は不要な訳で、その費用はいったいどういう理由をつけてどこで工面したのだろう?一納税者であり、交付金による研究費の減少に悩む国立大学教員としては不審に思うところだが、地図作製者の端くれとしては、共感するところはある。設置に必要な花崗岩の標石は、剱岳測量100周年記念事業推進実行委員会のほか、希望者らによって室堂から雷鳥沢のキャンプ場まで運ばれ、そこからヘリで山頂まで運ばれた。その三角点には「100年前の想い」である<点の記>が作られ、選点者は、柴崎芳太郎とされたと、記されている。
 この地図がたかだか一学会の学会誌の添付地図だけで終わるとしたらもったいない話である。余談だが、柴崎測量官の剱岳登頂の話は、来年映画化される。

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