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2008/02/29

「山岳地図の読み方・使い方」もうすぐ発行

12月から1月にかけて、入試業務と平行して辛い作業になった「山岳地図の読み方・使い方」の見本刷りが届いた。完全DTP進行なので、校了から見本刷りまでたったの1週間。

 最初の読図術を出してから、とりあえず10冊本を出そうと思って、これが10冊目。しかし何冊目になっても、完成した本を見ると、生まれた我が子を見るような感覚に包まれる。今思うと、読図術は当たり前のことを当たり前のように書いてしまった。この本は、その当たり前の背後で読図者は何をしているのかも含めて、しっかり書いたつもり。オールカラーなので、地図、写真も見やすくわかりやすい、と「親ばか」ぶりを発揮。

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2008/02/26

楽しかった!

23日に学会参加のため、宮内に任せた地元山岳会の読図講習、感想は?と聞いたら「面白かった」と言われたという。いったい何が面白かったのだろう。屋内講習だったので、地図を用意して、ステップアップしながら尾根線・谷線を引いてもらう練習。それから、宮内が早起きして、会場そばの土手から対岸の地形の写真をとって、それと地形図からプロフィールを書いて対応させる課題などをやった(らしい)。その辺が面白かったのかも。

 一般募集の講習会と違い、山岳会の場合は仲間意識があって、レベルもまちまちだから、中級で分かっている人は教えたいし、そうすることで初級者のレベルも上がる。これは一般の講習でも、一人が少し技量の劣る人を連れてきた時などにはよく起こる現象だ。

そういう相互作用が働くような環境をうまく提供できたということなのだろう。それにしても「楽しかった」・・・。日頃、地図が読めると楽しいですよ、なんて本に書いているが、それがストレートに講習会の参加者の声に出たのは、意外だった。

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好評!読図問題

第7回の読図問題、好評である。

 締め切りまであと二日であるが、これまで最高の15人程度の応募があった。人数以上に、「面白い地形」「意外と難しい」、「完璧を期して、もう少し裏を探る」などのコメントが寄せられている。

 地名と、それにともなうからくりは解答・解説発表後にするが、自然が用意するものは、常に我々の予想を裏切るものであることがよく分かる。どれとは言わないが、「例外」は常に存在するものである。

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2008/02/23

春一番

日中の気温が18度まであがり、久しぶりに暖かい夕方となった。帽子も被らず、タイツの上にオーバーウェアも着ずに走れたのは久しぶり。まだ寒くなる日もあるだろうけれど、春の訪れが感じられて、気持ちよく走れた。

 少しづつスピードアップして走れるようになった。十分とは言えないまでも全日本で戦えるかな。今年はM21A。来年に向けて、そこからスタートだ。

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2008/02/22

読図問題

3月6日にエイ出版から本を出すのを記念して、読図問題を作成・掲載しました。2月末日締め切りで正解数上位3名には、「山岳地図の読み方・使い方」をプレゼント。

問題は、以下のURLを参照ください。

http://homepage2.nifty.com/MNOP/koramu/mapQ/mapQ7.htm

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2008/02/20

編集者の気概

 地理院が作った剱・立山の集成図の話を昨日ブログに書いて、「あと2週間早かったら今書いている本に紹介できたのに」と、編集者のYさんに送ったら、さっそく反応があった。今日(19日)が責了の日だが、こんないい話があるなら差し替えたいというのだ。心のどこかで期待していたとは言え、責了の日に原稿を差し替えようと考えるYさんもYさんだ。少しでもいい本を作りたいという編集者の気概だろう。ちなみにこの地図は、すでに昨年8月には市販されていたらしい。半年も見落としていたのだから、ナヴィゲーション・マスターへの道のりはまだまだ遠い。
 責了になると、出版までやることがなくなる。入試と執筆で鬼のように忙しかったこのひと月が嘘のような穏やかな1週間が始まった。ブログやウェッブを久しぶりに更新して、ちょっとのんびりすると、新しい本が無性に書きたくなってきた。もともと構想はあったものだが、ここに来て研究データの見通しもついた。さっそく家に帰って企画書を書き始めた。
 最初の本の出版が決まった時、10年間で10冊は本を出そうと心に決めたが、今回の「山岳地図の読み方・使い方」が編著も含めてちょうど10冊目となった。なんだか全日本を連覇した時に似ている。あの時も、目標は(誰かは達成できる)優勝ではなくて(誰もが達成できないかもしれない)連覇だった。この性格は死ぬまで変わらないんだろう。

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2008/02/19

やればできる

 日本国際地図学会の学会誌は年4回発行されているが、毎回付録地図がついてくる。大したことのない地図や業者会員である地図作製会社の宣伝のような地図もあるが、時々、これはという地図がある。昨日送られてきた2007年4号の添付地図「剱・立山」(国土地理院作成)は、20年間毎年7000円の会費を払ってきた甲斐があったと思わせるに十分な地図だった。
 スケールこそ1:30000であるが、等高線表現は1:50000の登山地図の角々したラインとは一線を画している。地形表現にはぼかしと連続段彩使われ、これまで、エアリアマップシリーズ中で他を圧倒していた「十和田湖・八甲田・岩木山」の疑似連続段彩を遙かにしのぐ立体感と美しさである。登山道は繊細な赤いラインで描かれ、GPSで取得したと思われる精度である(この測地成果は、ウォッちずおよび1:25000にも反映されている)。日本の地形図は技術が高いはずなのに品がないと(スイスと比較され)言われて続けてきたが、なんだ地理院、やればできるじゃん。
 裏面の解説が、また泣かせる。もともと剱岳は、明治初期「登れない山」とされていた。それを、陸地測量部の測量官柴崎芳太郎が苦労の末登ったものの、三等三角点を設定する材料を荷揚げすることは無理であることから、4等三角点が設置された経緯がある。したがって、3等三角点までには作成される<点の記>は作成されず、その困難にも関わらず設置の公式な記録は残されなかった(詳しくは新田次郎「剱岳<点の記>」参照)。点の記は、いわば三角点の戸籍簿だから、この三角点は長らく戸籍のない子どもであったということだ。おそらく柴崎の剱岳登頂は、陸地測量部、そして後には国土地理院の測量官の誇りとして組織の歴史の中で記憶され続けたに違いない。それと同時に、「この子」にちゃんとした戸籍を用意してやりたいという親心も測量官たちに受け継がれていったのではないか。
 その測量100周年を記念して、国土地理院は平成16年に、剱岳に三等三角点を設置した。すでに国土の三角測量は終了しているのだから、この三角点は不要な訳で、その費用はいったいどういう理由をつけてどこで工面したのだろう?一納税者であり、交付金による研究費の減少に悩む国立大学教員としては不審に思うところだが、地図作製者の端くれとしては、共感するところはある。設置に必要な花崗岩の標石は、剱岳測量100周年記念事業推進実行委員会のほか、希望者らによって室堂から雷鳥沢のキャンプ場まで運ばれ、そこからヘリで山頂まで運ばれた。その三角点には「100年前の想い」である<点の記>が作られ、選点者は、柴崎芳太郎とされたと、記されている。
 この地図がたかだか一学会の学会誌の添付地図だけで終わるとしたらもったいない話である。余談だが、柴崎測量官の剱岳登頂の話は、来年映画化される。

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2008/02/17

読図講習会

大学の公開講座に来てくださった方から、プライベートに読図講習会の依頼を受けたので、宮内と二人で、講習をした。屋内で90分ほど基礎的な話をし、正味4時間30分ほど日本平を歩きながら、地図読みのポイントを学習した。

 屋内での、地図上での尾根・谷の識別は結構難しかったようだったが、実際山の中に入ると読む場所が絞られるせいか、谷の分岐を手がかりにした現在地の把握などもまずまずできていた。

 2度目で、随分読めるようになりました、なんていう感想を聞くのは嬉しい。

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▲プロジェクターで地図を黒板に写し、尾根・谷のとらえ方の基本を示していく。

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▲谷筋を歩きながら、枝沢が出ているのを確認

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2008/02/15

広がり

10月にNHKの東海ローカルの「ナヴィゲーション」で取り上げられて以来、読図講習会の開催をオリエンテーリング界に呼びかけてきた。呼びかけに呼応した動きが少しづつではあるが出てきた。新潟の藤島君は早速2月(多分今週末)に三条で講習会を開催するという。地元新聞に売り込んだところ、そこそこ大きな記事になり、20人の定員をすぐに超えてしまったらしい。三条には登山者が多いという好条件もあったようだ。北海道でも事務局の山田君が登山者向けの講習会を開きたがっていて、2週間前に北海道にいった時も、いろいろと聞かれた。

 自分でいうのもなんだが、自分のやる講習はやはり職人芸的な部分で持たせているところもある。山や地図に関するほとんどの質問にもその場で適切な答えを提供できる。そうではない一般のオリエンテーリング指導者が行う講習会で、受講者の満足度を上げるような講習を行うためには、資料の準備やマニュアル化も必要になる。その過程で、藤島君や5月に行われた岐阜県の講習会などは貴重なデータ蓄積の場になるに違いない。

 受講者や藤島君の反応が楽しみだ。

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2008/02/08

タイカンコンパ

 夜遅く北海道から帰ってきた翌日は、大学でタイカンコンパだった。誰かが「退官」するのではない。もっとも寒いこの時期に外でやるコンパだから耐寒コンパなのだ。「冬、屋上でコンパすると星はきれいだし、何より鍋と熱燗がうまいぞ」、なんて冗談でいっていたら、ノリのいい学生たちが是非やりましょうというので、数年前に始めた。さすがにウツウツしていたこの2年は1度しかやらなかったが、その話を聞いたアウトドア好きのK先生の研究室からの申し入れがあっての開催となった。
 大学の野球場の片隅にブルーシートとテントマットを敷いて、寝袋も準備して、防寒態勢はばっちり。ほとんどの学生が寝袋を初めて使うというのに驚いた。
 この日は幸い風もなく、日本酒と鍋のおいしい楽しいコンパとなった。隣に座った学生は酒屋の娘で、日本酒をぐびぐび飲んでいるうちに、戻してしまった。外だから、飲み過ぎて戻しても、始末が容易なのも耐寒コンパの便利な点だ。
 僕は昨日の疲れで2時ごろから眠くなって、隣の子にもたれて寝てしまった。4時になって、皆お休みモードに入った。さすがにこんなところで学生に風邪を引かせる訳にはいかない(K先生の研究室の卒論発表はその3日後である)ので、研究室に退散。3時間ほど寝て、普通の生活に戻る。午後の授業は眠くてさすがに辛いが、その日、風呂に入って、暖かい布団に寝た時の心地よさは格別だった。
 山田君にはまたネタ好きと言われてしまいそうだ。

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2008/02/07

北国の休日(?)

 北海道オリエンテーリング協会が、道の体育協会に加盟した。講習会開催の補助が出るというので、呼ばれて講習会を行なってきた。北大生7名も含めた15名の参加者に最近のオリエンテーリングの状況や普及・指導にあたっての留意点などを講習した。感想を聞く時間はなかったが、それなりのインパクトはあったのではないかと思う。特に中高生の修学旅行の時の指導員という職務でオリエンテーリングを指導するルスツリゾートの二人は、オリエンテーリングの経験でいえば、大学1年生にも満たないだろうが、指導のポイントは掴んでいるし、質問への的を射た回答もさすがと思えた。
 講習は順調だったが、帰りの便が東京の降雪で大混乱していた。昼過ぎにニュースで東京の状況を掴んでいた山田君が、運行状況を調べて、定刻に飛べる見込みのないこと、便が間引かれて最悪今日中には帰れない可能性もあることを教えてくれた。
 明日何もないなら無理もしないが、入試関係の作業がある。入試委員長がでれないのでは格好がつかない。ここは山田君に甘えるしかなかった。
 どうやら名古屋便は飛んでいるらしく、空席もあるようだった。金に糸目をつけなければ、名古屋に飛べば、最終の清水行きのリムジンに乗れる。「こういう時は身体はって粘るしかないんです」東京との往復で何度も苦い経験をしているであろう山田君は、講習のサポートの仕事を中断して、空港に行き、名古屋便とキャンセル待ち行列に並ぶという両方の可能性を追求してくれた。
 18:50の名古屋便はとれたという連絡があった。多分30分遅れだろうということで、講習後も少し歓談して、のんびり空港に向かっていると、山田君から連絡が入った。18:00の東京便が18:35出発予定で、そのキャンセルが取れたという。それを逃すとキャンセル待ち番号が800番とかで、今日の帰京はない。空港まであと10分少々。18:20には着けるとすればぎりぎりだ。送ってくれた受講者の人がそれを聞いて、軽トラをとばしてくれた。空港到着18:20。ぎりぎりセーフ。無事荷物も預けることができ、ゲートへ。ちょうど、ゲートが開いて、機内への行列が動き始めたタイミングだった。気分は80日間世界一周である。
 結局、羽田は混雑が続き、予定1時間15分の飛行時間は1:30以上かかった。おかげで最終のひかりには乗れず、最終のこだまで予定より1時間遅れで帰宅。とにかくその日のうちには帰ってこれた。
 北海道では、いつも山田君に迷惑をかけっぱなし。山田君ありがとう!

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2008/02/02

読図本佳境

エイ出版の山本さんから依頼された読図入門が、最終段階に入った。11月に依頼を受けて、2月中旬に校了というのは、図版の面倒な読図本にしてはかなり無茶苦茶なスケジュールだとは思った。それでも執筆をOKしたのは、最新読図術以来、講習会で蓄積した初心者の問題点や指導法を丁寧に解説した本を書きたいとここ数年思っていたからだ。それなりの準備はしていたが、書いてみると、この説明で本当に伝わるのだろうかと悩むことがしばしばだった。多分、ビジュアルな媒体である地図を言語で伝えようとするところに、基本的な無理があるのだろう。図や写真は多用した。等高線を読み取るスキルにしても、これでもか、というくらい丁寧に書いた。それは自分が無意識にやっていることを再認識する過程でもあった。

読図という名の下に私たち熟練者が頭と目でやっている作業は、サッカーのファンタジスタにも相当するようなスキルと想像力を必要とする行為なのだ。

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