無力感
好日山荘の読図講習会の春のシリーズが始まった。平日の夜屋内講習を何度か行ない、最後に屋外で実地講習をするといういつものスケジュールだ。今日の講習では、整置がどうしても分からないという女性がいて、講習が終わったあとも、リピーターの受講者、店長を交え、その女性にああでもないこうでもないと説明をした。
「自分が地図上で進む方向を自分の身体の正面にするのだ」とか、「その状態で、地図と身体の位置関係を変えないように身体を回して、磁針と磁北線が平行になるようにする」にしても、手続きで言えば明快だ。多分彼女が分からなかったのも、その手続き自体ではなく、それをなぜやるのか、どんな意味があるのか、という点だったのではないかと思う。
整置は簡単そうに見えて、どんな講習会の時にも必ず「落ちこぼれる」受講生が出る。そのことは薄々感じて、ことあるごとにどう指導すればいいのか考えていた。今回受講した女性は、山で地図を読んだ経験が全くないが、トレイルランやトライアスロンをやっていて、チャンスがあればアドベンチャーレースもやってみたいという女性だった。それだけの意識があるからこそ、分からないことを「分からない」とはっきりぶつけてきたのだろう。
彼女はなんと川崎から1時間の講習のために静岡に来ていた。そのことは嬉しかったが、彼女にそれに値するものを提供できたのだろうか。限られた時間の制約は自分にはどうしようもなかったが、彼女にナヴィゲーションの基本すら明確に伝えられない自分に無力感を感じた。しかしこの無力感は、指導者にとってはかけがえのないものだ。
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