安全と教育のジレンマ
大日岳の遭難の和解を受けた安全検討会の第一回会合が立山で開かれた。この事故で亡くなった二人の冥福を祈る黙祷で始まり、ご遺族やマスコミ、その他事故関係者が見守る中での重い会議だった。
国が研修としてやる以上、高いレベルの安全が求められ、実際それが国の敗訴という一審判決にもつながっている。その一方で、高い安全が本当に冬山のリーダー育成の場としてふさわしいのかという疑問も残る。危険があるからこそ学べるものもある。重大な事故やケガは避けなければならないが、それが全くない環境も教育の場として本当に有効なのだろうか。たとえば、この大日岳の山頂でゾンデ棒を立てたり、ケルンを積んで山稜を明確に示すという方法も採り得る。そうすれば、雪庇からの崩落はほぼ100%防げる。だが、いかしここで研修を受けたリーダーがいく山全てにそういう設備が有るわけではない。そんなとき何に注意したらいいのかを学ぶ機会は、ゾンデ棒やケルンは奪ってしまうことにもなりかねない。危険のレベルは違うが、一般の教育現場でも同じようなジレンマはある。最近トレイルやオリエンテーリングでの事故に身近に接しているが、それらは基本的には「自己責任」が要求される世界だ。だが、教育場面は違う。安全と教育のジレンマについてはまだまだ考えて行かなければならない。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント