剣岳登山
8月下旬に立山にある文部科学省の登山研修所開催の大学生向け登山の読図講師を頼まれていたのだが、ちょうど世界選手権にあたって受けられなかった。その代わりに、当日のルートに関連した読図の課題やポイントを作成するということで、立山周辺を訪れることにした。半分はそのための取材目的だが、高山の登るのは久しぶり。
彼らが歩くのは室堂から立山、剣岳周辺で、ナヴィゲーションという視点では、剣は全く面白みのない山だが、新田次郎の「剣岳 点の記」(明治初期に三角点網を作成するため、登ることのできない山とされていた剣岳山頂に一等三角点を設置しよう努力した、陸軍の陸地測量官柴崎芳太郎の物語である)を読んで以来、一度は登りたいと思っていたので、このチャンスを生かして登ることにした。
月曜日は、登山研修所の東さんのところに泊めてもらい、火曜日に、室堂から剣沢小屋に入り、荷物をデポ。その後、約2時間かけて、空身で剣を往復した。剣山荘から山頂まで東さんが33分、山岳警備隊が35分というのを聞いてひそかに闘志を燃やしていたが、前剣山頂で26分。眼前にそびえる岩壁を見て、あっさり諦めた。第一遠目にみる限り、クライミングの装備なしではとても登れるようには思えない斜面だった。今はそんな斜面の随所に鎖場が設置され、中高年でもその気さえあれば登れる山になっている。それでも時々事故があって、最近も突風で鎖場から飛ばされた登山者が頭蓋骨粉砕で亡くなっているそうだ。
剣から小屋に戻ってまだ12時30だったので、小休止の後、立山に出かけた。最初は三山を縦走したあと、室堂に戻って再び剣御前小屋まで登りなおして小屋に戻る予定も立てたが、大汝の山頂で疲れが出て挫折した。来た道を戻る。まあ立山の最高峰は大汝だし、雄山は15年以上前にきたしね。
その日は剣沢小屋泊。奇遇にも、金沢大に就職した先輩が学生を連れて実習に来ていて、久しぶりに話しが弾んだ。。
この日に頑張ってやるべきことを全てやってしまったので、翌日は室堂に出て、一の越乗越から黒部ダムに脚で降りるルートを選ぶ。やや荒れた藪の中の道を延々下るルートにうんざり。おまけに最後の1kmで不覚にも捻挫をしてしまった。
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