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2006/05/30

有望な新人現る!

 へたくそだけど、切れ味がある。東日本の時、ショートレッグで5つも続けてラップをとった高橋雄哉のラップを見て、しびれた。自分にないものはその瞬間的なスピード。それを盗むために、弟子入りしてやろうとさえ思った。
 今回の選考会のラップを見たら自分がそんなオリエンテーリングをしていた。巡航スピードは松澤についで2位で100を切っている。そしてミス率が10%強。「こんなミスしてしまった」というより「自分にこんなキレ(両方の意味だが)のあるオリエンテーリングができるんだ」。そのことが新鮮だった。
 最初の2レッグをトップラップで入り、2では2位と11秒もの差をつけている。5,8でも再びトップ。中盤1分クラスのミスをし、終盤にかけて、緑のスピードの変化を要求される部分で、おっかなびっくりのタイムで走ったかと思うと、その後もさして難しくないレッグで2,1,1位のタイム。これが二十歳そこそこの選手なら、将来性有望なんだけどなあ・・・

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2006/05/29

選考会

 コンターズのTさんからおしかりの手紙をいただいた。「精神科医の言葉を聞き流してはいけません。0.5倍をどこからひねり出すのです?教員と専務理事の部分からは出せませんから、オリエンテーリング、競技のオリエンテーリングから楽しむオリエンテーリングにすることです。」
 分かってはいるんですよね。でも根っからアスリートなもので。しかし、そうせざるをえないことは、自分自身がこの1月の体調や気力の変化から、一番に感じていた。たとえ、選考会を通過しても、「ついで」といえるレベルのトレーニングさえ、3ヶ月続ける自信はなかった。
 9月からの9ヶ月間、トレーニングのせいで体調が落ちたとは思わない。でも、ここ1月は間違いなくそれが精神的にも体力的にも過負荷になっていた。特にこの1週間は、レースに走る気にたぶんならないだろう、と思うくらいの気力であった。
 そのことを考え合わせると、前日興奮のあまり寝付けず、夜中に何度も目が醒め、金縛りに遭い、不思議な夢を何度も見たこと。そうやってくたくたになりながらも(こんな経験は全日本をまじめに走っていた時以来だ)、レースを走りたくないという気分にはならなかったこと、そしてレース前半は思いの他身体の切れがよかったことは、全く意外なことだった。レース結果は満足のいくものではなかったけれど、レース前半はその瞬間瞬間に集中したいいレースができた。後半先行するランナーに追いついて、タイムを意識して、雑なオリエンテーリングになり、ミスが焦りを呼んで、1分以上のタイムロスをしたのも、それがこの9ヶ月間にできたことの限界なのだろう。
 トップと2分差の2位。2位になったことよりも、後半の展開には残念な気がする。トップとなり世界選手権チーム代表切符を手に入れたのは加藤だった。二人とも強化選手でなかった昨年の10月から、20の歳の差を超えて、加藤は互いに励まし合うライバルだった。握手をし、思わず抱きしめずにはいられなかった。

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2006/05/19

ディープな世界

 文科省の登山研修所に読図の講師として出かけた。同所が主催する指導員研修なので、受講者の半数以上はプロのガイド。残り半数も各地の指導的な立場のクライマーである。「読図のスキルはどうなんでしょうかねえ」と、呼んでくれた同所の小林専門職は言うが、正直、自分の読図セオリーが通じるのかどうか。
 着くなり会議室に通された。参加者は、ちんぷんかんぷんの用語で救助法のロープワークについての話を延々続けている。ようやく収束しかかったところで、地元のガイドが「ムンターミュールで遭難者をつり上げと、反対側が緩んでしまんじゃねえか」と問いかけて、また議論が沸騰した。「そりゃあ分かっている。それでどうした」ちゅうならええんよ。だけど使っている奴らはそれ分かってるんかっていうのよ。」
 結局誰かがロープの切れ端を持ってきて、それで別の参加者を実験台にして、やっぱり結び目が緩んで動くという結論に達した。実際救助にも使われている結び目に問題点が残されていること以上に、その問題点に対するスタンスが印象深い。実践の場では、「リスクは分かっている」「そのリスクを想定内として使う」というスタンスが重要なのだ。ロープの結び方一つだけでそれだけ議論を続けられる彼らに、地図調査で延々一つの特徴物の解釈を議論する自分たちと同じにおいを感じた。
 翌日の講習でも、彼らは研究熱心さとどん欲さを遺憾なく発揮した。受けたのは、等高線の理解を確認するための方法として、床にシーツをしいて、その上に布団をおき、さらにシーツをかぶせて地形模型を作り、「さあ、この地形を等高線にして見ましょう」、という課題だった。「これで、山小屋で二日くらい停滞しても大丈夫だわ」「おめえ、自分が考えたみたいに使うんだろう」
 さすがに基本的な尾根・谷が描けない人はいなかったが、尾根の大きさ・幅、傾斜の変換という点では出来は幅広く、それを互いに見ているだけでも面白かった。「これに等高線描いて見れるといいんですが」というと「ええやろ。ロープだってぶちぶち切っちまうくらいだから」ということで、そのシーツにチョークで等高線を書いてみると、我ながらいいできだ。

Img_0372

 屋外で写真を使う現在地の把握の講習も好評であった。あらかじめ小林さんにとっておいてもらった風景写真の特徴的な点に記号を付け、その場所にいって、実際にそれがどこかを同定する課題だ。用意された写真は、急斜面を下から眺めたもので、どうしても地形が重なりあって区別が難しい。現地で実物を見ても判然としない。僕ですら、自信が持てない場所がいくつかある。自信のない判断も、現場であれこれ考えながら作業する彼らにとっては、そのときどう考えるべきかといういい教材になった。
 夜、いっぱいやりながら小林さんと群馬でガイドをしている長岡さんと、講習の話題になった。日本山岳協会の指導員が白馬あたりで毎日仕事をしているプロのガイドに、実用にならない技術を指導している話とか、講習っていうのはあくまで技術のレパートリーを増やすためのものであって、実践の現場では講習で教わった通りのことをやるんじゃなくて、それをどう使いこなすかが大切なのに、救助者を搬送するのに、教えられた通り2万円もするゴアのカッパを使うことしかできない登山者が多いという。どこの世界も似たような問題を抱えているだな。

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2006/05/17

いろいろあるなあ・・・

 背筋競争の後遺症はほぼ一週間続いて、その間は自転車か腰部に負荷のかからないクライミングマシンで対応した。10日ほどたって、久しぶりに山を走ったら、今度はアキレス腱周辺が筋肉痛になってしまった。うーム。こまったものだ。
 翌週は、JOAの理事会と総会、そしてオリエンテーリング創始40周年記念パーティー。一日中気を張りつめていたのでさすがに疲れたが、先週のような「不健全な」疲労感ではなかった。
 選考会まであと2週間。今週は文科省の登山研修所での講師があって、ややハードだが、精神的には選考会に集中できるだろう。

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2006/05/15

背筋競争

 連休中盤の3-5日は、ナショナルチームの合宿に参加。もともと3日間フルにやるつもりはなかったのだが、合宿前日に子どもをやった背筋競争(1分間に何回できるか)のせいで、会場のジャンボにつくなり背筋痛で、走るどころか歩くことすらままならない始末。この日は撤収を手伝い、翌日は半日寝て、夕方なんとか自転車で35分のみトレーニング。とほほ。
 さすがに最後の日くらい、運動したい。上体をアップライトにし、身体をひねらずに走ればなんとかなる。太腿は疲れるが、トップの10%ましくらいで走れればいいや。そう思って走り始めてみると、意外と痛くない。背筋の状態もそうひどくないのだろうが、身体の適応能力に感動する。その後のリレートレーニングでも最後の方を走っていたが、全然太刀打ちできないというほどではなかった。

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2006/05/06

あそび気分

 デンマークとヘルシンキでは興奮していたせいか、調子がよかったが、帰って来てからその反動が出た。ゴールデンウィーク最初の週末までの一週間は眠かったり、頭痛が出たり、ネガティブな気分になったり散々だった。現地も見たし、さあいよいよシリアスにトレーニングだと計画していたが、その80%もこなせなかった。
 「あくまでもついで・・・」。マジになりすぎちゃいけないってことだな。しばらくためておいた新聞を見たら、荒川静香のインタビュー記事が出ていた。「最近ビールマンスピンが片手でできることを発見したんですよ。イナバウアーだって、どこまでできるかやっているうちにあそこまでになったんです。」とあった。彼女自身がそれを「遊び」と表現していたのが素敵。そんな「遊び」気分が大事なんだな。

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