「心理学と教育実践の間で」を読みながら
教育心理学には、それが現場の実践の役に立っていないという問題意識が昔からあって、学会のシンポジウムでも何度も取り上げられて、最後には「不毛論争の不毛性」まで指摘される有様であったという。研究で得られた知が実践の役に立たない。こんなことは少なくとも工学ではあり得ないことだし、自然科学でも、研究で発見された学問上の理論は応用の場さえ見つかれば確実に実践を確固たるものにするはずである。だから、なぜ不毛かは、心理学が対象とする心の性質を含めて考えなければならない。
この問題意識はまたの機会に話題にするとして、ここでは本書の論者の多くが触れている、実践から理論が立ち上がってくることはないのかという点について、自分自身の経験を踏まえて考えてみる。
最近、読図ワークブックという本を上梓した。この本は、風景の写真を見て地図のどこで撮影されたかを当てるといった問題からなっているもので、それを段階的に学び、解けるようになることで山野で迷わない読図力が高まる、というのが歌い文句になっている。同様な問題は、かつて山と渓谷誌にも発表したことがあり、一定の評価を得たので、このワークブックもおそらく好評を博し、読図やナヴィゲーションスキルの向上に役立つ本とみなされるだろう。
しかし、この本は、実践ではどうでもいいような細かい等高線の読解なども要求しているし、野山では絶対にやらない現在地の確定法も活用している。自分自身、野山で、この本の問題意識と同じような視点で風景を眺めているが、それも自分が常に読図のための教材を意識しながら山登りをしているからであって、本当にナヴィゲーションとしての必要に応じて、この本の問題が要求するような視点や考え方を持って地図や野山を見ているかは、自分自身でも疑問に思う。この本は、よく考えてみれば、かつての教育心理学と同じくらい理屈っぽく、実践的ではないという評価もされうる。
その一方で、僕も含めて山野でのナヴィゲーションに長けた連中は、こうした問題を自由自在に解くことができる。研究的な視点から見れば推測にしか過ぎないが、こうした問題が解けるスキルや視点の取得と山野で間違いなく目的地にたどりつく技術には、確実に共通点があると思う。実際、自分が約20年間にわたり、優れたナヴィゲーターを観察し、そこから結晶化してきたものが同書の骨子にあることも間違いない。
一方で、まだまだ自分で意識しきれていない、スキルの核心がいくらでもある。同書を書いている時にも、初級者が尾根線をきっちりたどることを阻害する要因や、それを克服するために自分自身が行なっていることについて、自分があまりに無意識であったことに気づいた。かなり実践的であろう同書でさえ、まだまだ実践との間に大きな乖離がある。
最後に、読図スキルの本を書いて、読者に広く受け入れられた時、読者から聞いた感想で、目から鱗が落ちる思いをした言葉を紹介する。「この本は理論的に書かれているんで、分かりやすいんです」。
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