センター入試の地歴と公民の問題冊子配布で7000人近い受験生に支障が生じたという。入試監督という末端業務に携わったものとして、またエラーの心理過程にも興味を持つ研究者として、ミスはどうして起こったのかを考えてみたい。
根本的な原因は、1科目受験と2科目受験が混じっている複雑な制度に起因すると思われるが、単に複雑なだけであれば、明確に手順が示されれば済む。その点には説明会でも重大な落ち度があったとは思えない。もっとも重大な要因は、一見面倒な手順がなぜ実施されるかという「理由」についての説明が十分ではなかったこと。それによって監督者は、手順に関する首尾一貫した表象を形成することができず、その解消のために常識としての「暗黙の公平さ確保ルール」を適用したことにあるのではないかと、自分自身の知識状態を振り返ると思う。
私自身、入試委員長の経験者として入試の実施方法については、常日頃関心を抱き、注意を払ってきたつもりだ。だが、説明会で聞いても、1科目受験と2科目受験の間に公平性が保たれるようには思えなかった。なにしろ、2科目受験生は1科目の間中、2科目目の問題を解くことができる。もし本来1科目で受験するものが2科目受験を選び、しかも本命科目を2科目目の時間帯内で回答したら、回答に60分以上の時間を使うことができるので、2科目目だけを受験する受験生に対して有利ではないか。
説明会で質問したが、その時の回答は確か「そのような(2科目目を解いている)受験生がいた場合は記録してください」というものだった。しかし、受験生は複数の科目からその場で問題を見て回答科目を選ぶことができるのだから、50人を越える受験生に対して、ある受験生が1科目目は何を選択しているかを把握し、この不正行為をチェックすることは不可能に思えた。日頃厳密な試験実施を指示する入試センターの業務としてはあまりに杜撰に思えて、説明は納得できなかった。次の時間の学部内リスクニングテストの説明会の時に入試委員長に質問したが、「そうは言っているが、実際には1科目受験と2科目受験は全く別の試験だ」という回答が返ってきた。そうか、1科目受験者と2科目受験者は同列に比較されることがないからそれでいいのだ、とその時は納得した。
それでもやはり釈然としない。運良く受験生であった息子に夕食時に聞いた。答えは明確だった。1時間目に受けた科目が1科目目、2時間目に受けた科目が2科目目として固定されている。これで納得できた。つまり1科目のみを評価する場合には必ず1時間目に受験した科目が採用される。これは厳密に60分しか使えない。2科目目にどれだけ時間を使おうが、それは1科目受験者と比較されることはなく、同条件の2科目受験者としか比較されないので、不公平さはない。同時に、なぜ間に10分とって1科目目の解答用紙を回収するかが納得できた。それによって1科目目は必ず60分という歯止めを掛けることができるからだ。
当日直前のブリーフィングで、再度「当初配布するのは(2教科受験室の場合)解答用紙1枚と問題冊子2冊ですね。」と尋ね、「そうだ」という明確な答えを得た。そこで答えをもらわなかったら、それでも不安はぬぐえなかっただろう。
問題配布を忘れた監督者(の少なくとも一部)は、どうやって2科目受験者の公平な問題解答時間を確保するかという点について疑問を持ちながらも、監督要領の指示や説明会で説明された手続きと「公平さの確保」という常識との間に首尾一貫する表象を形成することができなかったのではないか。何より、試験の大原則は公平さの確保である。そこに生じた一種のバグ(Brown & Burton, 1978)を解消しようとした結果、「解答用紙も1枚づつ配るのだから、問題冊子も当然1冊づつ配るべき」という試験の大原則に準拠した自前のルールに固執する結果になったのではないだろうか。科目の固定を知らなければ(そして記憶の限り、この点について手続きと関連付けた説明はなかった)、万が一このルールが正規なものとずれていたとしても、公民を2科目受験するもの以外には公平性は保たれる。そして、公民が二科目受験できるという大きな試験制度の改革についても、やはり手続きと関連付けた明確な説明はなかった(正確にはあったのかもしれないが、たぶん強調されていなかったので記憶には残らなかったのだろう。実際私自身もそうだった)。
一見して(その背景が)理解できない手順をその通りに実施することがいかに難しいかという認知心理学の教科の問題解決では古くから指摘された現象の延長線上に、今回のミスの原因があるように思える。
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