2008年4月21日 (月)

知のリハビリ

 9年前腓骨の骨折をした時、5週間ギプスをした。5週間後、脚の筋肉はなくなり赤ん坊の脚のようにぷよぷよになっていた。ギプスのうちから自転車で心肺機能は維持し、ギプスが短くなってからは、クライミングマシンにも乗った。ギプスが取れた日、喜んで歩き回ったら、学内のたった300mくらいの距離なのに、夜いてもたってもいられないくらいの痛みがギプスをしていた脚を包んだ。使わなかったものを使うためには念入りなリハビリが必要なのだ。
 気分障害が消えてから、元のとは言わないまでも8割ペースに戻したが、その後1月おきくらいにどかんと精神的疲労感から倒れそうな気分におそわれるのも、きっと鬱で萎縮した脳神経で、いきなりダッシュをしているからなのだろう。
 7月のAPOCで韓国にいく時期にちょうど認知関係の国際学会があったので、申し込んでみた。APOCの準備もかなり危機的状態のようだが、国際学会の方も似たようなものだった。日本の学会を通じて査読の依頼が来た。2pほどのレジメを10編ほど読んでくれという。それも締め切り3日前ほどだ。この週末が空いていたし、運営者が人手不足で困ることはよく分かっているので、引き受けた。2p程度のアブストラクトの査読と、それに簡単なコメントを付ける作業は、言わば知のリハビリのようなもので、適度な認知的負荷をかけてくれた。先週のフィンランドでの学校見学やIOFの会議も今週の大疲労感の原因にはなっていたが、その後少し「走れる」感じにはなった。査読をしながら、自分の研究に置き換えたらどんな展開が図れるかなんてことにも考えが広がった。「ギプスを着けていた」ときには考えられなかったことだ。身体でも頭でも適切なリハビリをしてこそ、うまく動くのだ。

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2008年2月23日 (土)

教育心理学の学生は3年生になると、近くの学校にアシスタントティーチャーででかける。その中で実践現場の問題をくみ取ったレポートを書くのが、1年間の大きなテーマとなる。

 今年の学生が見た子は、5年生だが、九九ができていなかったり、注意が散漫で、先生のいったのとは違う課題をやってしまい、間違いだと指摘されてやる気をなくす悪循環に陥っていたりといった子どもに対する支援についてのレポートが多かった。

 学力以前に問題がある子どもが増えているとも言えるし、そもそも学力の大きな部分は地道な作業によって獲得されるのだが、それができていない子どもが多いとも言える。発表を聞きながら、読図の学習でも、いい大人でさえ最初は尾根や谷を正確にたどれるなくて、練習を重ねることで、それがみについていくのと似ていると思った。結局スキルを身につけるというのはそういうことなのかもしれない。

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2007年12月 7日 (金)

防災に関する知識

 先週末は、認知心理学会の安全心理研究会にはじめて出席した。東北大学の仁平先生の講演だった。さすがにこのくらいの大先生になると、テーマとは関係ないカラスの話を30分くらいやっても、誰も文句を言わない。
 この日の講演では、防災教育で獲得させるべき知識として、1)個別知識、2)スキーマ、3)ナラティブ、4)スクリプトが指摘された。個別知識はいわば防災一口メモのような知識、スキーマとは災害そのものの一般的特性を踏まえた一般的な対処知識、ナラティブとはエピソード、スクリプトとは防災行動手順のようなものである。
 こういう知識があると実証されたものではなくて、いわば作業仮説のようなものだが、確かに私たちの持っている、あるいはコミュニケートされている防災知識をうまく網羅している。最終的にはスキーマに裏付けられたスクリプトの獲得が防災教育の目標であろうが、知識が行動に結びつくという点では、ナラティブが態度に影響する側面も無視できないであろう。
 火山のハザードマップの読み取り実験をした実感からは、火山についてはいずれの菱木も十分ではないように思われる。特に火山やそのハザードの特性といったスキーマ的な知識、それにどう対処すべきかというスクリプト的な知識も十分とは言えないし、ハザードマップそのものでも、肝心な「山を見る」といった情報は欠落している。
 知識とその構造の把握は認知心理学の重要な研究領域であるが、危険という点ではまだまだ未開拓なテーマが残っていそうだ。

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2007年12月 2日 (日)

暗黙知の解剖を読んで

 福島真人(2001) 暗黙知の解剖:認知と社会のインターフェイスを読んだ。表題からも分かるように、身体技能を語る時に欠かせない暗黙知という概念についての精査とそれに基づく問題提起である。冒頭に「使い古された概念は暗黙知という迷宮の入り口を指し示す上で必要だ」とある。最後まで読むと、本当に迷宮の入り口を示し、その中がいかに迷宮になっているかを見せてくれるだけで終わっていることには驚いた。その迷宮のゴールまでの道順を発見するのは他ならぬ読者なのであろう。
 この本を読みながら、教育の世界では暗黙知はいったいどういう位置づけなのだろうかとまず考えてみた。これまで教育実践は大量生産的で効率的な作業とは無縁の場とも思われてきたが、その一方でTOSSや陰山メソッドに代表されるように、効率的で明示的な方法で教育実践を展開していこうとする動きも見られる。しかし実際の現場を観察してみると、あるいは自分が明示的な方法を使いこなすことを考えると、手順化には収まらない暗黙知が依然としてあるように思う。明示的な方法として意識化されるまでは、「暗黙知」であったかもしれない。しかし、それが言語化(あるいは手順化)された時、やはりそれにはすくいとられていない部分が残る。暗黙知とは常に、タマネギの皮むきのようなものなのかもしれない。法則化の理念は悪くないが、教育技術の根底にある暗黙知の存在を軽視していると言えるかもしれない。
 こうしてどこまでも残る暗黙な部分の学習や教授において、状況主義的学習観や反省的実践家の概念は重要な役割を果たすと見なされているが(前者は学習という視点で、後者は教授という視点で)、そのような概念の安易な学校教育実践への適用(実践的活用、あるいは研究の視点として)にも、本書は警鐘を鳴らしている。
 地図読みはどうだろう。つい最近まで、僕は尾根線・谷線を引くことは、ある点を尾根・谷と同定できれば、その延長の単純なスキルと考えてきたし、初級者がうまく尾根線を引けないことを不思議に思ってきた。しかし、初心者の誤解答を分析すると、実は自分が「暗黙知」、すなわち、等高線の曲率半径の最も小さい部分をとおり、その部分の等高線に垂直に線を引いて結んぶという知識を使っていることがあぶり出されてくる。そのことに気づいてしまうと、暗黙知はもはや「暗黙」ではなく、言語化してテキスト化することができる。ただ、依然としてそれはスキルなので、その言語情報を聞いただけではすぐに身に付かない(身に付く人もいる)のも事実だし、曲率半径の一番小さい部分を見つけること自体、暗黙知に支えられているのかもしれない。
 地図は明確な約束に基づく記号体系だから、上のように言語化/手続き化すればそれでスキルの全てが顕在化される場合もあるが、現在地確認やルート維持のように、混沌とした環境との相互作用を余儀なくされる時には、どこまでいっても暗黙で有り続ける、タマネギ構造があるのかもしれない。
 暗黙知の皮をきれいに一皮むけば、それは新しい指導法の確立として賞賛されるかもしれない。同時に、教育をマニュアル化したという批判を受けるかもしれない。福島が指摘するように、明確さと暗黙さのバランスの上に学ぶことの面白さも存在するのかもしれない。その意味では、地図とナヴィゲーションスキルの学習にはまだまだ暗黙知が多すぎる気がするぞ。

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2007年11月27日 (火)

危険度を表現する言葉

今年も危険認知の調査を附属学校の児童・生徒と大学生でやろうと思って、KYTの図版を作成している。危険発見は図版をそのまま見せて、その中から危ないと思うものを拾ってもらうだけなので、図版ができればそれで完成だが、危険の評価については、あらかじめいくつかの危険(らしい)箇所をあげておいて、それがどれくらい危険かを評価してもらう。

 評価の方法は、ABCの3段階である。A:重大なケガにつながるので、すぐに注意してやめさせる、はいいとして、Bとして今すぐ注意する必要はないが、いずれ重大なけがにつながるので、適当な時期に注意すべきものにしたいと思っている。おそらくこの表現は学生には分かるだろう。だが、その趣旨を児童・生徒に分かるような表現を考えてみると、これが思い浮かばないのだ。

 このランクの危険はいわば「潜在的な危険」で、それがある時なんらかの理由で顕在化し、事故につながる。そして、発達段階途上にある児童・生徒は、このような危険に対して鈍感であることが交通場面での研究や私の野外活動場面での研究でも示されている。

 彼らに理解可能な表現が思いつかないということ自体、そこにラベリングをし、彼らの注意を喚起することの難しさと裏腹の関係なのかもしれない。

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2007年8月13日 (月)

「心理学と教育実践の間で」を読みながら

 教育心理学には、それが現場の実践の役に立っていないという問題意識が昔からあって、学会のシンポジウムでも何度も取り上げられて、最後には「不毛論争の不毛性」まで指摘される有様であったという。研究で得られた知が実践の役に立たない。こんなことは少なくとも工学ではあり得ないことだし、自然科学でも、研究で発見された学問上の理論は応用の場さえ見つかれば確実に実践を確固たるものにするはずである。だから、なぜ不毛かは、心理学が対象とする心の性質を含めて考えなければならない。
 この問題意識はまたの機会に話題にするとして、ここでは本書の論者の多くが触れている、実践から理論が立ち上がってくることはないのかという点について、自分自身の経験を踏まえて考えてみる。
 最近、読図ワークブックという本を上梓した。この本は、風景の写真を見て地図のどこで撮影されたかを当てるといった問題からなっているもので、それを段階的に学び、解けるようになることで山野で迷わない読図力が高まる、というのが歌い文句になっている。同様な問題は、かつて山と渓谷誌にも発表したことがあり、一定の評価を得たので、このワークブックもおそらく好評を博し、読図やナヴィゲーションスキルの向上に役立つ本とみなされるだろう。
 しかし、この本は、実践ではどうでもいいような細かい等高線の読解なども要求しているし、野山では絶対にやらない現在地の確定法も活用している。自分自身、野山で、この本の問題意識と同じような視点で風景を眺めているが、それも自分が常に読図のための教材を意識しながら山登りをしているからであって、本当にナヴィゲーションとしての必要に応じて、この本の問題が要求するような視点や考え方を持って地図や野山を見ているかは、自分自身でも疑問に思う。この本は、よく考えてみれば、かつての教育心理学と同じくらい理屈っぽく、実践的ではないという評価もされうる。
 その一方で、僕も含めて山野でのナヴィゲーションに長けた連中は、こうした問題を自由自在に解くことができる。研究的な視点から見れば推測にしか過ぎないが、こうした問題が解けるスキルや視点の取得と山野で間違いなく目的地にたどりつく技術には、確実に共通点があると思う。実際、自分が約20年間にわたり、優れたナヴィゲーターを観察し、そこから結晶化してきたものが同書の骨子にあることも間違いない。
 一方で、まだまだ自分で意識しきれていない、スキルの核心がいくらでもある。同書を書いている時にも、初級者が尾根線をきっちりたどることを阻害する要因や、それを克服するために自分自身が行なっていることについて、自分があまりに無意識であったことに気づいた。かなり実践的であろう同書でさえ、まだまだ実践との間に大きな乖離がある。
 最後に、読図スキルの本を書いて、読者に広く受け入れられた時、読者から聞いた感想で、目から鱗が落ちる思いをした言葉を紹介する。「この本は理論的に書かれているんで、分かりやすいんです」。

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2007年8月 4日 (土)

公開講座

教育学部の公開講座で「学校は危ない:教育活動に伴う危険とそれへの対処」を昨日行った。参加者は4名と少なかったのは残念だが、なかにはゼロの講座もあったというから、まあまともな方だったというべきだろう。

 学校現場では、年間100万件の傷害事故が起き、学外での交通事故と突然死を除いても20-30名程度の死亡があり、数百件単位の障害の残る事故が起きている。その実態と対応は、ここ数年の研究のメインテーマの一つだったので、その成果を話した。

 参加者4名のうち2名が養護教員で、彼らの学校事故に対する関心の高さが伺われた。彼らは、ケガが発生した時真っ先に、最重要な役割を担うわけだが、授業等を持つケースは少ないので、防止に向けてどう動くかには悩みがあるようだ。

 今は島田中学と共同で、細々と防止に向けての安全教育を試行錯誤しているが、こういう講習をきっかけに、研究と実践のネットワークがさらに広がるとよいと感じた。

 久しぶりに長時間の講義だったが、参加者の感想もまずまずだったし、自分自身現場との接点がもてたことは収穫だった。

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2007年6月 8日 (金)

危険認知の授業感想より

 3月に附属学校でやった危険認知のワークシートと感想が戻ってきた。みんな賢い附属の子なので、しめくくりは「これから、この授業で分かったことを活かして危なくないようにしたい」とあるが、細かい感想を読むと興味深い。
 もっとも興味深かったのは、意見発表の時間を持ったのだが、他のグループ・人の意見を聞いて「だいたい自分たちと同じだった」と思う人と、「自分たちの気づいていないものに気づいている」という両極端のことを感じていることだ。何人かの子は、「挙げたものは同じだったが、順位が違う」と書いていた。「同じ」と考えた生徒たちは項目としてそう判断し、「違う」と考えた生徒たちは、理由や危険度がグループや人の間で違うからそう判断したのかもしれない。
 またどうしたらいいかという点については、「皆同じことを考えているのだから大丈夫」という楽観的な意見もあれば、「その後のことを想像するようにしたい」といった具体的な意識の向け方を指摘している人もいた。同じ授業をしても、受け取り方はかなり幅広いということが分かった。「想像」は危険予知には欠かせない心的活動だが、生徒の何人かは「妄想」に走るのも、授業中感じていた。「妄想」と「想像」は違うという指摘をしていた生徒もいた。
 二つのクラスで授業が行われ、僕が最後にコメントしたC組では「関わり方によって危険が変わる」話をした。それを「気づき」としてあげた子は何人かいた(印象的に20%くらい)。AB組にはその記述は見られなかった。それが、今後どの程度生きるかは検証の余地があるが、危険を見るポイントについてポイントを絞って伝えることは決して無駄ではないと感じた。

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2007年5月30日 (水)

子どもの読図を指導して

 5月29日、NHKの子ども番組「天才テレビ君Max」に出演した。レギュラー出演者の二人の女の子に地図読みを教えるという想定だった。そのうち一人ジーナは読図に自信があり、もう一人千帆は自信がない。まずはそれぞれにテストをするのだが、二人の行動の違いが際だっていて面白かった。
 スタート前に地図を何種類か並べ、二人に地図を選ばせるのだが、千帆はこの時点でイラストマップを選ぶ。分かりやすい感じがするが、細かい道が省略されていたり、デフォルメがあったり、分岐の位置関係も間違っている場所もある地図だ。一方、ジーナはちょっと迷って、台東区の1:7000地図を手にとる。ごちゃごちゃしている印象はあるが、周囲に何十とある寺は一つ一つ出ているし、道の太い細いもはっきり分かる。
 歩き出しすと、千帆は道を曲がり損ねたり、挙げ句の果ては反対方向に進み、目的地とは反対の方向に歩き出してしまう。そこで助け船を出して、目的地に向かわせる。一方のジーナは、そんなに急いで大丈夫かというペースで歩くが、ランドマークの確認は欠かさないし、「その先には太い道があるはず」なんていうプランニングもし、声を出して現在地の特徴を確認する。結局、千帆が41分、ジーナは8分だった。
 そこで、「村越先生」が、地図の読み方として、①縮尺の正確なしっかりした地図を選ぶこと、②今いる場所をいつでも確認して進むこと、③進む方向に地図を向け、地図と周りの向きを併せること、④目印をしっかり読み取ること、を教える。地図の選択から始まった、二人の行動の対比は、やらせではないかと思われるほど。最初から用意したポイントを言うのにぴったりだった。
 二番目の実験は圧巻だった。一回目でうまくいかなかった千帆に主導させて、時々ジーナがアドバイスするという設定で行なうが、千帆の上達ぶりは目を見張るばかりだった。自発的な整置(しかも、自分が回転し、地図が回転するのではなく、地図の方向をそのままにして自分が回る感じで整置を継続している!)。番地に頼った地図読みは、使った地図の性質上仕方ないが、一つ一つの曲がりとその特徴をしっかり読み取って確認する。ちょっとしたヒントで、地図読みはこんなにも向上するのかと、驚いた。
 千帆が飲み込みが早い子だということもあるだろうが、実はその片鱗は、助け船を出した第一回目の実験後半でも現れていた。整置や現在地の確認のことを簡単に指摘しただけだが、彼女は後半それを使いこなした。その様子は、彼女のスキルが僕から学んだものというよりも、地図との基本的関わり方のスキルはもともと彼女が持っていて、前半の失敗は、彼女がただそれを組織的に使うことができなかったためのように思われる。「自分は『方向音痴』」という知識面でのメタ認知は持っていても、その時々の状態の問題やそれに対処するモニタリングやコントロールのスキルが「地図が使えない」根本原因だと感じさせる。
 ジーナは特別に読図の経験がある訳ではないが、その「センス」には驚かされる。ある区間で、トータルで8番目の曲がり角を曲がる時にも、「途中まではくにゃくにゃだから、道がまっすぐになってから3番目なんだよ(実際途中までは「へび道路」と名付けられているような左右に蛇行した道である)」と言ったり、整置をして、地図の延長線上に進む方向を指さし確認したりと、地図との関わり方をよく心得ている。ジーナの様子を見ていると、一般的な情報を扱うスキルが地図を使う上でも重要な役割を果たしているように思える。

 アウトドアでの、1:7000のオリエンテーリング用地図を使ったチャレンジでは、さすがに二人とも苦戦した。まず等高線の説明を簡単にして、とにかく尾根と谷の区別、緩やかな斜面と急な斜面の区別をつけることを教えた。さらに山の中では方向を見失いやすいので、コンパスを使うこと、整置を忘れずにすることを強調した。
 整置をしようという姿勢は身に付いたようだが、地図上の進行方向と無関係に地図を持っているので、進行方向が横を向いてしまって、地図から現地への方向の移し替えがスムースにできない状況も少なくなかった。これは大人の初心者に整置を教える時にも、よくあることだ。
 道やその周囲が単純な前半は比較的地図と周囲の対応がよくできていたし、地図を見て「この先大きく曲がっているんだよ」などという先読みもできていた。まっすぐだが崖と急斜面で大変そうな道と、迂回していて平らそうな道という特徴を読み取ったルートチョイスもできた。しかし、道の方向が変わるつづら折りの岩場では、結果的に正しい道を選べたものの、地図にない道を無視したり、だいたいの方向を考えながら一番確からしい方向を選ぶといった高度な地図読みは難しかった。複雑な分岐で、正しい小径を整置によって選んだり、等高線との関係で正しい道を選ぶこと、いずれも困難を極めた。これらも、大人の初心者にオリエンテーリングを教えていても、頻発する。
 子どもと大人とを問わず、初級者の指導の問題は、個々のスキルというよりも、状況が複雑になってもそのスキルを確実に使うコントロール能力が重要なのではないかと思う。

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2007年5月14日 (月)

道迷い本改訂

 2001年に出版して、現在では9刷を重ねている「道迷い遭難を防ぐ最新読図術」の改訂版を出そうと数年前から思っていた。他の執筆が一段落付いた今春、本格的に取り組み始めた。元々改訂版は出したいと思っていた。出版以来、講習会をしたり、新たな読図の記事を書く機会にも恵まれているうちに、初心者にとってどんな点で読図が難しいのかが、より詳しく見えてきた。そこで得た成果を取り入れることで、もっと分かりやすい読図教本ができるだろうという思いも強くなってきた。
 全体的な構成や考え方についてはもちろん変わるところはないが、細かい部分や構成は手をつけたいところばかりになる。つたない文章、稚拙な構成等、読み返してみると、意気込みは感じるが、欠点も目に付く。20年前の自分の地図調査を見ているような恥ずかしい気分にもなる。
 一番大きく手直ししたのは、地図利用の基本に関する部分だが、とりわけ等高線の読み取りは、様々な地図利用実験を行なったり、初心者指導を行なう中で得た成果を盛り込んだ。初版を執筆当時は、尾根・谷の弁別など当たり前の課題で、それがナヴィゲーションに利用できる比率は低いと考えていた。平塚氏が「1:25000地形図の読み方」で展開したような尾根・谷の弁別に中心を置く指導には疑問を抱いていた。だが、実際に実験をしてみると、尾根・谷弁別課題と空中写真を使った模擬的現在地把握課題の相関はかなり高い。現在地把握に失敗した人の理由付けや行動からも、尾根・谷の弁別の失敗が現在地把握の失敗につながっていることも確認できた。確かに、多くの枝尾根の張り出しを見ることのできる日本の山では、尾根の配置だけでも、十分に現在地把握は可能なのだ。新版では、初心者が陥りやすい尾根・谷の弁別の具体例についても盛り込む予定だ。
 二番目に大きく手直ししているのは、現在地把握の章である。初版を書いている時には、「現在地把握とはどんな課題か」を理解することが初心者にとって最重要課題だと考え、原理面を強調した書き方になっていた。原理の把握は今でも重要なポイントだと思っているが、今読み返してみると、現実の動きの中でどう現在地把握をすべきかについて、もっと記述を割くべきだろうと思う。そのあたりのバランスと記述の順序は難しく、素材は同じなのに、全く違う仕上がりになってしまうかもしれない。
 これもなんだか、自分の調査したエリアにもう一度入るのに似ている。前に描いた時には万全を期した等高線も、再び調査すると徹底していじりたくなってしまうのだ。

 そんな週末を過ごしている傍ら、東京トレイルランでは、トランスジャパンも完走している高橋さんが、レース中心臓麻痺で亡くなった。尋常ではない身体能力の持ち主にも、悲劇は訪れる。一昨年(昨年?)の山岳耐久でも、心肺蘇生法によって一命を取り留めたランナーが出た。40-59歳のランニング中の突然死の死亡率は11.3/億人・時間なので、実はスポーツの中でそれほど高くはない(実数では年間30件くらい)。それに対して、登山の危険率は倍近い。トレイルランはまだ普及して時間が短いので、データの蓄積がないが、ランニングよりも危険率が高いように思う。実際どうなのか、気になるところである。

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