2013/05/02

オンサイトという視点から自然体験の事故を見る

以下では、冒険志向とそれにともなうリスクへの無自覚という状態が、自然体験活動や日常の教育活動でも見られることに簡単に触れた後、計画とオンサイトという二つのフェーズによるリスク管理の有効性を検討しよう。まだ自分自身でも整理の段階だが、書いて、批評を受け、練っていかないことには進めない。

自然体験の教育的効果は経験的にも、統計的(相関的に)にも指摘されている。特別活動の一環として、協調性や忍耐力、達成感などを狙いとして自然体験は実施されている。その一方で、忍耐力が養われ達成感を得られるのは、できない失敗の可能性があればこそである。そこにはクライマーとはレベルが違うとは言え、一定の失敗のリスクがある。そして、身体活動では、失敗は身体へのリスクでもあり得る。学校管理下の自然体験でも数年(概ね2-3年)に1名程度の死者が出ている。しかし、こうしたリスクに学校現場が意識的になるのは、重大事故が起こった前後に過ぎず、残念なことにその教訓はあまり長い間学校現場には残らない。プールの排水溝による溺死事故が1960-80年代に30件以上発生したことは、この分野では有名である。80年代半ばに一端終息したものの、その後もほぼ10年おきに数件発生している。

武道の必修化では、用具の都合(と思われる)で多くの学校が柔道を採用している。しかし、平成17年から22年の6年間の学校管理下における体育実技による死亡数33件のうち、半分に近い15件が柔道によって発生している。県によっては、様々な対応を準備して導入しているところもあるが、国として明確な方針のないままに武道が必修化されている。柔道関係者でさえ、懸念を表している。礼節をはぐくむという教育的価値と同程度にリスクが自覚されているとは言い難い。

2011年に発生した三ヶ日青年の家のカッター転覆による死亡者が出た事故では、学校側が注意報発令下で活動を(暗に)承諾したことの責任も問われている。しかし、一般的に学校がこのような施設で自然体験をおこなった場合、計画的な安全管理は施設に丸投げにすることが多く(もちろんオンサイトでは、教員が安全管理にあたるが)、リスクへの意識は必ずしも高いとは言えない。

このような教育現場の実態に対して、①不確実性の自覚、②計画によるリスクのコントロール、③オンサイトの対応、④運への気づきによる省察、という4つの側面は何を示唆するだろう。

第一にリスクや不確実性に自覚的になることである。当たり前のようだが、効用に隠れて、あるいは安全への希求に隠れて、学校教育のリスクへの自覚は不十分だ。さらにそのリスクを子どもや保護者に適切に伝えるリスクコミュニケーションの方法と文化的土台が十分に形成されていない。リスクマネジメント的に言えば、リスクの共有がなされていないと言えるし、保護者の視点から見れば教育的意義でリスクが隠されている。もっともこの点は学校教育だけの努力ではなしえないだろう。リスクを自覚することはそれを許容することではなく、それをコントロールする第一歩だという社会的コンセンサスが必要だ。

二つのフェーズによるコントロールのうち、計画によるリスクの制御は一般的に行われている。一方で、オンサイトの判断は、非公式な言葉では語られるが、それが有効な条件が意識されているとは言い難い。計画とオンサイトの判断の協同についても認識は不十分だ。せいぜい、「計画通りにいかない部分は臨機応変にやろう」と語られるくらいだ。別項でも示したように、オンサイトの判断が有効であるためには、リスク変化をもたらす状況の変化に対する感受性と、制御可能性を意識および保持することが必要だ。この2条件は、どのようなリスクを計画の中で考慮し、排除すべきか、何をオンサイトに委ねることが効果的かについての指針を与えてくれる。

具体的な例によって考えよう。三ヶ日青年の家カッター転覆による女子中学生死亡事故では、大雨・強風・波浪注意報発令中にカッター訓練をおこなったものの、途中から風雨が強くなり、訓練が不可能になったこと。モーターボートによって曳航してハーバーに戻る際に、左舷側に傾き浸水することで転覆したこと、。曳航した所長はカッターの曳航経験がなかったことなどが事故原因として指摘されている。これらはいずれも計画的行為によって防止が可能である。その一方で、風雨の状況の変化、曳航前から左舷が傾いていたこと、曳航時のさらなる左舷の傾きなど、オンサイトでの対処を可能にする材料もある。もちろんそれを持ってこの条件下で訓練を敢行していいことにはならないが、少なくとも事故を防止する最後の砦を築くことはできただろう。実際、運輸安全委員会の勧告としては、訓練継続の可否、中止の場合の措置を記載した指導マニュアルの見直しが提言されているが、一方で、同委員会の報告書では、天候不良時の対応については「ハーバー内での訓練にとどめたり、全カッターに指導員を乗船させてハーバー前面水域で訓練をおこなったりすることが指導員間で申し伝えられていたが、指導マニュアルには規定されておらず、天候不良時の定義が明らかでなく、また、訓練方法の内容が具体的ではなく、さらに通常時と天候不良時の訓練方法の変更を決定する時期も明らかでなかったものと考えられる」(運輸安全委員会船舶事故調査報告書MA2012-1)とある。このことから、それまでオンサイトで対応されてきたものが継承されなかったことも、事故の大きな原因であると言える。また「本件訓練の実施中に風向きが南に変わり、天気予報とは異なる状況となっていたことを早期に把握して風向、風速および湖面の現況を確認した上、過去に天候不良時の訓練方法を選定した際の訓練方法を参考にし、・・・継続の可否について慎重に判断していれば・・・安全性の高い訓練方法に変更することができ、本事故の発生を回避できた可能性がある」(同報告書)としている。オンサイトの判断は、実際には不確実で変動の大きい自然環境での活動のリスクを制御する上で役立つだろう。

さらに、もう一度アウトドア系の活動の事例に戻って検討してみよう。たとえば2007年のトムラウシの遭難事故について、事故について論評したヤマケイの特集号で指摘された内容をKJ法でまとめたものが図だ。この事故ではツアー登山による不十分な安全管理体制が問題になったが、計画とオンサイトという枠組みから見ると、問題は計画そのものではなく、オンサイトでの判断と対応行動が十分に機能しなかったこと(中央の赤い点線囲み)と状況変化への対応可能性を計画によって保障しなかったことにある(左の赤い点線囲み)。

 最後に、運の自覚による省察について検討しよう。運の自覚による省察とは、不確実な環境下での活動が無事におこなわれたのはたまたま当たりくじを引いたようなものであると自覚することと、活動の中で得られた情報を元に、長期的に不確実さを減少させようとする努力のことである。産業界や教育現場の一部でもおこなわれているひやりはっと調査やそれに基づく安全上の改善は、その一例だと見なせる。しかし、このような活動は一般的ではない。高校までの12年の学校生活の中で、クラブ活動とオリエンテーリングを除けば、(些細なものも含めた)失敗を振り返り、(ケガ以外も含めた)リスクを低くする努力をしたという記憶がない。個人的な経験に基づくものだが、教育界に身を置いていると、それは一般的な傾向のように思える。

もっとも、大きな失敗のない中で些細な失敗を省察し、リスク回避につなげることは、安全が重要だという認識が教員だけでなく当事者である生徒自身の中にもなければ難しいだろう。学校教育でも安全指導はおこなわれているが、児童・生徒が主体的に考えてリスク回避をするように方向づけられていないので、不確実性の自覚とそれによるリスクへの責任意識とがセットにすることがまずは課題だろう。

Tom

トムラウシ事故要因の分析(山と渓谷誌掲載記事を元にした)

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現代アウトドアのリスク志向に思う

自分の周りに日々起こってきたリスクに関する事例と、高所登山家へのインタビューの質的研究という二つを通して、この二ヶ月の自分自身の問題意識はだいぶ整理できた。現代のエクストリームなアウトドアの状況とそれへの処方箋について、私論をまとめてみた。

取り組むべき直接の問題意識は以下のようなものである。

①活動者の、冒険への志向性が高まっている

②冒険にともなうリスクの高い状態に対して、活動者は無自覚である。

まずは、①について、個人的な体験やいくつかのエピソードを元に考えてみよう。2000年前後から始まったアドベンチャーレースやトレイルランニングのブームを見る限り、多くのアウトドア活動者がより高い冒険を求めていることは確かなことのように思える。またここ数年はTV番組(主としてNHKだが)でのその取り上げられ方をみると、その参加者は自らの限界に挑戦する人という描かれ方をしている。

高所登山家に対する私自身のインタビュー(未発表)でも、主要な未踏峰がほとんどなくなってしまった現代の高所登山家は、装備の制約やより困難なルートの開発によって、不確実さを含むレベルに挑戦を高めることを意識的に行っている。これらは極端なケースだが、持っている力と課題の均衡が「楽しい」活動をもたらすというフロー理論(チクセントミハイ)や、他の要素とのトレードオフにより、安全性が高まるとリスクレベルを元に戻そうという行動変容が起こるとするリスクホメオスタシス理論(Wilde,)などとも整合性を持ち、能動的なリスク活動においては一般的な傾向だと考えられる。

次に②について検討する。私が現代のアウトドア活動におけるリスクのとらえ方についての考察が必要だと考えた背景には、エクストリームな活動に従事する活動者は、存外それに対して無自覚なのではないかというこの点への問いがある。登山に限っていえば、1990年代前半までは遭難数は年間およそ600人程度であり、その中で死者が250人程度発生していた。数字をみても、山岳遭難は死とそんなに遠くない場所にあった。しかし2010年には、年間の山岳遭難数は2400程度になった一方で死者数については概ね変化はない。山岳遭難と死の距離はかなり大きくなった。実際、現在遭難統計に表れる遭難者の中で軽微な道迷いや疲労!がかなりの割合を占める。中には合ハイ気分での山登りや六甲山のように都市近郊の遭難も少なくない。

トレランについても同じようなことが感じられる。富士山を一周する160kmのウルトラトレイルには、多くの参加者がある。その距離を踏破する持久力と自らのリスクに対処するスキルを持っていないと思われる参加者も少なくない。実際、夜間、途中のエイドがない標高2000mを超える28kmの区間に挑んだ参加者の中には疲労等から低体温状態になり、役員のテントに収容された者が3名いた。これも長距離のレースにおけるリスクへの無自覚な状態の現れと考えられる。また160kmに限らず、比較的長いどのレースでも、実感として参加者は希に起こる大きな損害について無自覚だと思われる。

私がこの問題について考えるきっかけとなった二つの遭難事件の4人の犠牲者を考えてみよう。冬山で滑落後凍死した二人は、冬山では初級者の部類に入っていたし、日常生活や活動をともにした経験からは、冬山での高いリスクを意識しているようには思えなかった。彼らは日常的なチャレンジの延長線上で冬山を選び、そして死に至った。海で遭難した他の二人は、アドベンチャーレースの練習であったから、リスクに対してはより高い意識を持っていたかもしれない。強風の中でのカヌーで、沈の危険性は認識していただろう。だが、彼らはそれをも練習材料と考えていたのではないか。一線を越えるという意識はおそらくなかっただろう。

高所登山家に「死と隣り合わせの活動をしている意識はあるか」と問うと、少なくない登山家が「ある」と答える。その一方で、そのような状況で最大限のリスクのコントロールをしていると考えているが、経験を積むほどに、かつての自分がリスクに対して、いかに無自覚であったかを反省し、自分が今ここに生きているのは運に過ぎないのではないかと口にする。

客観的な実態を提示することは難しいが、活動者は自ら置かているリスク(の程度)に無自覚であるという現状把握は、主観的には賛同を得られるだろう。

 

 こうした現状に対して、倫理学的な問い、すなわち、個人はリスクをどう捉えるべきなのか、あるいは社会としてあるいは個人としてこのような状況をどう捉えるべきかがリスク倫理学の射程なのだが、まずは、私自身の専門に近い実践的な問い、すなわち現実のリスクに対してどう対処すればよいかについての回答を試みたい。この回答は、主として私自身のリスク的活動への従事経験と高所登山家に対するインタビューの質的分析を元にしている。この詳細な回答は近いうちに学会誌に発表予定なので、ここではその骨子について述べる

対処法は、①不確実性の自覚、②計画によるリスクのコントロール、③オンサイトの対応、④運への気づき、からなる。不確実性の自覚とは、自分が従事している活動の結果が不確実なものであり、重大な結果も希ではあっても起こりえると考えていることに加え、そのような結果は偶発的に発生してしまうことへの自覚である。自覚があるからこそ、2つのフェーズによる不確実性への対処へと意識が方向付けられる。計画によるコントロールとは事前情報や過去の経験などを踏まえ、カタストロフィックな不確実性を回避することである。オンサイトの対応とは、活動中に得られる情報によって最悪の事態を想定し、損害を伴う結果が顕在化する前にその都度対応していくことである。また不確実な活動であるからこそ、たとえ事故がなくても、活動終了後に「あそこでこうなっていたら、重大な事故につながっていた」と思えるひやり・はっとに遭遇することは決して少なくないだろう。高所登山家は、結果オーライでなく、遭遇しなかった事故に対しても思いを巡らし、事故がなかったのは運だという気づきのもとに、運を制御のうちに置くための対処を進める。

二つのフェーズによるコントロールが必要かつ有効なのは、次の理由による。

不確実性が自覚されるということは、計画によって全てがコントロールできない活動である。複雑で曖昧な自然環境の中での活動では、人工知能のフレーム問題が提起したように、結果を100%コントロールできない。そのためには、ほぼ無限のルールを設定しなけばならないからだ。実際事故対応のマニュアルを作ってみれば分かるように、様々な場面での事故防止や発生した事故への対処を考えるマニュアルは際限なく厚くなり、実用上首をかしげたくなることもある。事前に起こりえることを絞ることが不可能だからである。オンサイトの判断を前提にすれば、計画段階で何をすべきかが明確になる。オンサイトでありえる致命的事態を予測し、それを回避することが計画の最重要ポイントなのだ。また上でも触れたようにエクストリームな活動を行う中核的理由はチャレンジだから、不確実性が全くない活動は魅力を持たない。活動の特性からも活動者の指向性からも、オンサイトに委ねる部分が必要となる。

オンサイトの判断は、状況が個々に確定されているだけに、その後のシナリオを想定しやすい。事前の計画に頼るリスク管理に比べて効率よく必要な対処を行うことができる。その一方で、オンサイトの判断だけでは、致命的な状態をさけられない。たとえば、裏山なら、雪が降ってきたら、家に戻るというオンサイトの判断で十分だ。そこでは寒い・しもやけといった軽度のリスクはあるが、死ぬことはないだろう。だが、高山帯で十分な準備がなければ、雪に降られたら死ぬリスクもある。そうならないためには、事前に十分な防寒具を準備するといった計画的対応が必要となる。事前の計画は、こうした致命的状態に陥ることを回避してくれる。

 オンサイトの判断で重要なことは、シナリオの分岐点に影響する状況の変化に敏感になることだ。この事は自明のことに思えるが、ある事態でどうなったらよりリスクが高くなるか、そこに介入してシナリオを変化させることができるかどうかに対する感受性は一般の人は意外に高くないというのが、実感だ。もちろん、これができるためには、可能なシナリオの束をイメージできるだけの知識が必要だが、結果に影響するシナリオの変化とそこへの介入可能性という視点を持てば、オンサイトでのリスクに対する見方はだいぶ変わるのではないだろうか?

私自身、トムラウシ遭難に対する山ケイでの特集記事の多くの論調に違和感を感じ、その違和感の原因を突き止める考察の中で、事前の計画によるリスクのコントロールとオンサイトの判断というふたつの局面で考えないと、事故への適切な対応はできないのだと考えるにいたった。前者だけではいわゆるマニュアル主義に陥るし、後者だけでは場当たり的な対応になる。今回高所クライマーの手記を分析する中で、彼らが似たような枠組みでリスクに対処していることが分かり、ふたつのフェーズによる対応の有効性が、汎用性を持つという確信が高くなった。

読者の議論と考察、そして実践の材料となれば幸いである。

(本稿はfacebookに掲載した記事の修正再録です)

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2013/02/21

事故に思う(2)

 社会的な意義付けと個人の意識のギャップという点で、ショッキングだったのは、三ヶ日カッター転覆事故での書類送検だ。この事故は2011年の6月に静岡県立三ヶ日青年の家で発生した。この日同所で自然体験中の豊川の中学校が注意報の中カッター訓練に出たものの、風がひどく船酔いする生徒も出て、生徒がこぎ続けることができなくなり、中止となった。そこまでは、これまでにも合ったことかもしれない。
 三ヶ日青年の家は、その4月より県教委の直接管理から指定管理者への委託管理となっていた。指定管理者は小学校集英社プロダクションで、各地の社会教育施設の運営にも実績があり、他の応募者を大きく離して管理者として指定されたようだ。管理者の変更に当たっては、前所長が引き継ぎに半年はほしいといったが、それが短縮されたというコメントが新聞記事に掲載されていた。
 この日、カッタは所長が操船するモーターボートによって曳航された。不幸なことは重なる。このカッターには通常つきそう所員が乗っていなかった。カッターを曳航する時は、進路に合わせてカッター側の舵を切る必要がある。そうしないと艇が傾き浸水することがあるらしい(このあたりは、大雑把な記述)。実際、このカッターは曳航時に浸水し、転覆する。転覆した艇内に数人が残されたが、西野さんが脱出することができず、犠牲者となった。事故の概要は以上であった。
 ここでは、事故の原因とその直接的対応については、触れない。触れておきたいのは、2013年2月に、関係者6名が書類送検された点についてだ。所の管理責任者であり、モーターボートで曳航を行った所長と管理運営の小学校集英社プロダクションの責任者は、直接の責任者は当然だろう。さらに県教委の責任者(当時の課長ら)も書類送検されている。引き継ぎに瑕疵がなかったとは言えないことからも納得はできる。その一方で、県教委の責任者が書類送検されたということは、指定管理者に委託したとしても、県には一定の管理責任があると見なされていることだ。さらに事故にあった学校長も書類送検された。事故が起こった自然体験は特別活動という教育課程の一環で行われていることであり、学校管理下である。そうである以上学校長に安全管理上の責任があることは当然と言えば当然だろう。
 その一方で、こうした施設で学校が利用する場面に接していると、教員側が「専門家のいる場所で安心してプログラムを提供してもらっている」という意識が垣間見えることがある。校長といえども専門家ではない。微妙な場面で「やりますか?やめますか?」と言われても責任ある回答ができないだろう(責任を発揮するとすれば、「じゃあ止めます」としか言えないだろう)。今回の書類送検は、こうした曖昧にされてきた責任の所在や分担についての問題提起だと考えることもできる。
 個と組織という違いはあるが、本来責任を持つべき主体がそれを果たすべきスキルと知識を持っていないこと、にも関わらず実態としてそれが曖昧になっているという点では、似た問題構造を有しているように思われた。

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2013/02/19

この2週間で考えたこと

2週末連続して、活動をともにした知人を事故で亡くした。2/10の連休は山で、2/17日は海で。いずれも悪天候の中で起こった事故だった。山や海を本格的にやりだせば、リスクは常につきまとう。それが死という最悪の事態につながる恐れがあることは、誰もが知識としては知っている。しかし、彼らがそれをどの程度本気で意識していたか?同じ疑問は自分自身にも突きつけられる。そして私が今ここでブログを書いているのも、ただ運がよかっただけなのではないかと。
 知人としては悔しくて無念という思いしかない。その一方で、アウトドア活動とリスク管理をテーマとする専門家としては、様々な思いがある。
 一つは現代のアウトドアスポーツのあり方に関するものだ。アドベンチャーレースや50kmを超えるような(一般の人にとっては)心身の限界に挑むスポーツは、現代のアウトドアスポーツの一端を特徴づけている。「肉体の限界に挑む」ことがクールなことと思われているが、それは大きなリスクと裏腹である。現にアドベンチャーレースでは、過去にも死亡事故が発生しているし、オリエンテーリングでさえ、ここ数年高齢の方とは言え、心不全や転落による死亡事故が発生している。自然の中で活動していることを十分に意識しているとは言えない、トレイルランナーたちもその予備軍と言えるかもしれない。
 この流れを止めることは難しいかもしれない。またそういう選択肢があってもよい。しかし、リスクと裏腹であること、そしてそのリスクから身を守ることは自分の責任であること、その責任を果たすためにスキルが必要であることは、どれだけ活動者に伝わっているだろうか。主催者側の安全に対する配慮義務の蔭に隠れて、それが見えにくくなっているのではないだろうか。最近、こうした傾向を「煽る」側にある自分、主催者として、「事故は起こしたくない」と思う自分として、そんな視点にも目が向く。
 個人の責任やそれを果たすためのスキル、環境の問題、リスクはそのいずれの視点からもアプローチすべき問題だが、社会がリスクとそれを潜在的に抱える活動をどう意義付けているかは無視できない問題だ。
 しばらくは、この課題と付き合っていく必要がある。

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2013/01/16

オリエンテーリングに対する大学生の反応

大学で体育の授業を受け持っていて、半期に1回オリエンテーリング実技、1回
講義の中でビデオ見せたりしてます。共通体育(昔の教養の体育)なので、運動
に対するモティベーションがそんなに高くないです。ビデオも「地図物語」で、
冒頭のトップ選手(山口大助)他が走るシーンは「国際オリエンテーリング連
盟」の羽鳥さんが地図調査をしているシーン、カッシーその他がオリエンテーリ
ングの魅力や難しさを語るシーンの10分分くらいですが、毎年、これといった
感想はあまりないですが、今年やけに感想が多かった。

*オリエンテーリングの魅力がとても伝わった。年が明けたらオリエンテーリン
グしましょう。
*オリエンテーリングはすごく楽しそうだった、明日にでもやってみようと思う
*オリエンテーリングが熱い競技だと知った
*道なき道をいく姿はかっこよかった
*世界トップのオリエンテーリング、すごい!はじめてみて感動した!
*出来たら地図を作る人の話を聞いてみたい(農学部で測量実習があるので)
*オリエンテーリング・・・すごいです!
*映像は面白かった

かと思うと
*毎年自治会でオリエンテーリングをやっているんですが、結局走っているのは
自分だけだったりします。
*オリエンテーリングというスポーツを知らなかったので、知れてよかったです

受講者は約40人なので20%程度がそこそこ興味を抱いたと言えます。上の
2/8が女性なので、その比率はまあそんなものかなという感じ。

 授業自体野外活動だから、ある程度この方面に興味のある学生だとは言える。
こういう層に確実に情報を届けることを考えるには?と考えさせられた経験でした。


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2012/12/27

森を走ろう2013詳細

1月14日の「森を走ろう」シンポジウム詳細情報が決まりました。
当日も受付ますが、資料等の関係で、できれば事前申込をしていただけるとありがたいです。参加費も当日納付でOK

http://www.orienteering.or.jp/archives/2012/1217_2013.php

東京大崎の立正大学での開催です。

発表者:山西哲郎、鏑木毅、伊藤静夫、鹿島田浩二、村越真等

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2012/12/10

有度山トレイル三昧、ロゲイニングはまだ空きがあります。

★今年の有度山トレイル三昧は「日本の首都、世界の首都、静岡」日本の首都は家康が隠居したことにちなんだもの。ではなぜ世界の首都?答えは新幹線静岡駅下りホームに!有度山ロゲイニングに参加して、答えを見付けよう。

★今年もとびっきりの美女がお待ちしています!

 昨年、一昨年と皆さんをお迎えした天女に代わって皆さんをお待ちするのは勝利のヴィーナス。ルノワール作、静岡駅前にあります。もっとも美しい女神に与えられた黄金のりんごを右手に持っている。近くにはやはりルノワール作の「洗濯をする女」もある。2013年の開運はこのヴィーナス詣でから!

Venus

★静岡市図書館に行ってきました。

 他のイベントやら緊急事態やらでばたばたした時期も終わり、トレラン、ロゲイニングとも準備を進めています。トレランは通過自治体からの承諾書その他の渉外も終わり、後は警察に届けを出すのみ。今年もジェットコースターコースが皆さんをお待ちしています。相馬・望月の静岡の両雄も参加。

 ロゲイニングはポイント候補地探しに、市立図書館に行ってきました。古代東海道から中世・近世東海道、そして徳川時代の様々な史跡など、静岡市葵区の魅力が満載。

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2012/12/06

ナヴィゲーションとリスク管理が学べる講習

朝霧野外活動センターで2月9-11の連休に講習会があります。ナヴィゲーションとリスク管理両方が学べます。
ナヴィゲーションは僕とオリエンテーリングのトップ選手が、リスク管理は中村正雄先生が担当
しかも、なんと講習料が6000円(2泊付き!)。

詳しくは

http://asagiri.camping.or.jp/diary/pg49.html

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2012/10/19

アジア選手権のご褒美

 たった5日間だが、自分のささやかな挑戦のことだけに集中し、おいしいものをしっかり食べて、翌日の仕事が無意識を邪魔することなくぐっすり眠って、針やマッサージで身体をケアしてもらう時間を過す。身体と頭にへばりついていた眠気もない。なによりちゃんと走れるじゃないか!
 到着翌日のミドルレースこそ、眠気が残っていたが、滞在4日目のリレーでは、ここ数年感じたことのない爽快感があった。さすがにほとんど練習をしていないので、レースは合計90秒の凡ミスをした。お世辞にもいいできとは言い難い。それでも、1・2走の中で群を抜いて速い二人に継ぐタイム。
 何より嬉しかったのは、8月以来の右膝故障、8月末の24時間ロゲイニングでさらにそれを痛め、走るのを控え、自転車で山登りをし、時々筋トレと短いスプリントで身体に刺激を与えてきた状態で、最低限ながらエリートの走りができたことだ。レース後の身体への負担は大きいが、なんだかまだまだ走れる気になってしまった。
 学期中に休みを取るしわ寄せは大きく、事前の1週間は仕事に追い詰められていた。遠征前後のイベントと講習会を抱えて、自分の都合でなんとかなる遠征を放り出してしまいたい気持ちにも何度かなった。リレーの2ndチームは出せるかどうかも分からなかったから、最後には、「もういい。とにかく義務は会議だけ。体調もモティベーションも優れなかったら、5日間の休暇だ!」と自分に言い聞かせて、開き直ることにした。
 レースに出ながらでも、余計なことを考えずに済む5日間は何よりの休養になった。加えて、ここ10年来の友人たちと分かち合った「アジアのオリエンテーリングを支えている」という実感は、大きな活力の源になった。アジア選手権も、アジアのオリエンティアが出会い、そして互いに刺激しあう場として成長した。バンケットの盛り上がりを見ているとつくづく思う。8-6年前のささやかな頑張りが結実した。
 元中国のトップエリートで、今は深せんで大学の教員をしているリ・ジが、何度も精神的に持ち上げてくれた。彼らとオリエンテーリングや研究を通じて、更なる関係を深めていくことができれば嬉しい。そんな「ご褒美」をもらって、帰国の途についた。

Img_6531

△平均年齢42歳のJapanⅡチーム^^;

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2012/10/02

迷う

 2週間後の玉川トレランに向けて、誘導テープつけをした。今年から新しくコースになる尾根道を見ておくべきだろうと思って、地元の人とともに歩いた。昨年までコースであった永遠山までは踏み跡もしっかりしている。その三角点を確認して、そこから新しくコースとなった枝尾根に入った。山頂付近の道が不完全なのは想定通りだったが、その後も作ったはずの道がはっきりしない。手を抜いてるな、見に来てよかったよ。リスク管理ができている。さすが俺^^;
 地元の人は山作業に慣れている、なたのこも当然のように持っている。手際よく幹を切り、枝を払う。きれいな道が現れる。自分たちが作った新しい道にすっかり満足して中腹まで下ってきた。
 コンパスで方向を確認すると、どうもおかしい。南南東に向いていなければならないのに、ほぼ南に向いている。整置をしてみても、どうしてもいるはずの地図の尾根の方向が周囲の尾根の方向と合わない。
 しばらく地図とにらめっこしていて、ようやく気づいた。三角点のピークからいきなり降りてきてしまったが、本来下るべき尾根は、もう一つ先の小ピークから出ていた。下るべき尾根には赤で線がひいてあり、そこが三角点のピークの一つ先のピークだということは間違いなく目に入っていたのに、自分が間違えた尾根に降りていくことに気づかなかった。
 無為な道普請をさせてしまったお詫びをしながら、下ってきた尾根を登った。無駄にした時間約1時間。人はこのように道迷いに至るのだろう。

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